第31話 吸血

 森林地帯では悪魔の出現が少ない。

 悪魔の群れの生息ポイントが都市部に集中するというのも、なかなかに悪意を感じる話だ。

 夕方、イズモCESTの支援車両は山の中で休憩のため停止した。

 狭い車内から外に出て、俺たちはキャンプ用品のセッティングを始める。

 

 網で焼く食材を見た途端、俺は頬をひきつらせた。

 

「誰だ? 餅なんて持ってきたのは」

「俺です」

 

 四角い餅を指して問いかける。

 犯人は博孝ひろたかだった。

 

「膨らむし、腹持ちが良いし、餅、最高ですよね」

 

 他にも変なものがある。

 

「マシュマロは?」

「私ですー。キャンプで一回、焼いてみたくて」

 

 みつるだった。

 女子らしいチョイスだと言えなくもない。

 竹中のおっさんが手を上げる。

 

「俺はスルメを……」

「あんたには聞いてない」

 

 道理で熱燗の準備が荷物にあった訳だ。

 

「そういう神崎さんは何を持ってきたんです?」

 

 他人ばかり責めるなと、博孝が俺を半眼で見る。


「シシャモ。焼くと旨いぞ」

「……やっぱり持ってきてるじゃないですか」

 

 失礼な。シシャモは栄養があるんだぞ。

 

「……優。ごはん」

 

 後ろからハルが人差し指を口に入れてジッと俺を見ている。

 あえて無視していたんだけどな。

 その恨めしそうな視線に根負けした。

 ハルが言っている「ごはん」は人間の食事のことではない。

 

「ああ、分かった分かった。博孝ひろたか、ちょっとハルとその辺を散歩してくる」

「逢い引きですか?」

「ちげーよ」

 

 一応チームリーダーに一言断る。

 博孝は笑うだけで止めなかった。

 見た目に若い男女の組み合わせだから、確かに逢い引きに見えなくもない。だが博孝の場合は、自分の事を棚にあげて俺とハルをくっつけようとしている。さっさと葉月はづきに告白しろっての。

 俺はおざなりに手を振って、ハルを引きずりキャンプから離れた。

 

「もう少し我慢できないのか?」

「そう言うなら、もっと血を飲ませてくれ」

 

 ハルは頬をふくらませた。

 こいつの悪魔化を抑えるため、俺は仕方なく定期的に血を飲ませている。あと、新京都の実験のせいか、こいつはやたら悪魔を食いたがる。

 献血のために腕まくりしていると、ハルは別な要求を出してきた。

 

「腕からだと吸うのが面倒だ。首からが良い」

「ええ?!」

 

 俺は一瞬、吸血鬼が乙女の首筋に噛みついているところを想像した。

 現実は逆だ。

 なんで俺が食べられる側なんだ。

 

「却下だ。寒気がする」

「首からがいい。楽に吸えるし、たくさん飲めるし。首から吸わせてくれるなら、遠征中は我慢する!」

「そこまで食い下がるか……」

 

 最後の「遠征中は我慢する」の一言に、俺の決意は揺れた。

 遠征中に献血しなくて済むなら色々面倒が無くていい。

 ハルは子犬のような目で俺を見ている。

 

「……うう」

「優……ごはん」

「くそっ! 今回だけだからな!」

 

 俺はやけくそになってシャツの一番上のボタンを外した。

 ハルは伸び上がって俺の首筋に唇を寄せる。

 

「っつ」

 

 噛まれるとめちゃめちゃ痛い。

 吸血鬼ものでは快楽成分があるだとか、痛みに都合のよい描写があったりするが、残念ながら俺たちの間にその法則は適用されなかった。

 遠慮なく犬歯を立てるハル。

 覚えてろよ、と俺は歯を食いしばる。

 

「……いい加減にしろ」

 

 適当なところで、彼女の後ろ頭をつかんで押し返した。

 血がポタポタ襟首に落ちる。

 やば、服が汚れた。

 博孝たちに何と説明しよう。

 

「優の血は甘くて美味しい……」

「そりゃどうも」

 

 俺は首筋に手をあてて、自己治癒を高めた。

 悪魔イービルの再生能力が発揮されて、傷口はみるみるうちに塞がる。だが造血は追い付いていないようで、くらっと目眩がする。

 近くの木の幹に背中を預け、俺は呼吸を整えた。

 

「……最初に会った時、私は優のことを悪魔イービルかと思った」

 

 ハルが突然、呟いた。

 俺はズキズキする首筋に手を当てながら考えを巡らせる。

 

「お前は、悪魔も人間も皆殺してやると息巻いてたな」

「それは……」

 

 不意に、悪戯心が芽生えた。

 困ったように眉間にシワを寄せるハルに向かって笑いかける。

 

「もう諦めたのか? 今なら俺を簡単に殺れる。俺を喰えば上級悪魔に近い力が得られるぞ。強くなれば、もう虐げられることは無くなる。お前は自由になれるんだ」

 

 俺は首筋から手を離して、煽るよう指先に付いた自分の赤い血をペロリと舐める。ハルは甘いと言ったが普通の鉄錆びくさい血の味がするだけだ。

 ハルは俺の動作に食欲を思い出したのか、一瞬、息を呑む。

 しかしすぐに視線を逸らした。

 

「……嫌だ」

「何?」

「お前を殺したくない」

 

 ハルは下を向いたまま続けた。

 

「よく分からないが、これが楽しいという感情なのかもしれない。お前といると、この時間がもっと続けば良いのにと思う。この気持ちは、なんだ?」

「ハル……」

「私は、このままで良いんだ。そう、ここにいたい」

 

 自分の気持ちを確かめるように、ハルは言った。

 俺は奥歯を噛み締める。

 そうか。お前も変わってしまったんだな。

 ああ、そうだ。俺だってイズモで出会った奴らと過ごす時間が楽しくて、いつの間にか離れ難くなってしまっていた。

 俺はうつむいたハルの頭に手を伸ばして撫で、彼女を抱き寄せた。

 

「仕方ないな……って、ハル?!」

 

 顔を上げた彼女が、俺の口元に自分の唇をそっと押し付けてくる。

 これは……意味が分かってやってるのか?!

 

「葉月が、唇を合わせるとずっと一緒にいる約束になる、と言っていた」

「は?! そ、それは合意の元でやることだぞ! くそっ、葉月の奴、変な風に教えるなよ!」

 

 やっぱり分かっていなかった。

 無邪気に説明するハルに、俺は怒るべきか泣くべきか、頭を抱えた。

 ハルに正しい知識を教えるべきか悩んでいたところ、突然、脳裏にみつるの声が聞こえた。

  

『優さん、聞こえますか?! 今、私はテレパシーであなたに話しかけています。キャンプに悪魔が近付いているようなので、すぐに戻って来てください!』

「分かった!」 

 

 俺は取り急ぎシャツのボタンを止めると、亜空間から黒麒麟ナイトジラフの弓を取り出して、きょとんとしているハルと一緒に、元来た道を戻り始めた。

 

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