月のライン 3-2


 町役場の一番奥、ふだん観光客も通らない、細い通路を使って、町長はやってきた。


 応接間だった。


 アンティークな革張りの椅子に座り、すでにマリが待っていた。


 手前の机に、膨らみのあるスカーフがのせられている。


「町長、聞いてください」


 マリの低い声がいつもと違う。


 町長は入ってきたドアの取っ手を引き寄せた。


 腕時計を見る。深夜1時過ぎ。


 夜勤をしている職員たちには、週に一度のこの時間、昔なじみと話に花を咲かせるから、邪魔はしないように、と言ってある。


 職員たちも、その友達が日中は客商売をしているマリであることを、よく認識している。


 ともに時間の取れない2人は、こんな夜中に会うしかないのだ。


「どうした、花の質でも落ちたかね」


「いえ、そうじゃありません。じつは先ほど、畑で男に会いました」


 町長は神妙な面持ちで、マリの話を聞いていた。


 頭の中で、映像となって打ち寄せる。


 マリはいつものように、ホテルを忍び出て、小学校のほうへ向かった。


 週末の観光客の入りは多い。


 顔なじみに見られても、散歩をしていたと言えばいい。


 もしも誰か、跡をつける者がいたとしても、この群衆の中で見失わないのは、プロの筋の者だけだ。


 そしてマリは校舎の裏に回って行った。


 さすがにこの辺りには、誰もいない。


 ここに畑を作ることは、町長の計画通り、上手くいっていた。


 校舎は少し高台に建っており、裏の畑は陰になる。


 また昼間通う小学生たちには、その価値は分からない。


 まともな道を歩む公務員の教師たちにも、その花がどんな意味のあるものか、認識できないはずだった。


 町長も、学校視察に何度か来たが、畑のすぐ向こうは、切り立った崖となり、子供たちにも近づかないよう、指導しているということだ。


 それがその時、誰か来た。


 マリが水やりをしていたときだ。


 暗がりでよく見えなかったが、背中に大きなバックパックを背負った男だった。


「モンフルールのマリだな。俺はデラの使いの者だ」


 男はびっくりしているマリに、告げた。


「うちの組織のバカどもが、何人か捕まったのは知ってるだろう。だがデラ様は、この場所のこと、そして花の流通の元を、誰にも知らせていない。よってこの計画は、続行となっていた。だが、今回でそれも最後だ。次に花が運ばれたのを確認ののち、デラ計画の指令を出す」


「今回で最後なんですか?」


「そうだ。今すぐお前は、指定分の本数を届けろ。今すぐにだ」


「分かりました」


 そして男は去って行った。


 デラ、という名を知らない人間が、口にするような話ではない。


 マリは急いで花を切り、首に巻いていたスカーフでくるんだ。


 そして現在、ここにいたる。


 町長は言った。


「すぐ、と言っていたのか。しかしながら、出港は9時過ぎだ。それまでには手配しておこう。セドに、電話しておかなければ」


 町長はポケットから取り出した電話に向けて、短く喋った。


「ああ、セドか。すまんな、寝ているところ。明日の朝、一番の船で、本土に送ってもらいたい。それじゃあ。リボンを忘れるなよ」


 電話を切ったあと、町長は「これで最後か」と言って、机の上からスカーフを剥いだ。


 バラによく似た花だった。だが、花びらのふちが白いラインで色づいていた。


 町長は入り口に近寄り、部屋の電気のスイッチを切った。


「うん……たしかに、質は落ちていないようだな」


 花のあった場所に、白く、花びらの形にそって、光が浮いていた。


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