あれから数ヶ月の時が経った。


 僕らの関係は至って良好だった。週末が来れば、いつもどちらともなく会おうと言い出した。その時間が何よりも愛おしくて、昨日会ったばかりだというのにもう会いたい気持ちを堪え、またそれぞれ一週間を過ごす。

 ──互いが互いに完全に体重をかけ合うのを恐れている感覚は、何となく残っていた。



 今日はというと、如月さんの提案で花見に来ていた。とは言っても、レジャーシートを広げてするような大袈裟なものじゃない。地元で少し名の通った桜並木を、僕らはゆっくりと歩いていた。


「たぶんね、青山くん。あなたを探しているうちに、失恋して自分の内面を知って弱った私の心が、あなたに縋ってたんだと思うの」


 なんだ、そりゃ。

 僕は不満げにそう言ってみせる。僕はずっと君を愛したままだったというのに──君は、縋っていられたら誰でも良かったのかい? だいたい、そんな大昔に付き合っていた相手にそんなふうに縋って、僕じゃなければ君は最悪然るべき機関に通報されていてもおかしくはないじゃないか。一応、僕のことをストーキングしていた訳だろう。


「そうね、普通なら……そうなのかもね。──でも、あなたとなら、が成立するんでしょう?」


 僕を振り返っていたずらっぽく笑う彼女に、苦笑して答える。


「仰るとおりで」


「よろしい」


 まったく如月さん、君ってひとは──そう言って呆れたふりをしてみるものの、僕は、内心ではなるほどな、と得心していた。


 僕らは同じ弱みを抱えた、似た者同士だ。この先の人生、誰も愛せず誰にも愛されない、と同じ絶望に打ちひしがれて、きっと同じように自分を嫌いになった。その癖周りのような軽い恋愛観を持つ気にはなれず、どこか自分の恋愛観が「正しい」ものと確信し心の奥底では誇りに思っていて、そんな自分が余計に嫌になった。


 けれど僕らには、こうして似た者同士で寄り添い、愛し合って生きていくという道が残されていたのだ。早々に心を閉ざすことを選んだ僕と違って、僕を探すという選択をした如月さんは僕より一枚上手だった。──そして、そんな彼女に、僕はこうして救われた。



 僕はこんなにも彼女を愛している。そしてその彼女は、僕に追い縋り、僕を見つけてくれた。僕の隣に来てくれた。あぁ、彼女が堪らなく愛おしい。



 二度と──二度と、この幸せを手放したくない。そう思った。



 この幸せに終わりがあるかもしれないことを想像すると──堪らなく、この幸せな時間の重なりが恐ろしいものに感じられた。


 もっと確実に、僕の隣に彼女がいる証拠が欲しい。彼女の存在が僕の中で少しも揺らがないようなのが。どうしようもない恋愛観に縛られた僕らには、互いに互いしか居ない。だから、もっと僕らが互い以外の何処にも行かないような、行けなくなるような。この幸せが酷く不確実なそれだと知っていたからこそ、ある筈もない確実が欲しくてたまらなくなった。


「──……ね、青山くん」


 ふと隣で、金の小鳥の囀りのような、甘い囁き声がした。


 彼女は徐に立ち止まると、僕の肩にトンと体重を預けた。風が吹いて、すっかり伸び元の色に染め直しもした彼女の黒い長髪が靡く。病的に白い桜吹雪が妖しいくらいよく映えた。ふわり、鼻をつくシャンプーの香り。

 この間外れた心の箍とは別の何かが、揺らいで、くらりとして、何かを手放しそうになる──


「なに? 如月さん」


「青山くん。──あのね」


 彼女の声が近い。耳元より近い心の芯の部分に直接吐息がかかるような、そんな心地だ。心臓の音が妙にうるさい。駄目だ、それを手放しては駄目だ。そんな僕の意に反して、心拍はどんどん上がり、彼女以外の全てが遠のいてゆく。あぁ、もういい、このままでいい。全て、彼女に占拠され、満たされてしまえばいい。そして、完全に彼女で満ちた時、僕は、僕で、彼女を──


「──今日、行きたいな。青山くん……晃くんの、お家」


 囁き声に妖しい色が混ざって、どうやら僕は完全にそれを手放したらしく。


 ──気付けば僕は、首を縦に振っていた。


「うん。いいよ、おいで──瑠美」




 ──その夜、僕らは交わった。

 互いの存在が消えないよう、一切の不安を振り払うように、ひたすらに互いと絡み合うように触れた。求めても求めても彼女の存在は揺らがなかった。今度は彼女を僕で満たし、僕で縛ろうと思った。以前なら微塵も浮かばなかったであろう考えだ。だが今の僕には、僕が彼女に満たされ、縛られたいのと同じように、彼女もまたそれを望んでいるという奇妙な確信があった。そして、それが全てだった。



 互いが果て、全てが済んで──ある筈のない確実を、僕は確かに手に入れた、と。

 そう、確信した。

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