カーテンの影から
suzukichi
第1話
――僕――
もうすぐ銀行が閉まる。時計を見ると三時五分前だった。お母さんに着いてきた銀行はいつもより混んでいてた。退屈しのぎに、僕はランドセルからノートとシャーペンを取り出して落書きをしていた。名前を呼ばれてお母さんが窓口へ向かう。その姿を目で追ったとたん手元が狂ってシャーペンを落としてしまった。コロコロと転がっていくシャーペンを、店の中を立ってウロウロしていた銀行員のお兄さんが拾った。
「はい」
「あ、ありがとう」
頭を下げてシャーペンを受け取ったところで、三時の時報が鳴った。正面玄関のシャッターが閉まる。中に残っているのは、僕たち親子とお婆さん、それから女の人。合計お客さんは三人だった。
銀行の人がシャッターのすぐわきにある地味なドアを開けた。あんなところにドアがあるなんて知らなかった。僕たちのように残ったお客はあそこから出るんだな。
ふいに背後でシャーという音がした。振り返るとカーテンが閉まっていた。ガラスの巨大な壁が巨大なカーテンで隠されていく。
僕はノートを持ったまま立ち上がった。カーテンをかき分け、ガラスと分厚い布の間に潜り込んだ。不思議な空間だった。僕一人だけ。外と中の中間。ガラスにへばりついて外を見る。珍しい景色でもなく、しょっちゅう通る道なのに、なんだか盗み見しているような気分になってちょっとだけ楽しい。みんなきっと僕がここにいるのは気付かない。銀行のガラスなんて誰も見ない。車道で信号待ちをしている車も歩道を歩いている人も閉店した銀行に興味はない。
面白かったのは通りかかった中学生で、急に立ち止まると前髪に手をやり、いきなりこちらを向いた。髪の具合を整えるためにガラスを鏡代わりに使いたかったらしい。思いっきり僕の顔面と向かい合って、「わっ」という口の動きを見せながら一歩後ろに飛んだ。笑ってしまった僕を怪訝そうににらみながら、中学生はあたふたと横断歩道を渡っていった。向い側のちょうど正面に塾がある。きっとあの塾の生徒だ。僕は思わずため息をついた。来月から僕もあそこに入ることになっている。五年生になったらという親との約束だった。二階のガラス窓越しに机に向かっている生徒の姿が見える。僕も来年はこっちじゃなくてあっちのガラスの向こうだ。
銀行のシャッターの前辺りに車が止まった。歩道とすれすれの場所に銀色の軽自動車。運転席がよく見えた。サングラスをかけた女の人がハンドルを握っていた。まっすぐ前を向いたまま何か言った。後ろに人が乗っているんだろう。後部座席の扉が開いた。中から男の人が一人降りてきた。この人もサングラスをしている。それに黒づくめだ。まるで強盗だね。男はかなり急いでいる感じで、運転席の女の人に何か言葉をかけてから足早に駆けだした。そしてシャッターの横、僕たちが出るはずの扉から中に飛び込んで行った。というより、飛び込んで来た。どうしても用事があったんだ、きっと。ギリギリセーフかな、アウトかな。そんなことを思いながらまだ目線は窓の外の女の人を見ていた。僕は目がいい方だ。だから数メートル先の女の人の手が、ハンドルを握りしめたまま震えているのがはっきりと見えた。と、その瞬間、
パン!パン!
カーテンの向こうで聞こえた。突然の破裂音。びっくりしてビキッと体が反りかえり、背中にカーテンがあたり揺れた。何人もの悲鳴が響いた。僕は慌てて振り返り、カーテンの隙間から目を出した。さっきの男が拳銃をお客さんや店の人に向かって突きつけている。
(強盗だ…嘘みたい…まさか…マジ…)
体中に恐怖が駆け抜けた。お母さんは?!
最悪だ。窓口にいる。ぽかんと口を開けて自分のすぐそばにある拳銃の先を見つめている。
「誰も動くな」
言われなくても誰も動くものなんかいなかったが、一人だけやっと遅まきながら状況を把握したトロいうちの母親だけが、「ひっ」と叫んで持っていたバックを胸に抱き寄せた。ああ間抜け、と思った瞬間男が動いて母親をはがい絞めにし、顔面に銃を押し付けた。
「ちょっとでも動いたらこいつを殺す」
絶対動くなよ、誰も。お願いだから動かないでくれ。目の前で母親の顔面がふっとばされるのを見たら、もう僕はたぶん、いや絶対まともに生きていけない。
男は持っていた黒いカバンを窓口に放りこんだ。拳銃を構える手がちょっとだけ震えている。唇がプール入りすぎの色だ。さっきまで母親の相手をしていた窓口のお姉さんが引きつった顔でカバンを受け取り、どうしたらいいのかわからない様子で、側にいる仲間たちに目で救いを求める。
「金を入れろ。早くしろ」
気がつくと僕はカーテンを思いっきり握りしめていた。両手が汗でじっとりと濡れている。どうしたらいいんだ。この場合、この状況にいる僕はいったいどうしたらいいんだ。どうにもできない。犯人は僕に、たぶんおそらく、いや絶対気づいていない。だからじっとしてればいい。犯人たちが金を奪って逃げるまで、ここにこうしてカーテンの影に隠れていれば大丈夫だ。少なくとも殺されることはない。たとえみんなが撃たれても――
でも――そうなったらやっぱり僕はトラウマの塊になって、生きていけない。でもだからってどうすればいい?警察に?どうやって?携帯も持ってない。それに声を出したら気付かれる。やっぱり無理だ。僕はこのままじっとしてただひたすら犯人が逃げるのを待っているしかない――
僕はゆっくりと、カーテンが少しでも動かないようにゆっくりと首を動かしガラスの外に目をやつた。ということは、あの女は仲間だ。仕事を終えて出てくるのをあそこで待ってるんだ。
なんだかもどかしかった。犯人の仲間がすぐ側にいるのに。
僕は中に視線を戻した。そしていきなり誰かと目が合った。
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