第28話・ゴールイン
話は何日か前にさかのぼる。
秋埜に思いっきり泣かれてしまった翌日だから…六日前、先週の土曜日のこと。
どうしたものか途方に暮れていたわたしは、部屋で昔の写真を眺めていた。
…うん、我ながら女々しいっていうか後ろ向きだとは思うよ。だって、大智の写真見てたんだから。
えーえー、秋埜に言われるまでもなく写真の中の人物が愛し恋しくて見てましたわよ。もー。
だってしょーがないじゃない。過去の話だからって封じたってのに、秋埜がそんなハズないって引きずり出すんだもの。気付いてしまったら止められやしない。裏切りかも、とは思ったけれど煽った秋埜が悪いんだ、緒妻さんのことなんか知ったことか、ってもう抑えてたものが解かれた反動で、わたしはとんでもないことになっていた。
そんなことをしていたら、見つけたんだ。
たった一枚だけだったけど、小学生の秋埜が写ってた写真を。
その写真を見てわたしは、家族共用のハードディスクに入っていたそれを即座に、自分のスマホにコピーしたのだった。
・・・・・
「…………」
さっきから秋埜が一言も話さない。
別に機嫌が悪いとかって話じゃなく、緊張して…いるのかなあ。本人であるところのわたしが結構すっきりしてるんだけれど。
「秋埜?」
「…ふひゃぃ」
…やっぱ変だ。
病院行きのバスはこの時間でも結構混んでて、わたしも秋埜も立って並んで吊革を掴んでる…わたしはどちらかというとぶら下がってる、って感じだけど…ので、人目もはばからず会話をするってわけにはいかない。
行き先は告げてないから、秋埜は何処に行くか知らない。もっとも、さっきからバスのアナウンスの行き先案内で、経由する病院名をしきりに告げてるから気がついてはいるんだろうと思うけど。
「気分でも悪かったら降りる?」
「…大丈夫っすー」
あんまり大丈夫そうでもない口調でいる。
しょーがないなあ…気持ちの問題なんだと思うから、もうほっとこ。
割にさばさばした気分のわたしとガッチガチの秋埜を乗せて、バスは病院の三つ分手前の停留所を通過した。
病院の門前に立つ。
四回、大智と一緒に通った。
「けっこー寒くなったね、前に比べて」
「そりゃ年末ですもん。あ、ところでセンパイ。まさか忘れてやいないと思いますけど…」
「いた。秋埜、行くよ」
何か言い出しかけていた秋埜を抑えて、わたしは見かけた二人の姿を追う。大智の学校からの方が近い分、わたし達は大智の診察より先に着くのは難しいから、必然的に出てきたところを狙うしかない。
「大智!緒妻さん!」
こちらに気付かずやってくる二人に、先に声をかける。
なんだかなあ。緒妻さんは大智しか見てないし、大智も足下を見てるし。それ危ないよ、って何度か言った覚えがあるけど結局直ってないんだね。
「センパイ…いきなり走ったり…あ……」
遅れてわたしを追いかけてきた秋埜も、二人に気付いたようだった。
「リン姉?…こんなとこでどしたん?」
なんだか久しぶりに会った気がする大智は、わたしの様子をおかしいとも思わずになのか、なんとも呑気な調子なのだけど。相変わらずというか、なんというか。
「……」
そして一方の緒妻さん。こっちは…どこか気圧されたように、大智の右腕に取りすがっている。
そんな二人を前にわたしは、コートのポケットに両手を突っ込み、肩からずり落ちそうなバッグもそのまんまに仁王立ち。夕日を背にしたものだから、特に緒妻さんから見れば威圧的だったかもしれない。
「二人にちょっと話があって。ね、中庭の方にいかない?」
でもそんなこと気にしてる場合じゃなくって、わたしは早速本題に入る。
「え、ああ、別にいーけど。オズ姉は?」
簡単に大智は応じて、傍らの緒妻さんに尋ねるのだったけど。
「…………いいわよ」
やっぱり、どこか怯えたような目で、わたしを見ていた。
「…あのー、センパイうちは?」
「ん?秋埜も一緒についてきて。多分わたしの介錯人をお願いするから」
「なんすかそれ。介添人の間違いでしょ」
…意味分かっていってるのかな。介添人て花嫁の付き添いするひとのことなんだけど。
まあそれで言うならわたしの介錯人もどーなんだ、って話なんだけど。
ともかく、病院の中庭には大智を先頭に移動する。
実のところ、外来窓口の窓から見えてただけで、行き方が分かんなかったから、颯爽と先導する、なんてわけにもいかなくて、ギプスが外れて補助器具と金属製の杖一本で歩く大智の後を、秋埜と並んでついていった。
「中庭っつーとここだけど。いいか?リン姉」
「うん」
外来には開放してないと見えて、中庭には病棟から入ることになった。
さすがにわたしでも動き回れてた外来棟とは違って、主に入院してる人たちが出入りする場所だから、雰囲気は落ち着いたものだ。
ふと、周りの建物を見上げる。
冬のこととて病棟の窓はすっかり閉め切られているけれど、今日は晴れているから寒さに堪えながら日の当たる場所で佇む人も少なくはない。
ギャラリー、ゼロってわけじゃない。おあつらえ向き。
「秋埜?ちょっとここで待ってて」
「あっ…はい」
先に中庭の真ん中辺りにあったベンチに腰掛けてた大智と緒妻さんの元へ向かう。
秋埜は出入り口付近で待たせておく。ごめんね、ちょっと寒いだろうけど我慢してて。
一人で近付いてくるわたしを、大智は怪訝な顔で迎える。
緒妻さんはもう、恐怖の色すら浮かべてわたしの顔を見る。
…なんだかなあ。わたしって、緒妻さんから見てそんなに脅威だったんだろうか。
そういえば結構前に、大智のことが好きなのかって聞かれたこともあったけど。その時は否定してたわたしも、なんだかいろいろあって、でもやっぱり大智に限ればその時も今も、変わらないと思うよ。
だからね、緒妻さん。わたしの今からを、しっかり見ていてね。
…この辺でいいかな、とわたしは立ち止まり、もう一度ゆっくり周りを見る。
締め切られていた窓は換気のためか、いくつか開かれていた。多分、まる聞こえになって、しばらくは噂にもなるんだろーなあ。
でもいいや。
わたしは今日、一生分の恥をかくつもりで来たんだから。
深呼吸を一回。
大事なものを抱くように両手を胸の前で重ね、それから大きく息を吸う。
「とーのーむーらーだーいーちーくん!!わーたーしーはあぁぁぁっ!ずーーーーーーっと!キミのことが、好きでしたああぁっ!!」
そして続けたのは、絶叫。もう、絶叫。
最後のトコなんかほとんど悲鳴になっちゃってる。
けど、止めない。
大智はきっと唖然としてて、緒妻さんは多分泣きそうにしてて、秋埜は間違い無く…苦しそうにしているだろうけど。
ここで止めることは、わたしには出来ない。
「おねがいしまあぁぁぁっす!!緒妻さんと別れてーーーっ!!わたしとーっ!!つきあって、くださあぁぁぁいーっ!!」
以上。
これで、以上。
わたしのバカげた想いの全部だ。
もうあとは、大智がやりたいように、やっちゃえばいい。
肺の酸素を全部使い切ったみたいに、わたしは喘いでいた。
一息で言ったわけじゃないけど、一緒に体力まで残らず持って行かれたような気がする。
誰かに本気の想いを伝えるのって、すごく力を絞らないといけないことなんだね。
ごめん、秋埜。わたし、全然分かってなかったよ。
でもこれで一つ、あなたのことを知ることが出来たよ。
…じゃあ、大智。
答えを、聞かせて。
「ごーめーんーなーさあぁぁぁいっ!!」
大智の、わたしに心地よい良い声。
それはわたしのこころに、
「俺はーっ!!オズ姉のことがーっ!!一番、いっっっちばん!好きだからーっ!!リン姉とはーっ!付き合えなあぁぁぁいっ!!」
うん。だよね。分かってた。
それを聞いてしまうのが怖くて、わたしはずっと
答えを聞きさえしなければ、わたしのこの想いは否定されないんだって、そう甘えていたんだよ。
でもね。
こんなわたしを好きだって言ってくれる子がいて。
わたしはその子のことを放っておけなくなったから。
わたしのこの想いを
ありがとう、大智。
そして。
ごめんなさい。緒妻さん。
ごめんなさい。
我に返る。
まだ息を切らしてるわたしと、言い切った大智はしばし見つめ合う。
可笑しいなって、ふっとわたしの口元が緩むと、大智もニヤリと不敵に笑った。
それから大智は傍らの緒妻さんの肩を抱き。
わたしはその光景をしっかりと目に焼き付けてから振り返り。
「…………」
…わたしの代わりに泣いていた秋埜の元に、向かった。
「…なんで秋埜が泣いてるの?」
「わかんないっす。けど、これは悲しいんじゃなくって、嬉しいんでもなくって…とにかく、うちの感情じゃないみたいです」
「…秋埜に先に泣かれたんじゃ、わたしが泣けないじゃない」
それもそうっすね、と秋埜はわたしの差し出したハンカチを受け取り、自分の頬を拭う。
それだけですっかりいつも通りの、秋埜に戻った。
「じゃあ、センパイ。おつかれさまでした」
「…うん」
「今日のセンパイは、最っ高に、かっこいいっすよ」
「…なによそれ」
「麟子センパイは、うちの、一番の、ヒーローっす」
「…わたしぃ、おんなのこ…」
「はい。センパイは世界で一番かわいい、女の子っす」
「……うぇ…うぇぇえ……あきのぉ…」
「うちだけの、かわいいセンパイで、いてくださいね」
「……あああ、うぁぁぁぁ………あきの、あきのぉ…わたし、わたしふられちゃったよぅ………あああああっ………わああああああん!」
きっと今日のことなんか。
大人になったら、ちょっと恥ずかしい話として。
秋埜にからかわれて、わたしが赤くなって。
それだけで終わっちゃう話なんだろう。
でも、今だけは、秋埜のにおいに包まれて、思う存分に泣きたいって思う。
…いいよね?秋埜。
こうして。
わたしの四年越しの初恋は、
鵜方秋埜の胸の上で、
終わりを告げたのだった。
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