四十一話 逃れられない悪意
「今日帰ることにする」
リーシェッドが明確に帰郷の意志を見せたのは、甘海の予想通り翌日の早朝であった。
「うむ、これだけあれば十分だ」
昼時の賑わう街並み、再び本土へ足を運んだ二人は最後の買い物を終わらせようとしていた。
リーシェッドの小さな両腕から下がるビニール袋には沢山の種、野菜だけでなく安い植物の物まで実験用に手当り次第だ。これは甘海からの贈り物として、彼女は快く自腹を切った。
「ちょっと多かったね。重いんじゃないかな?」
「重い……けど、せっかくアマミ姉がプレゼントしてくれたのだ。一つでも成功させて報告したい」
「う〜ん、気持ちは嬉しいけど。貸して、片方持つよ」
「自分で持つのだーぁ」
自分の体すら重いというのに、甘海を荷物持ちとして扱いたくないから意地になっていた。余裕を見せようと無理に大腕を振って歩く様はまるで小学生の男の子である。
リーシェッドらしい我の通し方に呆れて笑う甘海は、半歩後ろから見守っている。彼女の笑みはすでに柔らかいもので、もう別れを惜しまないと、きっとまた会えると吹っ切れていた。
徐々に人影は数を減らし、人気のない小さな船着場へ近付くほど静けさが際立つ。口数が少ないことはお互い様といったところで、それに気付いた二人は顔を見合わせて苦笑いを零す。
水を差すものでもない。こういった別れのやり取りは静かに、穏便に済まされるべきであった。
しかし……。
「ん?」
足元を硬いものが転がる音。靴から伝わる軽い衝撃に視線を落とした甘海は、それが野球の硬球であることをすぐに悟った。
同時に後ろから軽い声が掛かる。
「あ〜すみませーん! そのボール俺らのです!」
二人が振り返ると、社会人らしき六人の男達が申し訳なさそうにペコペコしながら近付いてきていた。
休日に草野球をしている大人達。そう理解した甘海は朗らかに笑ってボールを投げ返そうとしたが、一人の男がそれを制した。
「あ、待って待って。僕らグローブなくってさ。いま取りに行くから待っててよ」
「あぁ、ごめんなさ……」
甘海に一つの疑問が浮上するのとほぼ同時。
リーシェッドは甘海の手を掴んで走り出す。
「硬球で……グローブがない?」
「走れアマミ姉!!」
リーシェッドはすぐさま荷物を捨て、甘海を連れて路地裏に逃げ込む。何が何だか分からないまま走らされた甘海は手に持っていた硬球を落として、それでもリーシェッドの手が離れないよう必死に走った。
先を行く彼女の横顔は今だ見たこともないほどに険しいもので、甘海はそれにつられる様に不安を募らせる。
「いいか、絶対に後ろを見るなんじゃないぞ」
「ど、どういうことなの!?」
この異質な状況。不安を恐怖に変える答えしか返ってこないと勘づいていたが、甘海は聞かずにはいられない。
薄暗く長い路地裏。後ろを気にしつつ横目を合わせたリーシェッドは、すぐに前を向いて口だけで答える。
「海の横で玉遊びとはな。待ち伏せで偶然を装うにしてもお粗末過ぎる」
「ど、どこかにボールがぶつかってこっちに来ちゃったとか……」
「……球一つを取りに来るのにわざわざ全員寄ってくるか? あんなに横広がりに、まるでこちらを囲い込むように。それに、何人か歩き方に違和感がある。何かしら武器を仕込んでいる可能性が高い。更に一人が持っていた鉄の棒からはな。乾いた血の臭いがしたんだ」
早口にまくし立てられ、甘海はビクッと震える。無意識に硬直してしまい、彼女は少し足を緩めた。
振り返ったリーシェッドは憎々しげに舌打ちを漏らし、甘海の腕を強引に引いて前後の位置を入れ替える。そして、後ろから猛烈に迫る甘海の頭を狙った硬球を思い切り蹴り上げた。
「下衆め。躊躇なく頭を狙いやがって」
「りっちゃん……」
「幾つか理由を並べたが最も根拠があるものが一つ」
「……え?」
「あの『女を道具として扱う』つもりの濁り切った眼をよく知っているんだ。泣こうが喚こうが自身の快楽として受け止める外道。捕まれば心も体も壊され続けるぞ」
甘海は味わったことの無い危機に血の気が引く。暗いはずの路地裏から見える男達は、どこまでもどす黒く残虐な笑みを浮かべていたのだった。
再び足を速めたリーシェッドに今度は迷いなくついて行く。追ってきているとわかった以上、彼女の推測は当たりと見るべきだと判断した。
工場、倉庫、コンテナ。小さな港に所狭しと敷き詰められた障害物の隙間を縫うように逃げ続ける二人は、不安や圧迫感に体力を削られる。大量の汗を流しながら走り続けていても、後ろから近付く複数の足音を振り切ることが出来なかった。
この経路そのものが罠だと気付く頃には、すでに抵抗する力すら僅かなものになっていたのだった。
「くそ……」
迷路の中をさ迷いながらも、方角だけは間違えないように太陽の位置を常に気にしていたリーシェッドだが、あろう事か広い道へ出る前に挟み込まれていた。目の前で待ち構えていた男は三人。後ろから姿を現したのも三人。半分は別の移動手段で先回りをしていた。
ジリジリと歩み寄る男達から甘海を守るように壁際へ寄るリーシェッド。とうとう隠していた武器を取り出した男達へ、甘海は震えた声で訴えかける。
「そ、それ以上近付いたら人を呼びます!」
しかし、男達はニヤニヤと笑うばかりで会話をする意思すら見せない。それどころか、取り出した鈍器を軽く振って甘海達を殴ることを楽しみにしている様子だった。
「無駄だアマミ姉。この場所へ上手く誘導されたのだ。手際やタイミングから数日は練り込まれた計画だな。恐らく周りに人なんていないだろう」
「じゃあどうすれば……」
「我が囮になる。アマミ姉は逃げて誰かを呼んできてくれ」
「ダメ!!」
真顔で進言するリーシェッドに対して、甘海は声を張り上げる。
「それなら私が残って……」
「アマミ姉。我は少女の姿だが正真正銘の魔族の王だ。あんな鈍器でいくら殴られようと痛くも痒くもない。それに、不死だから死ぬこともないんだ。分かってくれ」
「妹分を置いて逃げられるわけないじゃない! 馬鹿を言わないで!」
「ならアマミ姉が残っていつまで耐えられる? 全身を動かなくなるまで殴られた後、強姦されるだけで済むならまだマシだ。だが奴らの眼は快楽殺人者のそれだ。皮を剥がれ、目を抉られ、腹を裂かれても我慢出来るか? いつ戻るかわからん我を待ち続けられるか?」
「……っ!」
「西側を切り開く。走り続けるんだ。言ったろう、我は痛覚を遮断出来るしあんな刃物を通す程柔らかくない。人として扱うな。魔王なんだ」
「…………」
甘海は涙を流すだけで答えない。しかし、目を合わせたリーシェッドはそれを肯定と受け取る。沈黙は唯一の抗いだった。
構えたリーシェッドから何かを感じたのか、男達は一斉に走り出し無力化を図る。数秒の遅れは甘海の命に関わる。リーシェッドは気合いを入れるように恫喝を上げると、西側の通路を塞ぐ男達に飛び掛った。
「アマミ姉! 来い!」
リーシェッドを追って、甘海は走る。
魔物として、魔王として育った彼女は確信していた。この作戦が最も安全であり、最も成功率の高いものであると。
しかし、その確信が故に見落としていた。ここが人間界であるということと、守っているのが人間であるということ。
今後訪れる、不死王リーシェッド最大の汚点と言われる事件の始まりだった。
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