第35話 鼠

 一滴の涙が零れ落ち、それとともに辺りを覆っていた植物が力を失い、浄化されるように崩れ落ちる。

 途端に吹くのは季節を思い出させる寒い冬の風。

 現れたのは暖かく感じない眩しいだけの日差し。


「鉄生!! もしかして……」

 植物で作られたドームの外にいたイリアが、植物による壁が失われたのを確認すると駆け寄ってくる。

「あぁ、この手で決着をつけてやったよ……」

 服はやつれ、顔も含めて体の至る所が赤くボロボロな男がそこに仰向けで倒れていた。

 何もチカラを持たない普通の人間――しかも素人が武器に宿りし異能のチカラで殺し合いをした現場がそこにはあった。愕然とする以外ない。

 

「こんなことって……と、とにかく! 結果良ければすべて良し! その篭手は回収させてもらうわよ」

 しかも旧作が新作に勝った――まぐれなのか、それともチカラの差は大きくなかったのか。どちらにしても今はどうでもいい。気を取り直し、近づく。

「持ってけ。もう、おれには必要ない……」


 意識はあるが、抵抗する様子もない。お目当てである篭手に手をつける。

 外せる箇所を探し、手の付け根の部分をちょっと弄ると、いとも容易く取り外せた。

 指先の先端から手の半分を覆う、重くて鋼鉄、先が尖ったまさに悪魔の手。その重厚さは外された時の方が顕著だ。

 森野の手を離れたそれをイリアは両手で抱き抱える。だが、重さに苦しむ様子はない。


「森野。お前はこれからどうするんだよ?」

「そりゃ、ムショに行くに決まってるだろ……もう、沢山だ」

 森野の声は小さく、ふっと笑う。十四年の間、下ろしたくても下ろせなかった重り。忘れたくても忘れられない苦しみと絶望。

 鉄生の口から明かされた、あの日の知り得なかった真実がそのすべてを浄化していく。

 本当に望んでいたのは復讐ではない。自分が探し求めていたもの――それは絶望に落とされ、どうしようもなくなった自分を止めてくれる存在。

 憎んでいた相手がそうだったとは思わなかった。今だったら、確信できる。

 ――自分が愚かだったと。


「おうおう、森野さん。こんなにぼろぼろになっちゃって……」

「――!」

 誰かいる。視界の外から皮肉たっぷりに哀れむ声が聞こえた。その方向を見るといつの間にかいた見知らぬ男。

 黒いコートにワインレッドのスーツ、更にサングラスをかけ、コツコツと足音を立てて歩いてくる。明らかに味方ではない。


「お前は誰だ?」

 恐る恐る、鉄生は名前を尋ねた。

「俺は円川組舎弟頭補佐の小菅(こすが)」

 そう名乗る男はイリアの抱き抱える篭手を一目見やると全員動くな、近寄るなと言わんばかりに素早く銃口を向けた。

「イリア、ご苦労だったな。さぁ、篭手を持ってこっちへ――」

 突如響く銃声とともに放たれたそれは、小菅の視界の横を通り過ぎる。


「……答えはNoノーか」

 サングラスに隠れた怪訝な目はイリアを睨みつける。

「生憎、これさえ手に入ればアンタたちに用はないわ。他にも色々調べさせてもらったしね」

「やはりスパイが乗り込んでいたか。本家の読み通りだったな」

「組長から現場を任されてるからって調子乗らないでよね。今更気づいても遅いわよ」

 バレても一切の余裕を崩さない。それもそのはず、予めそうなることはとうに見越していた。


「フッ……それはどうかな?」

 茶色いサングラスに隠れた、睨み付ける目元。空からの光が薄暗い目を刹那のうちに映し出す。

「おい、森野汪。さっきから何がなんだか分からねえってツラしてるな」

「小菅……! これは一体どういうことなんだよ……!」

 

 その裏を追及すべく小菅に接近する――が、空に銃声が飛ぶ。

 青い空の下、響く突然の一発の衝撃は足を無意識に止めるほど。まるで無知な子供を脅す汚い大人。

「確かにそうなってたな。だがな、俺らはボスに見出だされたお前の復讐に、ただ付き合うわけじゃない」

「もっと別の目的があるからなんだよ。お前の復讐とか最初からどうでもいいんだ。クソガキ」

 脅した上に嘲笑うが如く手のひら返し。唇を噛みしめればしめるほど、出る憤りを抑えるしか出来ない。


「その別の目的ってなんだよ?」

 この十四年間、この日のために必死でもがいた。だが、突きつけられたその真実は予想だにしないもので、鉄生にも何のことか全く見えなかった。

 ――そもそも、円川組は森野の復讐に手を貸したのではないのか?


「ククク。簡単なことさ――これはすべて事件に見せかけた実験なんだよ。〈森林魔装拳ヴァルトファウスト〉というチカラを得た人間がどう動き、どうそのチカラを使いこなせるかを見るためのな――」


 開発し、実際にそれを試すだけの実験では足りない。満足な収穫データは得られない。

 異能はエネルギーの素たる精神が強ければ強いほど、行使するチカラは呼応するかのように威力を増す。ただそれを行使し、試すだけでは物足りない。

 得られたデータを解析し、更なる進化のために肥料として吸収されていかねばならない。


 怒り、憎悪、怨恨。強ければなんでも良い。

 研究のためにはとにかく非常に強い精神を持つ人間が必要だった。それも並の精神ではいけない。限界を超えるほどの。

 異能が宿りし最先端の武器を与える都合の良い実験体モルモット。進化のための必要な犠牲。そうしてドン底から担ぎ上げられたのが彼――。


 これまでの十一年の働きぶりに免じて武器を与えられ、復讐のためのチカラを手にした彼は覚醒した――もう後戻りは出来ない。

 この瞬間、彼は復讐に駆られた道化となった。未だかつて見たことのない強大なチカラを行使出来た日には、もはや憎悪とチカラという名の麻薬に取り憑かれた。

 溺れた彼は学生時代の悪友を上手いこと使い、復讐対象の情報を集めさせ、復讐のための下準備を始めていた――まさに薬物を注入されたモルモット

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