第41話 追憶(後編)
人々は関東から避難し、関西への移住を始めた。
第一次EVEL対抗部隊は避難する人々を守り、
俺は第七班の任務で、東と西を行き来して戦いに明け暮れる日々を送っていた。
戦いの中で、俺の
最初は傷の治りが早いくらいだったのが、感覚が鋭くなって悪魔の居場所が分かるようになる。オーラのような力で攻撃を防御したり、矢を強化したり出来ることも分かってきた。
それだけなら便利だな、で済んだのだが。
関西への移住作戦の後半に入った頃。
ついに
苛々して、ちょっとの口論で相手を衝動的に殺しそうになったり、怪我人の血を舐めたくなったり。自分でもおかしいと思った。
そして夢を見る。
夢の中で俺は、
俺はぞっとした。
「皆から、離れないと……」
第七班で皆とうまくやっていけると感じ始めていたのに。
心は人間の側を選択したのに、身体は心を裏切って
俺は大切な人々と距離を置くことを決心した。
「優くん、最近、私を避けてるのはなんで?」
会いにいかないようにしていたのに、日和は俺をわざわざ探しに来てくれた。普段は病室から出ない彼女が、俺のためだけに外に出たのだ。
ありがとう、と言いたい。
しかし俺の唇から漏れたのは、冷たい拒絶の言葉。
「……なんでもいいだろ。もう、俺に関わるな」
このままでは大切な人々を自分の手で傷つけてしまうかもしれない。
そう怯えていた俺は、自ら志願して有志で結成された静岡防衛ラインに行くことにした。
それは第七班からの脱退を意味する。
「行くな、神崎」
「もう、決めたんだ」
「……そうか」
夏見は無理に俺を引き留めなかった。
だが京都に帰ってくるつもりはなかった。
人間でいられる時間は残り少ないと、感じていたから。
恋人と、仲間と別れ、俺は逃げるように静岡に向かった。
静岡の防衛基地は
もともと自衛隊の基地だったらしく、規則正しく並んだ灰色の宿舎は陰鬱な空気をまとっている。どこにいても綺麗な富士山が見えることだけが、来て良かったと思えるところだろうか。
戦況は厳しい。悪魔との戦いで毎日のように死傷者が出た。関西から食料を送ってもらって運営しているが、物資の供給が保てなくなった時点で、この基地は放棄される予定だ。
悪魔の増えるペースから考えると先は見えている。静岡防衛ラインに来ているのは、死を覚悟している者ばかりだ。
俺もここで擦り切れるまで戦って死ぬ。
そう心に決めていた。
悲劇の英雄よろしく自分の終わりを思い描いていたのだが、滑稽なことに予定通りとはいかなかった。
「――さあ、愉しい
悪趣味なことに逃げ道をふさいで、悪魔は次々と人間に襲い掛かる。
防衛基地に残っていた人々は俺を残して殺された。
辺りは血の海になった。
「ほら。お前の会いたいと思っていた者を、連れてきてやったぞ」
「
父親は気を失った日和を腕に抱えて、俺の前に現れた。
俺は自分の不利を悟る。
日和を人質に取られた状態では、思うように動けない。
「愛しいと思うなら、その身に取り込めばいい。そうすれば永遠に共にいられるぞ」
「嫌だ……!」
「まだためらっているのか。ならば、背中を押してやろう」
父親は自分の腕を切って、流れる血を俺に飲ませようとした。
父親の血を飲めば最後、精神まで操られて、俺は彼らの駒と成り果てるだろう。
俺は必死に抵抗した。
「やめろ……!」
子供の反抗を封じるように易々と俺を抑え込んで、父親は血を飲ませてくる。
その途端、もやもやしていた思考が拡散し、クリアになったように感じた。
何を悩んでいたのだろう。
答えはこんなに簡単なのに。
「優くん……?」
目が覚めた日和が、俺を見上げて不思議そうにする。
余計な人間としての思考がそぎ落とされ、悪魔の本能に忠実になった「俺」の中で、残された最後の良心の欠片が悲鳴を上げた。
逃げろ。
このままじゃ、俺は……!
「美味しそうな餌だろう、優。
父親が愉しそうに勧める。
日和は周囲を見回した。基地内はいくつも死体が転がっており、死者が握っていた銃や刃物が床に落ちている。血が床に広がって、死の匂いが充満していた。
彼女は最後に、俺の深紅の瞳を見て、息を呑む。
「っつ!」
後ずさりしながら、付近に落ちていたナイフを手に取った。
「そんなものじゃ、悪魔は殺せないよ」
俺は日和の前に立って、彼女を捕まえようと腕を伸ばした。
「いいえ、殺せるわ。……こうやって!」
日和は決意を込めた瞳で俺を見て、ナイフを逆手に持ち――自分の首筋を切り裂いた。
「なっ?!」
父親は唖然とする。
彼女からほとばしる血が、俺の頬を濡らす。
「日和……?」
冷水を浴びせられたように感じた。
「優くん……目が覚めた?」
「日和!」
俺は崩れ落ちる彼女の身体を強く抱きしめた。
頭も心もぐちゃぐちゃになって、ひどく混乱している。
だけど俺はもう自由だった。
「食べたりしなくても、私はずっと、優くんと一緒にいるよ……」
細いかすれた声で、日和は「これからもずっと一緒だよ」と耳元でささやいた。
彼女の気持ちにどう答えればいいだろう。
ああ、そういえば彼女から逃げることに躍起になっていて、肝心の言葉は何も伝えていなかった。
「……ありがとう、日和。君が好きだ。ずっと側にいてくれ」
目を閉じた日和の唇にほのかな笑みが灯る。
俺とつないだ手に一瞬力が入り、そしてふっと、力が抜けた。
抱き締めた身体から温もりが去っていく。
彼女の死は逃れようのない現実だ。
俺はこれが最後なのだと驚くほど自然に状況を受け入れた。
むせ返るような血の匂いに、今はもう食欲を覚えたりしない。
ただ無性にやるせなかった。
しばらく黙っていた父親が、背後で身動きする。
「……優。私に従え」
「嫌だ」
父親の命令に逆らう。
睨み返すと、奴は初めて戸惑った顔になった。
俺は地面に落ちていた
俺は弓を力強く握って、自分の力で今度は逆に、その
お前は俺の武器になれ。
「ありえない……確かに私の血を濃く受け継ぐ以上、上位の力を持ってはいるが、使徒の規定から外れるなど」
何かぶつぶつ言っている父親に向けて、俺は弓を構える。
矢は無いが代わりに
イメージしながら
「喰らえ」
「!!」
悪魔は自分より上位の者に攻撃できない。
そのルールを破って攻撃を仕掛けた俺に、油断していた父親はあっけなく敗れた。
俺は日和の遺体を背負ったまま、長い通路を歩いて基地を出た。
途中で見かけた
よろめきながら基地の外に出ると、予想外の奴らが俺を出迎えた。
「神崎!」
阿部が日本刀で悪魔を切り捨てながら、俺に駆け寄ってくる。
下級悪魔を紙でも切るように簡単に倒すのは、俺の知る限り阿部くらいだ。その舞うような美しい動作を見て、少しぼうっとした。
「大丈夫か……おい?!」
「神崎くん!」
京都で別れた第七班の面々が、血だらけのお化けみたいな俺を取り囲む。
真っ暗な場所から急に明るい場所に出た時のように
夏見が呆然とした表情で、俺と、俺の肩で息をしていない日和を見ていた。
「神崎……」
「夏見さん……ごめん。日和を、守れなかった……」
そこで意識が途切れる。
この後、俺は数日もの間、高熱にうなされた。夏見がどう後処理をしたのか、日和の遺体をどうしたのかなど分からない。気付いた時には全て終わっていた。
父親の血を飲んで一時的に
辛うじて思い出せたのは、血の海で日和を抱いた記憶だけだった。
欠けた記憶のせいで、俺は
取り返しのつかない過ちを犯してしまったのだと思った。
合流した第七班と共に、京都で最後の戦いに赴いた後……俺は放棄都市・東京に一人旅立った。
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