第33話 Waitress Marie
「う、うわぁぁ」
戸辺さんの両腕が織音さんの首筋に巻かれると、一気に胸元へと引き寄せた。
「もう我慢できません! お嬢様には悪いですが、いや、むしろ毒味をするのは秘書の努め! さぁ、存分に私を食べて下さいまし~!」
戸辺さんは両の脚もジタバタさせながら、蟹挟みのように織音さんの体を挟み込もうとしている。
「ちょ、戸辺さん落ち着いて!」
「ここで
戸辺さんの話し方、遊女か何かかな? あと私は完全に眼中にないのね。
「あ、青田さん、た、助けて……」
おっとそうだった。織音さんの裸は見たくないと言えば嘘になるけど、さすがに自室を
『吉原の遊郭小屋』
にはしたくはない。何とかしないと。
「そいやあぁぁぁ!」
戸辺さんの両腕を何とか引きはがすと、うわっ!
『捕まえましたわマルゲリータ様。さぁ、恥辱にまみれた狂乱の宴の続きをしましょう』
こ、今度はマリーさんが私の首筋を!
「あ、青田さん……」
「こ、ここは私に任せて、織音さんはお店へ!」
「あ、はい! ご武運を!」
まさかこんな状況で『ここは俺に任せてお前達は!』の言葉を使うとは思わなかった。
やがてタオルが落ちるように、戸辺さんの両腕の力がなくなり、柔らかな寝息が聞こえてくる。
ふぅ……。一時はどうなるかと。
(あら、せっかく”さんぴー”ができると思ったのにね、フフフ……)
”た、確かにこの状況、私は後ろから、戸辺さんは前から……何考えているのよ!”
(彼の体をたぎらせる為、せっかくマリーと恥辱の宴を
”エロエロお嬢様なんかもう知らん! 寝る!”
(眠れるかしら? むしろ体が
”うっさい!”
とっとと着替えて布団に潜り込む。
戸辺さんは大丈夫かな? 夜中に吐いたりしたら……。
一応ゴミ箱にコンビニの袋を被せて枕元に置いておこう。
おやすみなさい。
”ピピピピ! ピピピピ!”
携帯のアラームで起きると、うわっ! 戸辺さんが布団の上で正座していた。
「昨晩はみっともない姿をお見せしてしまって、誠に申し訳ありませんでした」
両手をついて頭を下げる戸辺さん。
「あ、気にしないで。お体は大丈夫ですか?」
「はい、一度夜中気持ち悪くなりましたが、お手洗いで吐いてきました」
「そうですか。あ、場所わかりました?」
「はい、二階にありましたから」
あ、私も行ってこよう。
「ちょっと失礼」
二階の女子トイレに入る。
ここは建物は古いけど、トイレは最新式の自動でフタが開くヤツなのだ。先生方が
『みぃんな経費で落としたがね』
だそうだ。
トイレはきれいだし、匂いもこもっていない。戸辺さんわざわざ掃除したのかな?
三階に戻ると
『誰だぁ~トイレでゲロ吐いたヤツはぁ~! ちゃんと流しておけぇ~!』
目黒さんの怒声が飛び込んできた……。
ドアを開けると、戸辺さんがハンガーラックにつり下げられたウェイトレス衣装を眺めていた。
「どうしました?」
「いつもこれを着てお仕事を?」
「はい。先生、店長がこれを着るようにと」
「そうですか……」
なんか戸辺さんの目が輝きだしたぞ。
「せめてもの
「ええっ!? えっと、事務所のお仕事は?」
「今日はお休みです。事務所はほぼ年中開いている為、交代で休んでいるのです。でなければ昨晩、こちらへはうかがいませんでした」
まさか隙あらば織音さんをお持ち帰り、いや、夜這いするつもりだったんじゃ?
こちらが惚けている間に、早くも着替え始めた。
戸辺さん、脱いだらやっぱりすごいんだ……。おっと、私も着替え着替えと。
戸辺さんは緋色の服を手に取った。意外だ。地味な色にすると思ったのに。
私は紫の衣装に着替えよう。
「サイズ、大丈夫ですか?」
「はい、ウエストは余裕ありますが、胸とお尻が若干苦しいです。でも何とかなりそうです」
「……そうですか」
うん、お約束だね。
一階に下りて先生方にお目通り。
「こ、このお二方が『オール・アルジャン』先生!」
今度は体中が輝きだしたぞ。
そういえば戸辺さんって、大罪の書を書いているサークルのSNSをのぞいているって言ってたな。
先生方に事情を話すと
『ああ”
『よろしゅね~』
五秒で承認された。この年代の方達って、ホント細かいことは気にしないんだなぁ。
「いきなりですけど、大丈夫ですか?」
「ご安心を。事務所でのお茶くみで慣れております」
私の心配もどこ吹く風。てきぱきと動き回る戸辺さん。
「おお、あんた、平井先生とこのお姉ちゃんか?」
「はい、今日一日だけですが、よろしくお願いします」
お客さんからも顔が広い。支援者の方かな?
「なんだぁ? 平井の事務所が潰れそうなのかぁ?」
対立政党の支援者の方かな? 嫌みを言ってくる人もいたけど
「平井より広く皆様のお声を拝聴するようにと仰せつかっております。どうぞ何なりとお申し付け下さいませ」
そうだよね、選挙期間中はそれこそ影で脅しやすかし、怪文章は当たり前だから、きちんと対応している。
私も会社員時代にあんな応対ができれば……イカン! お仕事お仕事!
お店が終わり、戸辺さんと一緒に買い物する。
「いつもこの荷物をお一人で?」
「はい、おかげで筋肉がついちゃいました、ハハハハ」
「そうですか……だから昨晩、腕をはがされたと……」
「え!?」
「なんでもございません」
まさかあの時は
商店街をウェイトレス二人が並んで歩く姿に、道行く人の視線がいつも以上に向けられる。
気のせいかな? 戸辺さんに視線が集中している気が……気のせいだよね!
部屋に戻って着替えると
「本日はありがとうございました。この衣装は存分に堪能したあと、クリーニングにして後日お返し致します」
「わかりました」
もう突っ込む気すら起こらない。
「織音様にもご挨拶したいのですが、お休みのようですのでまた後日、お詫びにうかがいます。では失礼致します」
勝手口で見送ったあと、ベッドに倒れ込む。疲れたぁ~。
――またまた数日後。
”プルルルル! プルルルル!”
夕方、携帯が鳴る。織音さんからだ。
「はい、青田です」
「織音です。お疲れのところ申し訳ありません。今よろしいですか?」
「はい、大丈夫です」
織音さん今日シフトだよね。なんだろう?
「実は……店まで降りてきてもらえませんでしょうか? あ、お客様として入口からでかまいません」
「はい、わかりました。すぐ……ちょっと待ってて下さい。向かいます」
「すいません。お願いします」
なんだろう? あ! 戸辺さんかな? ウェイトレスの衣装を返しに来店したとか。
でも、織音さんの歯に物が
まぁいいや。お嬢様に転ばされないように着替えとメイクをと。
”チリンチリン!”
ドアを開けると、カウンターに座っていたのは、紙袋を手にした戸辺さんと、
平井お嬢様だった……。
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