第15話・晴れない迷い

 テラス内は数分前の閑散とした様子が嘘のように、雨宿りをする人たちでごった返していた。


 「あー、うん。こっちは大丈夫。リン姉も。雨宿りしてるし。オズ姉の方は…ああ、アキと一緒なら大丈夫だろーな。…おっけー、雨上がったらこっちから連絡する。じゃーなー………と」


 大智は緒妻さんと電話でこれからどうするか相談してた。

 …わたしも秋埜のこと、ほったらかしで来てしまったんだから何か連絡しないといけないんだけど…。


 「…で、リン姉はどうしてここにいるわけ?」


 こうして、とてつもなく後ろめたい指摘に、拗ねるようにそっぽを向くしか出来なくて、それさえも手に付かないのだった。


 「…だって大智が、待ってる~、みたいなメール寄越すから」

 「そんなの普通間違って出したって思うだろ?大体なんで俺がオズ姉放っておいてリン姉に声かけるとか思うわけ?!」

 「…だって」

 「だって多すぎ。それにリン姉もアキと一緒に回る約束したんだろ?そっちまでほったらかしみたいになってんじゃん」

 「大智だって間違ってメール出したくせに」

 「だから、『だって』が多すぎるっての。リン姉さっきから変だぞ?」


 そんなこと言われなくたって分かる。わたしが変だってことなんか、自分が一番知ってる。

 こないだからもう、いろいろ変なんだもの。わたしも。秋埜も。


 「…ああ、まあしゃーない。いろいろ行き違いあったってことにしといてさ、リン姉もアキに連絡入れときな。多分オズ姉から知らされてるだろーけど、リン姉が電話した方が安心するだろ、きっと」


 まあそれはこの混乱した状況の中でただ一つ、間違いのないことなんだろう。

 大智に促されてスマホを取り出し、ちょっと覚束無い手付きで秋埜の番号を呼びだす。

 ワンコールで出たことに、少し胸が痛んだ…のだったが。


 『センパイ…早く帰ってきてくださぁい…』


 戻ってきたのは、どー聞いても泣き言にしか思えない、秋埜の声だった。


 「え。ちょ、ちょっと秋埜……どーしたの…?」

 わたしの驚いたような声に気付いたのか、大智が耳をそばだてていた。あわてて声のトーンを落とす。


 『…緒妻センパイが…すんごいコワイっす…』


 ごくり。唾を飲み込む音が向こうにも聞こえそうだった。


 「…具体的に」

 『…顔が笑っているのに目が全然笑ってないんすよう…何話しても、『ふふ、秋埜ちゃんは面白いわね』…としか言ってくれませんしぃ…』


 うわそれは怖い。

 …っていうか、それ間違い無くわたしと大智が二人っきりでいることに対するお怒りよね。ゴメン秋埜。もうしばらく耐えてて。こっちはこっちでちょっとややこしいことになりそうだし。主にわたしの中で。


 『え、センパイまだ戻ってこれな…あ、雨ですもんね。仕方ないっすね…』

 「うん、なんとか頑張って。骨は拾ってあげるから」

 『ちょ、センパイその言い方だとうち生きてここ出られないじゃ………あああ緒妻センパイなんでもないっすはいだいじょー…』


 プツン。


 まあそんな感じで電話は切れた。

 ゴメン、っていうかむしろありがとう、って感じ。秋埜のおかげでちょっと、落ち着いた。


 「電話済んだか、リン姉」

 「うん」


 …まだちょっと咎め立てする口調の大智に、少し怯むけど。


 「ほい」

 「あ、う、うん。ありがと」


 わたしが電話している間に買ってきてくれたのだろう、お茶のペットボトルを渡される。この時期にはありがたい、熱いミニボトルの方だ。ホント、いつの間にこんなに気が利くよーになったんだろ。

 大智も…まあこっちはスポーツマンらしく、ただの水のペットボトル。スポーツドリンクは甘すぎる、って昔言ってたもんね。


 「…飲まないん?」

 「え?あ、ああー、そうだね。いただきます」


 なんだか、ホッとする。ホットのお茶だけに。いや、アホかわたし。

 降り始めたときの轟音は収って、シトシトとザーザーの間くらいの雨音になっているけど、またいつ激しくなるか分からない雨のなか、まだ逃げ込んでくる人と雨が上がるのを待つ人がいる。

 人口密度は結構なことになって、人いきれで息苦しくもなりそうな中、わたしはちょっと大智との距離を縮めた。

 …あ、いや、混んできたから詰めようと思って、だから。他意は無い。うん。

 でも、そんなわたしを怪訝に見つめる大智の視線はちょっと、辛かった。

 弁解するように隣の大智を見上げると、つい、と目を逸らされる。


 「…はあ」


 ほんとーに、何やってんだろうなあ、わたし。

 変なきた…勘違いして大智に迷惑かけて。緒妻さん怒らせて。そのあおりで秋埜にまで妙な恐縮させて。もー、これ以上ないってくらいに、自己嫌悪。


 「リン姉、ごめん」

 「え?」


 …だったんだけど、それを知ってか知らずか、大智の次にかけてきた声は、優しさと気遣いを感じられるものだった。


 「結局俺がメールの送信先確かめなかったのが悪かったから。それでイライラしてリン姉に八つ当たりしたみたいで、みっともねーよな。だから、ゴメン」


 もうわたしじゃ簡単に届かないくらいに高い後頭部を掻きながら、そう言った。

 そーそー。女の子に変な期待させるもんじゃないわよ。

 って、そう簡単に言ってしまえればよかったんだけれど。

 期待。

 わたし、何を期待してたんだろう。


 「リン姉?」

 「ん、大丈夫。別に大智のせいじゃないし」


 口にしてしまったら、何か取り返しがつかないような気がして、無難な言葉で大智の心配をかわす。なんだか、そんな真似に慣れてしまったようで、その事に気がつくとすごく疲れを感じる。


 「…そっか。わりいな」


 わたしの内心に気付いてか気付かずにか、どっちにしても今は大智のそんな素っ気なさが、ありがたかった。



 やさしいね、大智は。

 昔は、わたしの背中に隠れられるくらいにちいさかったのに。

 今はこんなに、体も心もおっきくなっちゃった。



 ・・・・・



 「センパぁぁぁぁぁイ!」

 「別にそんなに泣かなくたっていいじゃない」


 わたしの顔を見るなり飛びついてきた秋埜を、緒妻さんはふくれっ面で眺めてた。

 まー緒妻さんにそーいう顔をさせてしまった原因としては、あはは、と乾いた笑いを漏らすしかなかったのだけど。


 「ちょー怖かったっす!うち、緒妻センパイには生涯逆らわないでおこうって、固く決心しました!」

 「あー、うん。秋埜ごめん。わたしが勘違いしちゃったのが全ての原因だよね」

 「そーですよ!お詫びとして今週はずっとうちにお弁当作ってきてください!」


 まあお詫びとしては妥当だし、喜んでくれる秋埜の笑顔ならお釣りとしても十分だから、その提案は願ったり叶ったり。

 でも、緒妻さんにも一言謝っておかないとな、とそちらを見たら、こっちはこっちで、修羅場…?


 「えーと、俺が間違ってリン姉にメールを送ってしまったから。リン姉は悪くない」

 「……そ。まあ、あんまり女の子に罪な真似、しないようにね」


 …でもなかった。

 大智はわたしをかばって、緒妻さんもそれを承知の上で、大智を許した。多分それだけのことなんだろう。


 「えっと、緒妻さん。ごめんなさい」


 黙っていればそれで表面上は収まりがついたのだろうけど、それでもわたしは謝っておかなければならないと思って、大智の前の緒妻さんに、横から声をかけた。

 怒られるか無視されるか。そのどっちでも仕方ないなあ、と思って下げていたわたしの頭に、緒妻さんの手がポンとのせられる。


 「…あの?」

 「いいわよ、別に。心配はしたしやきもちも妬いたけど、お麟ちゃんが納得いかないと、私たちはどうにもならないものね」

 「……?」


 わたしには意味の分からないことを、優しく告げる。

 きっとわたしの不思議そうな顔を見て、それでも辛抱強く、わたしが理解するのを待つつもりなんだろうな。


 「よし!仕切り直しっす!!センパイ、うちペリカン!ペリカンがもう一回見たいです!」


 また変なものに興味持つなあ、この子は。

 苦笑しながら秋埜に引っ張られていくわたしを、大智と緒妻さんが並んで見送ってくれた。

 その間にあった距離が、今朝より少し縮まっていたように思えたけれど、ニコッとして手を振っていた緒妻さんの顔を見ると、それも当然なのかな、って思えて、胸の中にあったつかえがほんの少し、軽くなったような気がしていた。

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