最終話・手をとって、歩いていこう(後編)

 わたし以外はみんな、ガチンガチンだった。

 …えっと、おばあちゃんはそうでもないかもしれないかなあ。




 翌々日の日曜日、わたしは秋埜を家に招いていた。

 結納をするためである…っていうのは一種の例えなんだけど、まあ大体やることは同じじゃないのかな。

 つまるところ、秋埜を家族に紹介するため、なのだった。もちろん、わたしの恋人として、だ。


 その意図を告げてなかったものだから、家の前まで来ていた秋埜はさんざんぐずっていた。

 そーなるんじゃないかと思って近くまで迎えに来ていたのが幸いで、家に入ってから修羅場ることだけは避けられたのだけれど、まーそれでもわたしをお父さんに紹介したときのスパッとした格好良さは何処へ行ったのやら。


 「…だって、うちの父さんとは事情が違うじゃないすかー…。センパイ、あらかじめ知らせてあったりしてないんでしょ?」

 「そんな時間無かったし。それに秋埜いい子だから大丈夫だよ」

 「まさかの根拠ゼロ?!」


 わたしにとっては十全の信頼なんだけどなー。

 でもずうっとここでこーしてるわけにもいかないし。


 「…そこまでわたしのこと信用出来ない?」

 「そーいう言い方すればうちが言うこと聞くと思ってません?」

 「思ってないよ?秋埜は最後はわたしのこと信じてくれるって、思ってる」

 「…センパイ、ずるい……」

 「にしし」


 わたしは我ながら人の悪い笑顔で、ほとんど引きずり込むように秋埜を家に迎え入れたのだった。




 そして今に至る。

 面識自体はあったから、最初のうちは二人で畏まっている以外は和やかな雰囲気だったのだろうけど、わたしが秋埜とつきあっていることを告げた後は、とにかく沈黙が続いていた。

 …そりゃあね。一人娘の行状としてはあんまり一般的じゃないだろーから、気持ちは分かるんだけど。

 そろそろ何か話して欲しいんだよね。…間が持たないったら。


 「…えと」


 意外にも最初に口を開いたのは秋埜だった。

 遊びにくるくらいのつもりだったから、恰好はいつも通り…んー、いつも通りよりかはちょっとボーイッシュなパンツルックで、おめかししてるのは分かるけどこーいう席に相応しいかどーかは、疑問。知らせてなかったわたしが悪いんだけどね。


 「あの、こーいうことになってますけど、うち…わっ、私としてはものすごく真剣なので、センパイのことは叱らないであげて欲しい…です。そもそもうち…じゃなくて私の方から先に好きになったノデ…」

 「あ、いや…その、鵜方さんが悪いということではなく、うちの娘の方が至らないばかりにそんなよそのお嬢さんに頭下げさせることになりまして…」


 おとーさん。至らない自覚はあるけど、とりあえず秋埜に余所余所しいのはなんとかしてくれないかな。「よそのお嬢さん」てもう少し言い方あるんじゃないの。

 けど、困惑してはいるだろーから、わたしは何も言わないでいる。


 …別に、喜んでもらいたいとまでは思ってないんだ。ただ、わたしが秋埜と一緒にいることを認めてもらいたいだけ。最悪、勘当だけされなければ十分、ってくらいにさえ、わたしは思ってる。

 あと、秋埜が傷つくことだけは、絶対に避けないといけない。

 …のだけれど。


 「…ま、当節ひとの好き合う形にはいろいろあると聞くからねえ。まさか孫が、とは思わなかったけれども。…いいよ、麟ちゃん。好きなようにしなさい」

 「おばあちゃん…」

 「………ありがとうございます」


 まさか、おばあちゃんが真っ先にこう言ってくれるとは思わなかった。

 驚いてあんぐり口を開けてるわたしの隣で、秋埜は深々と頭を下げていた。


 「秋埜ちゃん。まあ高房が言った通りに至らない子ではあると思うけれど、お互いに好いているのなら言うことはありません。どうか、自分たちに恥じない生き方をしてください」

 「はい…」

 「…うん」

 「ちょっと、お義母さん…そりゃあ私だって物わかりの悪い親を演じるつもりはありませんけれど、そんなにあっさり認めてしまっていいものなんですか?」

 「そうだね…割と奔放な子供だったけど、ちょっと想像もしなかったのだから、少し考えてみた方がいいんじゃ…」

 「お黙り」


 お父さんとお母さんの反駁を、おばあちゃんはピシャリと一言で切って捨てる。


 「大体、二人揃ってあいさつにくるだけまだマシというものじゃないの。高房、瑛子さん。あなたがたがろくにお互いの親と決着もつけないで駆け落ち同然で結婚したのと比べれば、まだこの子達の方がしっかりしてます」


 え、それは初耳…。

 思わず秋埜と顔を見合わせるわたしだった。


 「お義母さん、麟子の前でする話じゃないでしょうに…」

 「そうだよ。それに最後まで認めなかったのは母さんの方だろう。麟子が生まれてから行ったらあっさり認めてくれたけど」


 あは、わたしには妙におばあちゃん甘いと思ってたけど、そんなことがあったんだ。


 「………っ」


 秋埜も隣で俯いて、必死に笑いを堪えてる。

 なんだかそんなことにホッとするわたしだった。


 「いや二人とも、それこそここでする話じゃないでしょうが。ほら、秋埜ちゃんにも笑われてますよ」

 「あ、スイマセン、とっても仲がいい一家だと思って、嬉しくなってました」

 「いーよ、秋埜。思いっきり笑ってやって」

 「こら、調子にのるなバカ娘」


 バカはないでしょーが、バカは。

 欠けまくった威厳を取り繕おうとするお父さんに、わたしはしかめっ面で舌を出してやる。


 「……なんだかなあ。麟子がいきなり反抗期になったみたいで…親としては戸惑うばかりだ」


 そりゃーまあ、際だって親に反抗するような子供ではなかったと思うけど。

 でも、それってね。


 「…けっこう、お父さんもお母さんも、わたしの好きにさせてるようで、実はわたしが自分でも危なっかしいって思うような時には、ちゃんと叱ってくれたからね。それが分かるくらいに育ててもらって、そこは感謝してます」


 目に見えて反抗するような理由も無かったからなんじゃないのかな、って。


 「………」

 「………」


 わたしの言葉に、お父さんとお母さんはちょっと唖然としてる。

 今までこーいうこと言ったことはなかったけど、小学生の頃にガキ大将じみた真似してた時分には、娘らしくしろとか女の子がはしたないとか、そういうことは言われなかったことを思うと、そんなにズレた発言じゃないんだけれど。

 小学校卒業も間近になったら、男の子とけんかするのは危ないからやめなさい、って言われたことも含めて、ね。


 だけど、秋埜とのことは、別。

 わたしが、お父さんとお母さんに止められるような悪いこと…って、それはまあ、世の中のじょーしきだとか、親としては孫の顔が見たいとか、そーいうことに照らしてみれば納得いかないだろう、って思う。

 それでも、家族を捨てないで、秋埜と一緒にいたいって思うのは、わたしのワガママなんだろうか。…そうじゃないよね。

 だから、わたしは少なくとも、秋埜とわたしの家族にだけは、分かって欲しい。

 秋埜のお父さんは少し困った風ではあったけれど、秋埜の意志を尊重してくれた。

 わたしがわたしの家族にそれを願ったとしても、そんなに人の道から外れた所業なんかじゃあない、って思うんだけどな。


 どうかな、お父さん、お母さん。


 「………分かった。いや、納得はしていないけど、麟子の意志が固いのは分かった。あまり無茶なわがままは言わない子だったから、ちゃんとした関係でいられるのなら…まあ、別れなさいとかそういうことは言わないでおくよ。良いかい?瑛子」

 「………仕方ないわね。麟子、でもちゃんと自分たちの行動に自分たちで責任をとれるようになるまでは、困ったことがあったらちゃんと相談しなさい。秋埜ちゃんも。お父さんがいらっしゃるんでしょう?」

 「はい。うちを大事にしてくれる父さんですから、うちも大事にしてます」

 「こういうことをきちんと言葉にしてくれる子ならね。まあ、麟ちゃんもいい人を見つけたもんだねえ」


 おばあちゃんの感慨には、さすがにお父さんもお母さんも複雑な顔をしていたけれど。

 でも、こうしてわたしには、秋埜と一緒にいてもいいって言ってくれるひとが、増えたんだ。



 ・・・・・



 「センパイのにおいだー」


 わたしの部屋に入るなり、ベッドにダイブする秋埜。

 そしてそのまま掛け布団を抱いてゴロゴロする。

 …かわいいと言えばかわいいんだけど、なんだか精神的な平穏が侵されてるみたいで、あんまり長くやらせておきたくはない。



 あの後は何となく、わたしの子供の頃の話で盛り上がって…というか、ほぼ必然的に秋埜の子供の頃の話にもなったので、二人揃ってそれは勘弁してほしい、とわたしの部屋に逃げ出してきたのだった。

 きっと今頃は三人で、どーしよーかー、って呑気に考え込んでいるんじゃないかなあ。そしていつの間にかやっぱりわたしの小さい時を思い出してしんみりしてるとか。

 …さっさと逃げ出してきてよかった。


 「秋埜、何か飲み物欲しい?」

 「んー、いえいいです。それよりセンパイ、ちょっとこれ見てくれません?」


 わたしのベッドの上に寝っ転がってスマホを見ながら、秋埜がわたしを呼ぶ。また何か変な動画でも見つけたのかな。


 「なに?」

 「センパイ、そこじゃなくて、こっちこっち」


 と、自分の隣のスペースをぱんぱん叩きながら言う。つまり、こっちに来て一緒に横になれ、というわけか。

 わたしはベッドに腰掛けて秋埜の手元をのぞき込もうとしてたのだけれど、ベッドの上で横に…とか考えて妙な気分にならないよーに注意しつつ、秋埜の右側で肩がくっつくくらいの体勢になる。


 「で、どうしたの?」

 「この写真に、覚えがないですか?」

 「え?……あっ…、これ…」


 秋埜がわたしに見せたスマホの画面には、ちょっとピントが合ってないような、少しぼんやりした感じの写真ではあったけれど、小学生のわたしと秋埜、二人が揃って写っている写真があった。


 来ている服からすると冬の終わり頃なのだろうか。

 そこに写る秋埜は、髪の色こそ今と同じようなキレイな栗色なのだけど、クセはまだそれほどなく、長さも今のようにたっぷりとはしていない。


 そしてわたしの方は、と言えば…これがまあ、髪はショートというにも及ばないくらいに短いくせにボサボサ、おでこと鼻の根のところにばんそうこうが貼ってあり、なんだかさっきまでとっくみあいのケンカでもしていたんじゃないだろうか、って有様なのだった。


 「…センパイ、懐かしくないですか?」

 「……うん。でも秋埜、この写真わたしも持ってる」

 「え?」


 わたしは自分のスマホをポケットから出して、最近家のハードディスクから見つけた、同じ写真を秋埜に見せた。


 「あ、ほんとだ…やっぱりセンパイも持ってたんですね」

 「持ってたっていうか、見つけたんだけどね……えーと、これを言うと秋埜が怒るかもしれないけど、大智の写真眺めてた、ときに…」


 そーなんだよなあ。わたしが女々しくもそーいう真似してたときのことなんだから、怒られたって仕方ないんだけれど。


 「それくらいのことじゃ怒りませんてば」


 なんだか、寛容っていうよりかは、もう大智のことなんか問題にもしてないって感じなのだった。


 「でも、センパイも持ってたってことは、やっぱりあの時いた人にもらったんですね。チー坊か、緒妻センパイか、わかんないすけど」

 「…どういうこと?」

 「この写真、うちが転校してく時に誰かにもらったものだったんすよ。紙の写真にプリントしたやつで。これは、スマホに入れておきたくてスキャンしたのです」

 「それが、大智か緒妻さんにもらったものだって?」

 「…なんじゃないかなあ、って。まあでも、別に誰にもらったのかっていうのは、そんなに気になるわけじゃないんですけどね。でもセンパイ。この写真、どーすか?」

 「どうって…」


 わたしは、自分のではなくて秋埜の手元にあるスマホの中の、わたしたちを見る。

 どういう状況で撮った写真なのかは覚えていないのだけれど、両の手を拳に握り、秋埜は涙をこらえるように、歯を食いしばっていた。

 そしてわたしはどうなのかというと…これがまた何と言うか、ひどく大人ぶったように、まだこの頃はわたしより背の低かった秋埜の右の肩に手を置いて、ちょっと下から覗くようにして、引きつった笑みを浮かべていた。


 「…わたし、なんでこんなひどい顔してたんだろ」

 「うちは覚えてますよ。この写真、転校前に最後にセンパイに会った時の写真です。転校することはセンパイには言えなかったですけど、もうこの人に会えないって思ってたんで、でも泣きながらお別れするのもイヤで、うちは無理矢理笑おうとしてたんです」

 「…そっか」

 「そしてセンパイは…やっぱりうちのこと励まそうとしてくれてたんじゃないかなあ、って」


 秋埜は、ほうっと吐息を一つつくと、改めて写真に見入っていた。


 「ほら、やっぱり子供のやることっすから、うちの様子で察してたんじゃないかな、って。それでうちのこと、笑って見送ってくれようとしたんじゃないかなって。そう思うんですよ」


 …本当のところ、わたしには分からない。

 よく覚えていない…というよりも。

 この頃と今のわたしの間には、昔を忘れてしまいたかったわたしがいたから、置いてきたものの中にこのこともあったのかもしれない。

 薄情だなあ、って思われるかもしれなくて、でも確信も持てなくて。

 わたしは困った顔を秋埜に向けるのだけれども。



 「そう思って、うちはずっとがんばってきました」



 秋埜は、わたしが済まないって思ってることなんか、とっくに飛び越していた。


 「小学校も六年生で転校ってなると、引っ越していった先でもいろいろあったんです。中学も、簡単には馴染めなかったりもしました。でも、この町を一度去るときにセンパイが送ってくれたから、って思って、それに恥じない自分でいたくて、うちはがんばりました」


 だから、そんなことは秋埜にもわたしにも、どうでもいいことなんだなって思う。


 写真を眺めながら眩しそうに語る秋埜の横顔が、なんだか気恥ずかしくて見ていられなくなり、わたしは写真に目を戻す。


 「ね、センパイ」

 「うん」


 すぐ隣から聞こえる秋埜の声は、いつもの通りにわたしの耳朶をやさしくくすぐる。


 「この写真のころのうちらに、もうすぐ二人は恋人同士になるんだよ、って教えてあげたら、どー思うですかね?」


 また難しいことを聞くなあ、って、答えが分からないのではなく、少なくともわたしは…、


 「…きっと、意味が分からなくて、気にもしないと思うよ。わたしは」


 自分に関してはどーでもいいってこの頃は思ってただなんて、そんなかっこ悪いこと言えないもの。


 「……そーかもですね。でもうちはきっと、絶対にまたこの町に戻ってきてやるから、って決心してたと思います」

 「実際戻ってきてるじゃない。同じことなんじゃない?」

 「違います。全然違います。未来を知っていたら、センパイと同じ高校に入学して、その日のうちに会いに行って、熱烈な告白をしてると思います」


 ああ、それはまったく今の秋埜らしーかな。

 でも現実はわたしの方から行ったのだから、ホント、偶然ってやつは…面白い。


 「………なに?」


 気がつくと、秋埜がじーっと、わたしを見ていた。顔が赤く、瞳は潤み、つまりこれは、しるし。


 「…センパイ。なんかくっついていたらセンパイが欲しくなりました。キスしていいですか?」

 「秋埜からするの?」

 「おとといはセンパイからしてくれました。だから今度は、うちからします」


 わたしからって…あれ、失敗してたじゃない。


 「…あれはノーカン。なので、わたしからする」

 「……センパイ、妥協案」

 「なに?」

 「一回ごとに、するのとされるの、交代しません?」

 「さんせい。それなら最後のキスがどんなだったか、絶対忘れないものね」

 「じゃあうちからー…」

 「あれは失敗だからカウントしないで、って言った」

 「でも接触はしたじゃないですかー」

 「それなら聞くけど。あれが初めてだとしたら、秋埜はあれをファーストキスだって認める?」

 「………ないですねー」

 「でしょ?」

 「なら今日の所はセンパイから。はいどーぞ」


 目をつむった隣の秋埜に、わたしは


 『ふたりともー?お昼ご飯出来たから降りてらっしゃーい!』

 「………」

 「………」


 …余計な遊びしていないで、さっさとすればよかった。


   ・

   ・

   ・

   ・

   ・


 「しっかし、二人とも物好きだよな。なんで自分のトコの卒業式ほっといて、よその学校の卒業式に顔出すわけ?」

 「卒業を祝いたくなるよーな同高オナコーの先輩いないしね」

 「右に同じくー。あとやっぱり緒妻センパイの卒業なら、パーッとお祝いしたじゃんねー」



 三月、吉日。

 緒妻さんの、卒業式。

 春から大学生になる緒妻さんの晴れの姿を見に来ようと、同じ日の我が校の卒業式をサボって、秋埜と二人で駆けつけたわけなのだった。


 緒妻さんは第一志望の国立に難なく合格。大智がケガしたときのあたふたした状況を思い出すとちょっと驚きだとは言えるけど、勉強についてはすごく効率のいい人で、勉強した量以上の成果を出してしまうのだから、当然と言えば当然だった。…きっちり努力した分しか成果を上乗せ出来ない、わたしのような努力家タイプにはとても羨ましい話だ。


 そうそう、後期の期末については、中間の悲惨な結果を踏まえて猛勉強したので、一桁は回復出来たんじゃないかな、と思う。

 一緒に勉強してた秋埜が、勉強しにきたのかわたしとくっつきにきたのか分かんなくて、かなりぼんのーを刺激されたのだけれど、ガマンしたご褒美だったのかもね。


 「…けど下級生が参加出来ない卒業式ってのも珍しいなー。チー坊、まだ終わんないの?」


 サッカー部の二年の先輩に何やら声をかけられていた大智に秋埜が声をかけると、その先輩くんはこちらを見てギョッとなってた。見覚えがあると思ったら、大智の練習試合見に来てた時にわたしに声をかけてたひとだったりして、なんだか懐かしく感じてしまう。


 「卒業生が講堂から出てきた時に盛大にあっかるく祝ってやるのが伝統なんだとさ。雨のときはどーすんのかね」

 「つまんないこと気にするなー、チー坊は。こうさ、堅っ苦しい式から解放されたのと後輩にわーってされるのが同時だと、きっと何かグッと来るんだよー」


 わー、とかグッと、とかもーちょっと秋埜はボキャブラリーというものを考えた方がいいと思う。

 気持ちは分かるけどね。わたしだって、緒妻さんをどんな風に出迎えしたら泣かせてやれるか、って思うもん。ていうか、割とわくわくしてる。


 「そんなもんかなー…あ、終わったみてーだ。いってみよーぜ」


 講堂の出口に顔を向けると、早くも運動部系の大騒ぎが始まっていた。やっぱり出口に近い方が盛り上がるのかな。でも後から人が出にくそうで、おっとりの緒妻さんだといつ出てくるか分かんなくなりそう…でもなかった。


 「あ、ほら大智。来たよ」

 「え?あ、ほんとだ…って、オズ姉危ない走るなって!!」


 わたしが見つけた緒妻さんは、卒業証書を入れる筒だけを持ってこちらに頼り無い足取りで駆けてくる。それはもう、大智の方しか見てないのはバレバレなのだけど、もう半泣きになって手で涙を拭っているのを見ると、わたしは何も言えなかった。


 「大智ーっ!!ありがとう、ありがとーっ!私、ちゃんと卒業したからねっ!」

 「だあっ!!…オズ姉俺まだ足完治してないんだから、少しは手加減してくれよう…」


 とは言いつつも、感極まって疾走してきた緒妻さんを受け止めてビクともしないんだから、大したもんだよね大智は。


 「…お麟ちゃん、秋埜ちゃんも。わざわざ来てくれてありがとう!」


 そして、大智に体を預けたままではいたけれど、わたしと秋埜に気付いてた緒妻さんが声をかけてきた。

 なんだかなー、いろいろ言って感動させてやろー、って昨日から秋埜と相談してたんだけど、全部無駄になっちゃった。


 「緒妻さん、卒業おめでとうございます」

 「緒妻センパイ、おめでとーっす」

 「うん、ありがとっ!」


 大智の胸ですっかり涙を拭ってしまったのか、わたしたちに向ける笑顔はこれ以上ないくらいに輝いてて、その前途に向けて抱く希望の大きさがうかがい知れるというものだった。


 「…ほら、チー坊。あんたも」

 「だねー。大智が言わなきゃ何にもならないじゃない」

 「……うっせーやい。んじゃ、コホン。オズ姉………じゃなくって、お~……おー…」

 「…?うん、なに?大智」


 わたしと秋埜はにやにやしながらその様子を見守っている。

 いろいろ企んではみたけれど、やっぱりこれが一番効きそうだって、大智に納得させたのだ。


 「おー…おずー………卒業おめでとっ、緒妻っ!!」

 「…え?」


 言った。やっぱりやるときはやるなー、大智は。

 秋埜も「おー…」と感嘆の声を上げていた。


 「……その、まあリン姉とアキにしつこく言われて…もう同じ学校でもなくなるんだし、ちゃんと名前で呼んでやれって……あの、オズ姉?マズかった…?」


 腕の中の緒妻さんが自分を見上げて睨んでいるのに気がついた大智は、怖じ気づいたように怪訝な顔。


 「…………ちがう~」

 「えっ?」


 でもね、大智。やっぱりキミは女心ってのが分かってないよ。


 「………せっかく、せっっっかく!大智が私を名前で呼んでくれたんだからっ!今後はそれ以外禁止!!」

 「え、えええ~~~…せめてさあ、リン姉とアキの前以外じゃ勘弁してくんね?!」

 「ダメ。絶対だめ。大智は私を名前以外で呼んだら、ダメ!!」

 「えええ………」


 ものすごく困った顔の大智だったけど、緒妻さんを抱きとめてる腕は離そうともしないのだから、何を考えているのかなんてバレバレなのだった。


 「だったら志郎さんと京司さんの前では今まで通りにさせてくれよぉっ!俺あの二人に殺されるってば!!」

 「ダメったらダメ!兄さんたちにもいー加減妹離れしてもらわないといけないんだから、いい機会なのっ!!」


 秋埜と二人、顔を見合わせると、そろりそろりと後ずさる。

 もうね、おめでとーを通り越してごちそーさまでした、って雰囲気になってきたから退散の一手よね。


 「あ、保志ー。謝恩会の準備あんだからそろそろ行くよー」


 緒妻さんがクラスメイトらしい人に声をかけられてる。


 「私パスー。今はしあわせかみしめモードなのっ!」

 「ちょっ、ふざけんなぁっ!!あんた実行委員でしょうが!ほら行くよ!!」

 「あっ、あーん…大智ぃ…」

 「色ボケすんなら明日にしなっ!」


 自分から引きはがされて連行されてく緒妻さんを、大智はなんだかホッとしたような、残念なような顔で見送っていた。

 そしてわたしと秋埜が離れてってるのに気がついてこちらを見つけると、やっぱり困ったような顔で手を振る。

 わたしは、聞こえないように「お幸せに」って言ってやると、同じように手を振って背を向け、校門に続く人の群れに混ざったのだった。




 「…センパイ、麟子センパイ」

 「うん、なに?」


 校門を出ると、わたしの後ろを歩いていた秋埜が話しかけてくる。

 このタイミングでわたしにかける言葉なんて、決まって…


 「しろうさんときょうじさん、って誰っすか?」


 がくっ。

 …今気にするようなことなの?それって。別にいいけど。


 「…志郎さんが上のお兄さんで、京司さんが下のお兄さん。緒妻さんの。社会人と大学生だね。二人とも普段はいー人なんだけど、緒妻さんのことになると途端に大人げなくなるんだよねー」

 「あー、そういえばお正月の時に見かけたよーな…帰省してたってひとでしたっけ?」

 「そそ。まーシスコンってもちょっと度が過ぎてるけどねー。大智がかわいそ」

 「しょーがないですよ。緒妻センパイ、あれだけ美人で気立てもよくって、勉強も出来るわ料理も上手だわって完璧超人ですし。そりゃどんな兄だってシスコンになりますって」


 そんなものかな。わたしには、大智にかまう口実に見える時がたまにあったんだけどね。

 まあ二人と話したことのない秋埜に言うことでもないから、と曖昧に同意するだけで話を終える。


 「にしても、緒妻センパイ今日はなんかえらいキレーでしたね。少し化粧してたみたいですけど」

 「あー、なんか卒業生はしても良かったっぽいね。ちょっとそれは…って人も何人かいたけど」

 「…っすねー」


 わたしと秋埜は、何人かすれ違った中に「え…」と絶句しそうな様相の人がいたことを思い出して、くすくすと笑う。

 わたしたちだって化粧になんかそれほど馴染みはないけど、それでもなんだか一端の口を利いて、あんなのが良かっただの、あれはやり過ぎだっただろうとか、勝手なことを言い合いながら、帰路を辿る。

 やがて、何度か通った土手の道に出た。

 寒かったり暗かったり、あるいは泣きはらしての帰り道だったりと、あんまりいい思い出のない道だったけれど、今日はまだお昼時。しかも春うららかな好天、とくる。


 「…いー天気だね」

 「ですねー…」


 桜はまだ満開にはちょっと早いけど、それでももう散ったと思しき花びらが風に少し舞っているのを見ると、そんなに急いで散らなくてもいいのにな、って思うわたしだった。


 「…ね、センパイ」

 「うん」


 ちょっと秋埜の声が、トーン低め。なんだろ。


 「緒妻センパイのこと、やっぱり羨ましかったり…します?」


 それはどういう意味で?、なんて分かりきったことをわたしは聞かなかった。

 優しい家族に囲まれ、才に恵まれ、ついでに美人でお家もお金持ち。そして何よりも、素敵な恋人がいる。それはまあ、女の子だったら羨んで仕方ない立場なのかもしれない。


 けど秋埜が言いたいのはそんなことじゃない。

 大智っていう、わたしがかつて恋い焦がれた男の子を許婚にし、しかもその関係を誰にも祝福してもらえるというのは、わたしと秋埜には望むべくもない。


 …でもね、秋埜。

 わたしは振り向いて秋埜の前に立ち、きっとわたしの物騒な笑顔を見てだろう、足の止まった彼女の額に手を伸ばす。


 「あいたっ?!」


 そして、デコピン一発。


 「自分でそーいうこと言うな、ばかもの。わたしと、あなた自身への侮辱だよ。それは」


 わたしは望んでこの子を好きになった。

 この子も、わたしを好きでいてくれた。

 それから、二人の家族はそのことを…きっとそれぞれの形で肯定してくれた。

 いいじゃない、それで。

 わたしたちにはそれで、充分なんだ。


 「…たた…って、センパイずいぶん逞しくなったもんすねー」


 ちょっと涙のにじんだ目で、秋埜はわたしを恨めしげに見る。ちょっと強すぎたかも。ごめんね。


 「まあねー。泣き言なら散々、きっと一生分言っちゃったから、もうあとは嬉しいことしかないって思うよ?」

 「あー、うちはまだちょっと、そこまでの境地にはなれませんけど」


 わたしの横に、秋埜は並ぶ。


 「でも、緒妻センパイとチー坊を見送った今日みたいに、誰かの背中を押していくセンパイの隣にいることだけは、出来ます」


 どちらからともなく、手を繋ぐ。

 温もりを、というような季節ではなくなっていたけれど、それでもわたしは重ねた手を暖かいものだと思えた。


 「うん。わたしも、隣にいるのなら秋埜がいい」


 並んで立っているのだから、その表情は分からなくて。

 けど、握ったわたしの手を握り返す力は強くなって。

 それはきっと、秋埜とわたしの誓いなんだと思った。


 一生、ずっと一緒にいるから、なんてことは言えないけれど。


 「…麟子センパイ。みんなの背中を見送るだけじゃなくって。うちと一緒に、歩いていきましょ?」


 繋いだ手のその意味を思って、わたしたちはわたしたちの道を歩き出す。

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