第31話 おめでたい男
雲ひとつない真っ青の下。
冷たい冬の風が時々吹く地上30階のコンクリートで出来た柱の上。なぜか太陽の光が一番照りつける場所のはずなのに、大きな雲がそれを遮っていて青く薄暗い。
エレベーターを降りると、彼の姿を探して正面に、辺りを見渡しつつ歩を進める。
歩いていると、一番奥の景色を一望できるその手前で一人の人影が立っていた。
ここからだとよく姿が見えない。ポツンと黒い何かがいるようにしか見えない。だが、早く会いたくてたまらずその方向に駆け出した――。
「来たか。遅いぞ」
近づいてみると分かる大きな背丈。袖が余分に大きい黒いロングコートに、そこから伸びる緑色の鋼鉄の右手。
姿を見なくてももうこちらが誰なのか分かっているようだ。立ち止まるとそっと振り向いた――。
かつて見た整った長身の体格、筋肉のついた体。あの頃よりも少しばかり大きく見える。
立った黒髪、自分の強さに鼻をかけた鋭い見下した目つきも健在。顔つきは十四年という時の流れによって、より引き締まった険しいもの。
その目は、静かだが憤怒と憎悪の熱い炎を燃やし、こちらに向けていた。
「森野汪……ようやく会えたな」
「――あぁ、こっちこそテメエに会うのを待ちかねていた所だ……」
もうここまで乗り込んで来た以上は外野からの余計なチャチャなど必要ない。自分の拳で
その声と言葉は、とてもかつて正々堂々を口にしていた者と思えないほどの殺意で満ちている。
姿は面影こそあるが、その言動は本当に十四年前の森野なのか――その変わり果てた姿は、十四年間熟成された憎しみを抱えし現実を突きつけられたような気分だ。
「覚えているか? 十四年前のことを。本当に、僥倖に恵まれたおめでたい幸せ者がよ!!」
目の前にいる
学校の代表として強さともに持ち上げられた英雄から一転、休み時間に毎日、集団リンチの対象になるサンドバッグ扱い。
ひたむきに頑張ればなんでも必ず成功し、頑張らない人間はどんどん没落していく。そう信じていたこの世界は努力至上主義など幻想で、むしろ世界は理不尽な光と闇に分かれているとこの時思い知った。
他の学校にいる、自分がそれまで倒した奴らも健気に仲間に支えられながら別の大会に出場していたし、負けてもみんな許してくれると思っていた――だが、実際待っていたのは誰も許してくれない、存在すら許してくれない地獄そのもの。
この理不尽を、それを生んだ偶然というキラキラな奇跡を呪いたい。
十四年経っても、目の前のおめでたい男は変わっていない。
掃除や整理など雑用ばかりさせられ、何度も理不尽な暴力による仕打ちを受けた。大学も裏口入学させられ、何か役に立つスキルを得ようとプログラムやハッカーの技術を勉強した。
それでようやく認めてくれた円川組の力を借りて、殺し屋を派遣したにも関わらず、死に様を晒さず目の前に立っている。
本来ならばコイツは、襲い来る殺し屋を前に為すすべもなく死んでいるはずだ。濡れ衣を着せた城崎も容疑者として逮捕され、金銭トラブルとして事件は解決。計画は完遂していたはずだ――なのに。
「テメエをこの世から消し去るために、ここまであらゆる手段を尽くしてきた――だがあの
高谷を病院送りにすれば、都心に逃げ込んだ鉄生も隠れてなんかいられず心配になって飛び出してくるだろう――その計画をオジャンにした阿呆。
殺さない程度に高谷に重傷を負わせ、釣った金田を病院に誘き出して殺すはずだった。だが、その実行役として送り込んだ阿呆は勝手に一人出しゃばった。
二子玉川から追跡を行っていたイリアに、阿呆と金田をまとめて始末させようとしたが、それも――。
「なあ、森野」
「……なんだ?」
「オレを憎む理由は分かる。あの日の準決勝を境にお前の人生が狂ったことも。だけどな――お前のせいでどれだけの人間が苦しんだか、分かっているか?」
「濡れ衣を着せられた城崎、病院送りにされて未だに目が覚めない高谷、阿呆と蔑み使われた元濱、それに――東京駅でテロに巻き込んだ沢山の人たち――それを見て、何とも思わないのか!!」
この復讐劇のせいで、多くの人間にも被害は及んだ。
十四年という歳月を経て研がれた牙は、気がつけば目標とする獲物だけでなく、無関係な大勢の人間をも手にかけていた。まるで肉を貪り食って胃を満たす野獣だ。
復讐の対象を苦しめ、絶望させるために。同時に生じる犠牲など当たり前で安い。
「――何とも思わないね。おれの人生を台無しにしたテメエは許さねえ」
「復讐のためならば、関係ない人間が百人、五百人死のうがどうでもいい――おれの望みはテメエを地上から消し去り、美しい世界を創造することだ!」
自分の人生を大きく歪ませたこの男が存在しない世界こそが美しい。
それを目の当たりにした時こそ、これまでの十四年が――茨にまみれた地獄のような道のりが――苦しみのものから無駄ではなかった確かなものへと昇華する時。
「……なるほど。幻滅だな――だったら、もう言葉で解決するのは無理そうだな」
白銀のブレスレットをつけた両手を強く握って右手を前に突き出し、ガニ股に身構える。
分かってはいたが、言葉を交わしても無意味ならば、もう戦うしか道はない。
武器がある以上、有効に使わない方が非効率だ。これで分からせる他ない。
「ハッ! そう来なくっちゃなぁ。殺し屋どもが仕留め損なった以上、おれがテメエの息の根を止めてやる……このチカラで!」
右手の余分に大きい袖にそっと手をつける。
濃緑を主色とし、植物の無数の根の如く、金色が張り巡らされた右手。めくられて露となるのは、そんな腕の半分を覆う禍々しい鋼鉄。
闇から得たチカラの根源。それを証明するかのように、その篭手は灼熱の炎の如く、静かに怪しく光を発する。
湧き上がるチカラに呼応する雄叫びをあげると、その鋼鉄と光に包まれた右手を目の前の憎き存在に広げる。
手のひらをぶち破り、緑のふと長い触手が顔を出し
「――始めようか。十四年の時を越えた、おれたちの戦いを!! テメエの死体を無能どもに晒してやるよ!!」
「あぁ。お前が望むなら、あの日つけられなかった、
鉄生は心して身構える。心の奥底より恐怖の感情が警告を促すかのように湧き上がってくる。
が、それでもやらなければならない。十四年前のすべてに終止符を打つために――。
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