spacing out...

リサ

第1話 intoxicated

私の腹の上に排出されたばかりのそれを、先輩は素早くティッシュで拭い取った。

「手、洗ってくるわ。」

はい、と答えるよりも早く先輩はベッドから立ち去っていた。

だんだんと呼吸が整ってくると、私も喉の渇きを感じキッチンへと向かった。頭がぐるぐるして足取りがおぼつかず、何度か壁にぶつかりそうになった。

久々だから?違う、ただテキーラのショットを5杯も飲まされたから。


職場の10歳上の先輩。つい先週、一回りも違う彼女と別れたらしい。半年ほど遠距離だったが、彼女の方から別れて欲しいと切り出された。本当は好きで好きでどうしようもなかったが、歳上の男がそんなこと言えない、と別れを受け入れた。

そんな話を、終業してから今までだから、延々と5時間も聞かされた。一件目は私と私の同僚三人がいたが、二件目に移る際に「そろそろ家に帰らないと嫁が…」「私も子どもがいるので…」と二人外れ、四件目に行こうかとするとき「明日、朝から営業なので失礼します。」と、同僚は私を置いて全員帰宅した。

「付き合ってくれるのはお前だけか。」

下手に酒に強いと、こういうことになる。旦那、彼氏がいないと、こういうことになる。

「お前はいい後輩だよ。なんで男いないんだよ。まあ、わからなくもないけど。」

「褒めてるのか貶してるのか、どっちですか。」

「褒めてるんだよ。酒は飲めるし、ノリはいいし、女としての魅力は…強いて言うならスタイルがいいことかな。とにかくお前がいなかったら俺は今日ここで凍え死んでいるかもしれないしな。」

統括すると都合が良い、ということか。


彼氏はもう何年もいない。大学時代から付き合っていた彼氏がいたが、就職して半年もしないうちに別れた。私が仕事にのめり込み彼氏どころではなくなったからだ。なにかとつけて「会おう。一緒にいたい。」と言う彼氏は、私にとって邪魔な存在でしかなかった。


先輩は私よりも遥かに酒に強かった。私以上に飲んでいるはずなのに顔色ひとつ変わらない。仕事のときと同じ、ポーカーフェイス。酔っていれば饒舌におしゃべりしてくれるのだが、普段はこうはいかない。ポーカーフェイスの上に無口。必要最低限の言葉しか発しない。オープンクエスチョンでは、先輩とのコミュニケーションはほぼ不可能である。

そんな先輩がいつも何を考えているのか分からなくて、入職してしばらくは先輩のことを恐れていた。今では酒の席を重ね、言葉を多く交わし時間を共有してきたため幾分かマシになったが、ときどきその表情の裏が読めず警戒してしまうときがある。

ただ今日はその警戒心もどこかへ行ってしまった。先輩が弱っているように見えたからか?いや、きっと酒のせいだろう。


先輩とは帰る方向が一緒だった。私の家までは歩いて数十分、先輩は私の家まで一緒に歩きその後タクシーを捕まえる、と言った。

先輩は私の五歩前を歩いていた。私は先輩を見失わないように必死についていった。ときどき先輩がいつものポーカーフェイスで振り返る。大丈夫ですよ、ちゃんとここにいますから、と目線を送るとまたスタスタと歩き出すのであった。

私の家の前に着くと、五歩前から「眠い。」と言う先輩の声が聞こえた。私が追いつくと「泊めて。朝一で帰るから。」と。

正直、私も早く家に入りベッドで眠りたかった。ただ、一瞬だけ、少し眠そうな顔の奥に、先輩の寂しさを感じた。


先輩は部屋に通すやいなや、ベッドにダイブしていた。テレビとベッドしかない小狭いワンルーム。

私が問いかけるよりも先に、右手をベッドの上でトントンとして、私を呼んでいるようだった。吸い込まれるように先輩の右側に収まると、先輩の左腕が私を包み込んだ。先輩の顔を覗こうとするが、暗闇で何も見えなかった。

「キス、してもいい?」

「何…言ってるんですか。」

見上げたままの私の唇に、先輩の唇が当たっていた。舌先でいつもより少し高いであろう先輩の体温を感じとっていた時にはもう遅かった。先輩の寂しさを感じてしまった。

私自身も止まらなくなっていた。大丈夫ですよ、ひとりじゃないんですから、と頭を優しく撫で、首筋に舌を這わせていた。

先輩が私の上に覆いかぶさったとき、一瞬あのポーカーフェイスが見えた。 その表情の裏は読み取れなかったが、いつもの警戒心が働くはずもなく、ただ先輩を感じることに夢中になっていた。



水を飲み戻ると、先輩はもうベッドで目を瞑っていた。右腕は横に広げられていて、私の分のスペースが開けられていた。狭いこの部屋では、ここで二人眠る以外に方法はなかった。

「ふわふわするんですけど。」

「俺も。飲みすぎたわ。」

「先輩が飲みすぎたなんて、初めて聞きました。」

「俺だってただの人だからな。」


そうやって話をしている内に、どちらからともなく眠ってしまい、朝になり目が覚めるとそこに先輩はいなかった。

――― 今日はありがとう。また月曜日に会社で。

携帯には先輩からの一通のメールが送られていた。

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