第35話 邪悪
転移の間隔が分からない以上、突然イズモの前に
イズモの直前の予測出現位置、そこから更に計算した狙撃ポイントに向かって、俺たちは支援車両を全速力で走らせていた。
今はとっくに日が登って、昼の陽射しが疾走する車両を暖めている。
これから行く狙撃ポイントで、抗生物質の入った矢を受け取る予定なのだが……久し振りの物理的な普通の矢を使えるかどうか、少し不安だ。
「助けられたからって、ありがとうとは言わないわよ!」
「いや、そこは感謝しましょうよ」
俺に助けられたのを根に持っているようで、おかしな言い掛かりを付けてくる。
「
「ひとのフルネームを呼び捨てにするな」
「第一次EAST対抗部隊のメンバーと同じ名前よね。まさか本人じゃ、ないわよね?」
本人なのだが、そう言って信じるだろうか。
最初に会った時は博孝たちだって半信半疑だったのだ。
俺は「想像に任せるよ」とそっぽを向く。
どっちだっていい話だ。
「偶然よね……第一次EVEL対抗部隊の
「……」
博孝が腹を抱えて笑っている。
やめろ。しまいに殴るぞ。
「それにしても、なぜ
「まあそうだが、お前の
自分の武器を棚に上げてよく言うものだ。
ちなみに俺はゼロナンバーの
「刃で斬ることで、対EVEL自壊機能が効果的に働くらしいですよ」
付け加えるなら、銃と違って弾薬を用意しなくて済むし、物資が乏しい昨今の戦闘事情ではちょうどいいのかもかもしれない。
俺が答える前に、花梨は嫌そうな顔をして言った。
「学生らしい理屈っぽい答えね」
ひねくれた返事に閉口していると、みつるがノートパソコンから顔を上げずにコメントした。
「……花梨さんは八つ当たりで愚痴っているだけなので、真面目に答えない方がいいですよ。ちなみに女性が文句を言うと、男性は解決策を言えばいいと考えるそうですが、女性は解決策じゃなくて共感を求めている場合が多いんです」
なるほど。
冷静に分析された花梨は「言わせておけば」と額に青筋を立てている。
「特に葉月さんと話す時は気を付けた方がいいですよ、博孝さん」
「っつ?!」
続くみつるの台詞に、博孝は動揺した。
花梨も博孝も黙ったので、この場の勝者はみつるのようだ。
「おーい、合流地点に着くぞ」
運転席の竹中が振り返って告げる。
山間部を抜けたイズモCESTの支援車両は、小高い丘の上にある白凪城という崩れ掛けた史跡に到着する。もともと観光目的で整備された城跡だったのだが、今はすっかり荒れ果てていた。
支援車両を降りて、見晴らしの良い場所に立つ。
背後に海、目前にはイズモの街と、街を取り囲む寂れた田園地帯。
「神崎さーん!」
城跡から女性の弾むような声がした。
長い黒髪を腰まで伸ばした学生服の少女が、手を振っている。
「葉月?!」
博孝が目を丸くする。
そこにいたのは、イズモで俺たちの帰りを待っているはずの博孝の幼馴染み、葉月だった。
「なんでここにいるんだ?!」
「ハルちゃんが気になって、こっそり斎藤先生の車に乗り込んで来ちゃった。あ、ハルちゃん!」
葉月はハルに向かって無邪気に手を振った。
白衣を着た斎藤が困った顔で彼女の後ろに佇んでいる。
そうか、こっそり……。
「イズモの外は危険なんだ! 勝手なことをするな!」
博孝はすぐに烈火のごとく怒り出した。
しかし葉月は幼馴染みの怒りもどこ吹く風で、ハルに駆け寄って、手のひらに握っていた金色の缶を差し出す。
「はい、これ! 前に話したミクモ印の七色ドロップ。フルーツ味の飴玉だよ」
「……私が食べたいと言っていたから、持ってきてくれたのか」
ハルは困惑した様子で、飴玉が入った金色の缶を受け取った。
これは後から聞いた話だが、葉月の本当の目的は飴玉を渡すことではなかったらしい。彼女は、
だけどこの時の彼女の言動からは、そんなことは分からなかった。
「ふふ、私はハルちゃんのイズモの友達、第一号だからね!」
その笑顔が。
「え……?」
一瞬で消え失せると、誰が想像しただろう。
合流地点で俺たちは気が緩んでいたのだ。
「葉月っ!!」
少女の胸から鮮血が吹き出し、呆然とするハルの顔を濡らした。
黒い
「くそっ」
何故もっと早く気付かなかったのかと自分を責めながら、俺は咄嗟に
姿の見えない上級悪魔の攻撃が、俺の空間干渉を受けて
無理をした反動でこめかみがズキリと痛んだ。
「あははっ!」
少年の笑い声がこだました。
俺たちの上空に
いつか、博孝と出会った時に割り込んできた少年の姿をした上級悪魔だ。
「あの時は名乗り損ねたね。僕の名前は、シモン。使徒の末席を汚す
燕尾服を着た少年の背中には、コウモリ型の翼。
宙に浮かんでシモンは悠長に自己紹介した。
「このっ……!」
激しい怒気をにじませて博孝が
「あれ? 良いのかな? この女の子、死んじゃうよ~?」
シモンは瞬間転移で葉月の側に移動すると、血を流す葉月を抱えていたハルを弾き飛ばした。
葉月を人質に取られた。まずい……!
「ここに重傷を治すような機械や、奇跡を起こす魔法は無い。人間は脆いから、すぐに死んでしまう。でも
「貴様……!」
博孝が絶句する。
出血で意識の無い葉月を腕に抱え上げ、シモンは意味深に笑った。
「助けたいよね? もう時間はないよ。五分もしないうちに、この子はいなくなっちゃう」
「甘言を弄するな、悪魔!」
花梨が勇ましく叫んだ。
「私たちイズモCESTの使命は、悪魔から人間を守ることだ。そうだな、博孝」
「……」
「博孝?」
漆黒の刀の先が震えている。
博孝の葛藤を見通したようにシモンは笑った。
「そんなに悩む必要は無いのに。僕らは君たち地球の人間に、進化への選択肢を示してあげてるんだよ」
「進化への選択肢、だと?」
「身体が丈夫になって、多少の傷では死ななくなる。良いこと尽くめじゃないか!」
確かにその通りだ。
悪魔になった生命は、超再生能力と、進化もしくは変化の力を得る。しかし引き換えに理性や優しさという、只生きていくには不要だが人間としてもっとも大切なものを失ってしまう。
それはまさに、悪魔の誘いだった。
言葉を失う俺たちを眺めて、シモンは笑みを深める。
「ホウジョウヒロタカ君、この女の子を助けたいなら、その黒い刀で彼を斬って」
シモンは片腕を上げて、俺を指した。
悪趣味な筋書きの舞台だ。
しかし、真面目で直情的な博孝はきっと……。
「すみません、神崎さん……」
博孝は苦痛の表情を浮かべながら、ゆっくり刀を俺に向ける。
「あははははっ!」
シモンは哄笑を上げる。
俺は
上がってしまった舞台の幕を下ろすには、最後まで役を演じきるしかないのだ。
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