Ⅸ
その日の朝は、何ら変わったことの無い、至って日常的なそれだった。
「おはよう、晃くん」
「おはよう、瑠美」
僕よりも早く働きに出る瑠美のため、僕は彼女よりも早く起き出して朝食を作る。すっかり身支度を終えてスーツ姿でテーブルについた彼女の前に、僕はトーストとサラダ、スクランブルエッグの皿をテンポ良く並べた。
「今日も美味しそうね」
瑠美が微笑む。
「またまた、瑠美の方が料理上手な癖に。──さ、冷めないうちに食べよう」
「そうね。──いただきます」
「いただきます」
毎日のことながら、瑠美は本当に美味しそうに食べる。彼女の方が料理上手なのは自明なのに、それはもう幸せそうな顔をして食べるのだ。僕は、この朝食の時間が好きだった。
「あ、そういえば、晃くん」
「うん、どうした?」
「今日の帰りは残業で少し遅くなりそうだから、先に寝ててくれる? 夜ご飯は昨日のうちに作り置きしておいたから、レンジでチンして食べてね」
「分かった。無理しないようにね」
「うん。──……それと、明日時間があったら……私の部屋に、掃除機をかけておいてもらえる?」
「それはいいけと……どうかしたの?」
奇妙な間といつもとはどこか違う声音に違和感を覚え、そう問いかける。しかし瑠美は「ううん、どうもしないよ?」とだけ返事をし、
「じゃあ、私そろそろ行くね」
と席を立った。
──まぁ、本人が言いたがらないのなら深く追求すべきではないだろう。
瑠美を見送るため、僕は玄関へと向かう。
「それじゃあ、行ってきます、晃くん」
「行ってらっしゃい、瑠美。お仕事頑張ってね」
「うん、ありがと。じゃあね」
瑠美を見送ると、僕は家事に取り掛かる。朝ご飯の洗い物と洗濯、掃除が僕の担当だった。買い物やら何やらは瑠美の分担だ。
同棲にもすっかり慣れて、僕らの生活は事実婚と言っても差し支えのないものになっていた。そのうちしっかりプロポーズをしたいと考えているが、如何せんバイトの僕には金がない。瑠美に内緒で少しずつ貯金をしてはいるのだが、果たして婚約指輪を買えるのはいつになることやら。まぁ時間はたっぷりあるし、ゆっくり貯めればいいのだが。
──そう。あんなにも愛した彼女と、事実上は家族であり、互いに人生の伴侶であるのだ。
僕はこんなに幸せでいいのだろうか。少し前まであんなに暗く狭い人生で、一生このまま独りでいるのだと信じて疑わなかったのに。僕を探し出してくれた瑠美には幾ら感謝してもし足りないくらいだ──一生かけて彼女を幸せにすることで、その感謝に代えたいと心から思う。
「……そろそろ僕もバイトに行く支度をしなくちゃな」
出来ることなら僕の稼ぎがもっと増えて、彼女を専業主婦にしてあげられるといいのだが。彼女は今日も残業だというし、なかなか大変そうにしている。彼女は僕を見つけ出してくれたというのに、何もしてやれなくて不甲斐ないばかりだ。
──バイトに出る支度をしながら、ふと僕は、出掛けに彼女が言ったことを思い出した。
「私の部屋に、掃除機をかけておいてもらえる?」──これは一体、どういうことなのだろう。普段は自分の部屋の掃除は自分でやると言っているので、てっきり部屋に入ってほしくないものだとばかり思っていた。部屋に立ち入るだけの信頼を得たという見方も出来るが、それにしてはあの妙な間が気になる。
僕は出掛ける前に、少し彼女の部屋を覗いて行くことにした。
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