旅立ちは突然に
というわけで、選ばれました。
「――で、あたしはどうすればいいんです?」
ここは役場の会議室。町長に呼ばれたあたしは、蒸し暑い室内で立ったまま胸の辺りつまんでパタパタと扇いだ。
「なんです? その態度は。町長の前ではしたない」
全身黒尽くめのきちんとした正装の女性秘書が眼鏡を上げながら注意してくるが、あたしにはどうってことない。この暑さの中にもかかわらず長袖長ズボンとは見ているこっちが暑苦しいくらいだ。
「だって暑いんですもん。これ以上脱ぐわけにはいかないでしょ? さすがに」
すらりと長い足がにょきっと出ている短いパンツ。腕はおろか、へそまで見える短い上着。そんな軽装であたしは町長の前に立っているのだった。
「私は構わんよ。暑いのは事実だしな」
あたしの正面の机の前に腰を下ろす初老の男性、つまり町長があたしを見てにっこりと微笑む。
「君こそ、脱ぎたいなら脱ぐがよい。私はムネペチャであってもちゃんと女性として扱うぞ?」
ズガゴンっ!
「おおぅ」
女性秘書の持っていた書類が町長の頭に炸裂。顔を机にめり込ませる。
「性的差別は遠慮願います」
「だから、胸で差別をするような低俗な男ではないと表明しただけであってだね、何も君に対して言った訳では……」
ズガッ!
「あら、ワタシとしたことが。手元が狂ってしまいましたわ」
おほほほ、とさわやかに笑う女性秘書。さりげなく強い。
「――って、本題をお願いしますよ!」
漫才を見に来たわけではない。町の代表に選ばれたがためにここに御呼ばれしているのである。
――それに……。
大した用事でないなら早く自宅に戻って残っている家事をしなくてはならない。病に臥しているお母さんに代わり、家のことを任されているからだ。
「おう、そうだったな」
額から一筋の血を流しながらにこやかに言う町長。案外と打撃を受けているようなのだが、大丈夫なのかしら?
「ミマナ君。君には来週、神殿に向かってもらうことになった」
「神殿?」
そんなものがあっただろうか。
あたしは記憶を辿るが全く思い出せない。
首を傾げると、町長は続ける。
「君が知らないのも無理はない。なんせ十年前、そこへの道は閉ざされてしまったのだからな」
「へぇ……って、閉ざされた場所にどうやって行くんです?」
思わず突っ込みをいれると、町長はにこやかな笑顔のまま続ける。
「なぁに、心配はいらん。現在私の部下たちが気合を入れて修復中だ。来週には開通する目途が立ったので呼び出したまでのこと。何かと準備が必要だろうしな」
――なるほど、そういうことね。
旅立つとなれば確かに準備が必要だ。家のことも誰かに任せねばならないだろう。どのくらい留守にするのかはよくわからないが、引き継げる部分はきちんとやっておいたほうがいいに決まっている。お母さんを心配させたくないし。
「神殿に向かうことは了解です」
「必要なものがあるなら、町からいくらか出すこともできる。何でも聞くように」
お、なかなか気が利くじゃない。
「じゃあ、服を新調したいですね。荷物を入れる背嚢も丈夫なものにしたいですし。さすがに学校の研修で使ってきたやつじゃぼろぼろで心許ないですし」
あとは……武器はいるのかな?
「あぁ、そのくらいならこちらで準備させよう。携帯食料は確保済みだ」
――ん?
あたしは町長の言葉に引っ掛かりを覚える。
「えっと、町長?」
「なんだい?」
「そんなにあたし、町を離れるんですか? 神殿の場所が遠い、とか?」
携帯食料が必要となるということは、少なくとも日帰りではない。お弁当を用意しなくちゃとは思っていたが、そこまで長く家を留守にするとは考えてもいなかった。
不安な気持ちのあたしの問いに、町長は笑顔を絶やさずに応える。
「あぁ、そうだね。記録によれば最短でひと月かな。帰ってこない年もあったと聞いている」
――帰って……こない?
「ちょ……ちょっと、そんな危険なものだなんて聞いていないですけどっ! 町の運命を背負うことになっちゃったことについては諦めていますけど、命を懸けるつもりはないですよっ、あたし!」
今死ぬわけにはいかない。身体の弱いお母さんを護らなきゃいけないから。
――それにそれに……恋をする前に死んでたまるもんですかっ!
町長の机を思いっきり叩いて詰め寄るあたし。町長はそれでも表情を変えなかった。
「そう何人も戻ってこなかったわけじゃない。間違いがなかった年の選出者はみな無事に帰ってきている」
「……って、町長、あなたの目利きが悪かったら町が不幸のどん底に叩き落されるだけじゃなく、あたしまで完全に悲劇の主人公街道まっしぐらじゃないですか」
思わず顔が引きつる。
投票で選ばれたなら納得できる。今の町長がそこにいるのも、だから納得できる。
しかし。
町長の一存で勝手に選ばれた結果、命を奪われるなんて冗談じゃない。やるべきこともやりたいこともいっぱいあるお年頃の女の子なのよ、あたしは。
「町長、あまり彼女を刺激しないでください」
黙ってこちらの様子を窺っていた女性秘書が冷静な声で注意する。
「う、うむ……」
「ど、どう責任とってくれるんです! あたしにもしものことがあったらどうしてくれるんです!」
苦いものが混じる町長の顔。あたしはそのとき悟った。
――この人たち、まだ何か隠している?
「説明責任はありますよね? 洗いざらい喋ってくれないと、あたし、神殿なんて行きませんよ!」
ぐっと町長の襟首を掴んで持ち上げた、そのときだった。
「その辺でやめとけ、ミマナ」
聞きなれた少年の声に、あたしは町長を持ち上げたまま扉の方に顔を向ける。
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