第7話 冤罪に対する疑念

「勿論、これ以上の見苦しい言い訳は止めにしろ、そういう意味に決まってるじゃないですか」


 士郎は浅野を睨み付けた。


「何だと…、教師に対して止めろ、だなんて礼儀も知らんのかっ!」


「浅野先生の口から礼儀なる言葉が聞かれるとは正に笑止千万…」


「何だと…」


「人に罪を…、タバコを吸った罪を擦り付けて陥れようとするような人間が礼儀を云々する資格はありませんよ」


「陥れようとなんかしてねぇよっ!」


「もうあんたの言葉には説得力がないんですよっ!ここまで証拠が揃った以上はねっ!」


 士郎も浅野に負けじと大声で怒鳴って反論した。士郎が大声を上げるのはこれが初めてであり、またそれは浅野にとっても初めての経験であった。生徒から怒鳴られることなど、これまで浅野の人生において一度としてなかったに違いない。それが初めて怒鳴られたので、驚愕の表情を浮かべていた。


「…図書室で部員と共にタバコを吸い、その吸殻をゴミ箱に捨てたのは浅野先生、あんたとそれにあんたの可愛い子分、もとい部員、ということですよ。そしてその翌日に図書室のゴミ箱からあんたは自分たちが捨てたタバコの吸殻を発見する演技をしてみせて、如何にもそのタバコの吸殻が俺たち図書部の部員がタバコを吸った何よりの証拠と、大袈裟に騒ぎ立てた…、そういうことでしょうがっ!」


 士郎は遂に浅野に対して先生という敬称を外し、あんたと呼んだ。それぐらいは当然、許される筈であった。


「違うっ!」


「何が違うんですか?」


「俺は本当に密告を受けて…」


「密告ねぇ…、あんたは図書室で俺たち図書部員がタバコを吸っている、という密告を受けて、それで図書室のゴミ箱からタバコの吸殻を見つけた、そう主張されていますが、そもそもそんな生徒は最初から存在しないんじゃありませんか?つまりはあんたの作り話、ってことだっ!そうなんでしょっ!?」


「違うっ!」


「だから何が違うんですかっ!」


「俺は本当に生徒から密告を受けたんだっ!だからそれで…」


「それじゃあその生徒を連れて来て下さいよっ!」


「それは…」


「それは、何なんですかっ!」


「出来ない…」


「どうしてですかっ!あんた、最初にこう言った筈だ。俺たち図書部の部員がタバコを吸っている現場を目撃した生徒から直に、つまり対面して話を聞いた、と。そしてその生徒の名前は明かさない、という条件で話を聞いたらしいが、今はあんたやあんたの可愛い子分である部員にタバコを吸った、という疑惑、それもただの喫煙疑惑じゃなく、俺たち図書部の部員に喫煙の罪を擦り付けようとした、という疑惑がその身に降りかかっているんだから、今こそその俺たち図書部の部員の喫煙現場を目撃したとかいう生徒の名前を明かすべきなんじゃないんですかっ!」


 士郎のこの言葉には保科を始めとする教師連は勿論のこと、壇上に並ばされている剣道部の部員までもが頷いた。


「それは…」


「それは、何なんですかっ!」


「だから出来ないんだ…」


「出来ない、出来ないって…、この期に及んで一体、どういう料簡なんですかっ!」


「料簡も何も…」


「だってあんたはその生徒から直に対面して話を聞いたんでしょう?」


「いや…」


「いや、って何なんですか?」


「それは…、違うんだ…」


「違う?何がどう違うって言うんですかっ!」


「だから…、直に対面してその生徒から話を聞いたわけじゃないんだ…」


「何ですってっ!?」


 士郎は大袈裟に驚いてみせた。


「だってあんた、この壇上で堂々と言ったじゃないですかっ!俺たち図書部の部員がタバコを吸っている現場を目撃した生徒から直に対面して話を聞いた、と。そう堂々と言い放ったじゃありませんかっ!あれは嘘だと言うんですかっ!」


「…そうだ」


「どうしてそんな…、最も大事な部分で嘘をついたんですかっ!」


「それは…、そっちの方が説得力があると思ったから…」


「説得力ですってっ!?どんな説得力があると言うんですかっ!」


「だからっ!密告電話を受けて図書室のゴミ箱を漁った結果、タバコの吸殻を見つけた、っつうよりも直に対面した生徒からその…、お前たちが図書室でタバコを吸っている現場を目撃した、って話を聞いてそれで図書室のゴミ箱からタバコの吸殻を見つけた、っつう方が説得力があると思って…」


 浅野の告白に教師連は皆、呆れ果てていた。


「それで直に対面して、何て嘘をついたわけですかっ!」


「ああ…」


「あのねぇ、浅野先生、今回の図書室での喫煙疑惑、その端緒、きっかけともなる導入部でそんな嘘があった、となればもう誰も浅野先生の話なんか信用しませんよ?」


 士郎の言葉に教師連は皆、大きく頷いた。


「違うっ!俺は本当に何もやってないんだっ!俺は無実だっ!絶対に俺は何も…」


 浅野はそう叫ぶと驚いたことに涙を流し、嗚咽しながら壇上の床に膝から崩れ落ちたのだ。そんな浅野の口から発せられたのは俺、俺、俺、と自身のことばかりで、可愛い子分である筈の剣道部員の存在はそこには微塵も窺えなかった。


 自己保身の塊、そう形容するしかない浅野の醜い本性を間近で見せ付けられた浅野の子分である剣道部員はこれまで顧問の浅野のことを兄貴と慕っていただけにさぞかし肩を落としたに違いなかった。事実、泣き崩れる浅野を見詰める剣道部員の視線には皆、一様に軽蔑、侮蔑、といったものが含まれていた。


 結局、浅野はその場に泣き崩れたまま自力では立ち上がれないらしく他の教師が浅野の腕を取って、それはまるで刑事が被疑者を連行するように、壇上から無理やり引き下ろすと体育館から連れ出した。浅野は体育館から連れ出される際にも、「俺はやってないんだぁっ!」と絶叫して暴れる素振り、いや駄々を捏ねる、と言った方が正確だろうか、ともかくそんな醜態を晒したものだから、両腕を取っていた体育教師から、「いい加減にしろっ!」と一喝され、並んでいる生徒から失笑を買う始末であった。士郎もニヤリと笑みを浮かべた。


 壇上に残された浅野の子分、いや元子分、と言うべきか、剣道部の部員たちはと言うと為す術もなく呆然とした様子で佇んでいた。そんな剣道部員に対して学園長の保科から、「更に詳しい話を聴く必要があるので別室待機を命ずる」とその場で言い渡されるとその瞬間、一斉に壇上に残っていた体育科の教諭に取り巻かれた。さきほど剣道部員が保科に詰め寄ろうとしたので、そんなロクでもない剣道部員のことだから別室待機を命じた保科に何を仕出かすとも限らないと、不測の事態に備えての措置であった。剣道部員は体育教師に取り巻かれると壇上から引き摺り下ろされて、やはり浅野と同様に被疑者が連行されるが如く、体育館から連れ出された。


 思いもよらない展開に体育館内は騒然とした様子に包まれた。館内に集められた生徒たちは互いにヒソヒソ話に興じていた。そんな騒然とする中、「静かにっ!」と保科が壇上中央の演壇からマイクを通して怒鳴ったかと思うと、


「今日のことは絶対に他言しないようにっ!」


 そう命じて全校集会は終わりを告げた。士郎は壇上から降りる際、全校生徒から好奇の目で眺められた。もう少しヒーロー視してもらっても良さそうな気がしたのだが、まあ良いだろう、と士郎は自分を納得させた。別段、士郎はその手の視線を受けることを期待しているわけでもなく、それどころか煩わしくさえあったからだ。


 壇上から降りると照雄とも目が合ったので、士郎としては、


「身の潔白を証明出来て良かったな」


 そんな言葉を期待したのだが、照雄は士郎のそんな淡い期待に反して、士郎にその種の言葉をかけることはなく、それどころか暗い表情をしてみつめた。それが士郎には妙に気になり、心に引っ掛かった。


 そしてその日は全校集会を終えると全ての授業が中止となり、そのまま帰宅という流れと相成った。今日は土曜日でもあるのでそんな措置が取られたのかもしれなかった。そしてその日、士郎は照雄から声を掛けられることはついぞなかった。別に淋しくはなかったが…、断じて淋しくなどなかったが、それでも照雄の様子は気にかかった。冠(かん)もそれは同じであるらしく、「どうかしたのか?」と教室に戻るなり、照雄の席まで近付いてそう尋ねたものだが、照雄からは、


「何でもない…」


 という答えが返ってくるばかりであった。もしかしたら梶川の真後ろにいた俺のことを気にしているのか…、士郎はふと、そんなことを思った。


 その日は授業と共に部活も中止となったので、珍しく午前10時には学校から解放されることになった。


「一緒に帰ろうぜ」


 冠は照雄と士郎に声をかけた。きっと照雄の様子が未だに気になっていたのであろう。それは士郎も同様で冠の誘いにどんな反応を示すのか、士郎には大いに興味があった。すると照雄は士郎の方をチラチラと見た。やはり俺が邪魔なようだな…、士郎はそう察すると、


「悪いが今日は遠慮する。どうしても外せない用事があるからな。悪いが、梶川と一緒に帰ってくれ」


 そう答えた。お邪魔虫になるのは士郎の趣味ではなかった。


「そうか…」


 冠は本当に残念そうであったが、それとは対照的に照雄はどこかホッとした様子を浮かべていた。


 士郎が先に教室を出ると、「おい」と冠は照雄を咎めた。


「何だ…」


「何だ、じゃねぇよ。どうして士郎を邪魔者扱いすんだよ」


 どうやら冠も気付いていたようだ。


「ちょっと…、気になることがあってな…」


「気になること?」


「ああ」


「何だ?士郎に関することか?ああ…、それで士郎が邪魔だったのか?」


 冠は勘を働かせた。


「まぁ…、そういうことだな…」


 照雄はそう答えると、周囲を見回した。どうやらクラスメイトが聞き耳を立てていたらしく、照雄は口を閉ざすと、「ともかく外へ…」と冠を誘って教室から外へと出て、そして校外に出るまで口を開かなかった。


 そして校外に出たところで、「それで気になることって…」と冠が促した。


「吉良のことなんだが…」


「ああ。冤罪が晴れて良かったよな」


 冠は無邪気にそう答えた。


「本当に冤罪だったんだろうか…」


「おいおい、今になって何言ってんだよ。最初に士郎が…、士郎たち図書部の部員がタバコを吸ってたんじゃねぇかって疑惑に異議を唱えたんはお前だろ?」


「確かにそうなんだが…」


「それじゃあ何か?やっぱし士郎はタバコを吸ってたって、そう言いたいのかよっ」


 冠の口調は自然ときつくなった。


「いや…、そう言うつもりはないんだが…、でも…」


「でも、何だ?」


「あいつ…、吉良なんだが…、一瞬、笑ったんだよ…」


「笑った?」


「ああ。浅野が体育館から連れ出される際、笑ったんだよ。それも嘲笑うって感じで…」


「そりゃ、士郎の立場からすれば嘲笑いたくもなるだろうぜ。俺だってそうするよ」


「そう…、かも知れないが、でも…」


「でも、何だよ」


「やってないって…、浅野の叫びがどうにも…」


「気になる、ってか?」


「ああ…」


「それじゃあ浅野こそ冤罪の被害者だ…、とでも言いたいのかよ」


「その可能性もない、とは言い切れないだろ?」


「馬鹿言ってんじゃねぇよ。そんなことある筈ねぇだろうが。第一、どうやって嵌めるんだよ」


「それは…、まだ分からないが…」


「考え過ぎだ、考え過ぎっ」


 冠はそう言うと、照雄の背中を思い切り叩いた。まるで馬鹿な考えを吹き飛ばすかのように。だが照雄は背中に痛みこそ感じたものの、自分のその馬鹿な考えを吹き飛ばすにはいたらなかった。

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