第二話 正体

「えへへへ」


 朝。マレスは頬杖を突いて、だらしのない笑みを垂れ流していた。


「どうしたんだ、あいつ」

「魔人に襲われたらしいよ」

「なんで笑ってんの?」

「よく分からないけど『ぼくは勇者だったんだぞー!』とかなんとか……」

「ふ、ふーん……」


 教室で少年らがヒソヒソ話をする。


 ガレミア曰く――


   *


 魔人はマレスの脳天目掛けて剣を振り下ろした。もう間に合わない。ガレミアは反射的にその最悪な光景を手で覆い隠した。


「あああぁっ!!」


 悲痛な断末魔が森を駆ける。しかし、その声のマレスのものではなく、聞き覚えがない。次に、ガランという落下音。恐る恐る、指と指の隙間から様子を伺う。


 マレスがうつ伏せで倒れている。


「オリユーズくん!」


 駆け寄ろうとする。が、踏み留まる。その傍らには激しく声を上げる魔人。しかしそれは呻吟に近い。割れるような頭痛に襲われているのが見て分かる。おそらく立っているのもやっとだろう。今ならば、魔人は武器を持っていない。地面に転がる剣を取ることができれば……


「うう、がああああっっ!!」

「ひっ……」


 無理だ。少女にそれは荷が重い。しかし、このままでは埒が明かない。クラスメイトを助けなきゃ。そもそも息はあるのか。早くしなければ自分も――。


 そんなガレミアの葛藤も虚しく、魔人が遂に動き出した。重く、一歩、二歩。ゆらり、剣を掴む。鋭い眼光はマレスを捉えている。その眼には苦悶、そして殺意。


(ダメ……!)


 先程は目を背けてしまった。でも、二度も命の恩人を見殺しにしたくない。ガレミアは小さく腕を伸ばす。これが今の彼女にできる精一杯。


 魔人がその機微に気付き、ガレミアを見る。が、関係なし。魔人は剣を持ち上げるとそのまま――


 鞘に収めた。そして、ガレミアに背を向け、魔人は覚束無い足取りで森の奥へと消えていったのだ。



 ……生きている。ガレミアは暫くきょとんとしていたが、その事実を認識するとどうしようもなく涙が溢れてきた。


「オ、オリ……ユーズ……くん?」


 それよりも少年の無事が心配だった。慌てて彼の元へ寄る。もし、息がなかったら。安否を確かめる不安で、もう一度涙を浮かべる。


 少女は勇気を振り絞って、少年の様子を伺う。額から血を流している。胸がキュッとなる。呼吸を確かめる。


 ……息がある。マレスは生きていた。



 直後、レドリー先生が駆けつけ、彼らを医務室に運んだ。マレスが気絶した際に顔を擦った以外、二人とも怪我はなく命に別状もなかった。しかしマレスは目を覚ます気配がない。ベッドに眠るマレスの傍らでガレミアが悲しいような、自責しているような、そういう表情で見守る。


「マレスは!」


 ガチャンと勢いよく開いた扉の先には、報せを聞いたユシアが必死の形相で立っていた。


「あ……えっと、こちらで寝ています。でも、全然起きなくて……」


 ガレミアは強い子である。既にある程度の落ち着きを取り戻し、初対面であるマレスの母の言葉にしっかりと答える。


「放課後、水やり当番の時……」


ガレミアは一連の事情説明を始めた。


   *


「そうだったのね」


 ガレミアの隣に座ったユシアは息子を見つめて言う。


「怖かったでしょ。ごめんね。話してくれてありがとう」

「い、いえ! 全然大丈夫……です」


 伊達に母親をしていないユシアにとって、子供が我慢しているのを感じ取ることくらい容易い。少女の目線に立ってお礼を言う。ガレミアも咄嗟に否定しようとするが、やはり思い出してしまう。少し言葉が詰まる。


「まあ、生きているなら良かったわ」


 母はほっと一息ついた。――生きているなら。この言葉は彼女にとって非常に重い。生と死の価値がそれほどまでに異なるのだ。それが大切な人を失った者の思考。もちろんそれを知らないガレミアは「そうですね」とほんのり微笑んで答えた。


 その時、マレスがぱっちりと目を開き、起き上がった。


「マレス!」

「オリユーズくん!」


 二人はすかさず声をかける。ガレミア、そして母ユシアも若干涙目である。マレスは最低限の首の動きで周りを見たあと、ゆっくりと二人の方を向いて口を開いた。

 

「ぼく、勇者だった……」


 突然の告白に、二人はぽかんとせざるを得なかった。


   *


 そんなこんなで少年はずっとあの調子だ。当然、周りからは奇異の目で見られている。しかし、そのような視線、気にもならない。今の少年にとってそれは些細なこと。頭の中の魔王を倒すのに忙しいのだ。


 マレスはかつて勇者だったことを思い出した。と言っても記憶が戻ったわけではない。彼の地で繰り広げた頂上決戦。あれは紛れもなく事実で、その感覚も本物だ。だが、それを体験したことを「理解した」と「思い出した」では全くの別物。体も、思考も『マレス』のままなのだ。


「オリユーズくん、ちょっといいかしら……」

「へ、なに?」


 突然の呼びかけに空想が弾ける。声の先にはエル=ガレミアの姿。


「えっと……昨日は助けてくれてありがとう、ございます」

「あ、ど、どういたしまして……」


 ガレミアがぎこちなくお礼をする。男子に対しては強気なガレミアがしおらしく、丁寧に感謝するのも珍しい。それに釣られてマレスの返事も滞る。


「だから、その……お礼がしたくて……。よかったら、私の……に……」

「?」


 ガレミアはいつになく声が小さい。とんがり帽子のツバをギュッと引き寄せて顔を隠す。感情を悟られるのが恥ずかしいのだろう。もじもじしながら必死に言葉を探す。


「ごめんガレミアさん。もう一回言って?」

「えっと――」

「マレスーーーーー! 魔人に襲われたって本当!? 大丈夫だった? 怪我はしてない!?」

「うわ! エ、エトナ姉ちゃん」


 二人を割るように響く快活な声。マレスの幼馴染兼姉であるエトナ=シトシーである。彼女が事件を知ったのは今朝。マレスはいつもより早く家を出ていたため、通学時に会うことはなかった。


「あっ! 頭怪我してるじゃない! 痛くない? ほかに怪我してるところは……うん、ないわね。……もう、心配したんだから! マレスは昔から――」


 ガレミアを割り込んで飛び込んでくるエトナ。次々に出てくる言葉の連射砲。隙間無い労いにマレスは「あはは」と笑うしかない。


「――というわけで、何かあったらお姉ちゃんに頼ること! 分かった?」

「うん、分かった。分かったよ。……あっ、そうだ。ガレミアさん、さっきなんて言おうとしてたの?」


 へとへとになったマレスはガレミアに助けを求める。しかし彼女は俯いたまま動かない。


「ガレミアさん……?」

「……さい」


 ガレミアが何かぼそりと呟いた。聞き取れなかったマレスは聞き直す。よく見ると彼女は何故かぷるぷると震えている。


「え?」


 それをマレスは聞き返す。


「今日私の家に来なさいって言ってるの!」

「えっ、あ、はい! ごめんなさい!」


 話を遮られたからか、少女はご立腹の様子だった。マレスから思わず謝罪が零れる。もちろんマレスに非はない。だが、腹を立てながらも、へそを曲げずにしっかり家へ招待するあたりガレミアらしい。マレスからすれば恐喝のようなものだったが……。


 そんな二人のやり取りを間で見ていたエトナ。何かに気付く。


「えー、マレスずるーい。お姉ちゃんとも遊ぼうよー」

「え、えぇー」

「……っ!」


 エトナは大袈裟に困り顔のマレスと戯れ合う。まあ、これ自体は二人にとって珍しくないことなのだが、エトナは横目でガレミアを見ていた。そのガレミアはどうやら面白くない様子だ。


「と、とにかく今日私の家に招待するから! 覚悟しておいてよね!」


 一体何を覚悟するのか。まるで分からないがとりあえずマレスは頷いた。エトナはムフフと薄ら笑いを浮かべていた。


   *


学校も終わり、夕食を食べ終わったマレスとユシアらはテーブルを挟んで談笑していた。これも彼らの日課だ。。


「あのね、ぼく、勇者になりたい!」


 話題はやはりこれだ。マレスは目を輝かせて訴える。一体何回目の宣言だろうか。母もこれには思わず苦笑いしか出ない。


「だってぼくは勇者だったんだもん!」


 そんな母の表情を見て、マレスは不服そうに言う。


「勇者はすごいんだよ! すっごく速くって、全然見えないの! 魔王が雷をバリバリってするんだけど勇者はこう避けて――」


 マレスは身振り手振りで夢の出来事を再現しようとする。それは親として実に微笑ましい光景。母は「そうかいそうかい」とあしらいながらも、楽しそうにそれを眺めていた。


 だが、ユシアは親としてもうひとつ、ある思いを抱いていた。ユシアはお茶を一口だけ飲み、一息つく。


「マレス」

「ん?」


 ユシアはコップをコトリと置いた。


「マレスは前世が勇者だったから勇者になりたいのかい?」

「え……?」


 ユシアは優しい母である。マレスの話を全て信じているわけではないが、半信半疑で聞いてくれていた。その上で、彼女は少年に問うたのだ。


 そしてマレスは質問の意味が分からなかった。勇者は選ばれし者。なら、前世が勇者である者が勇者を目指すのは当然ではないのか。勇者は偉大だ。それを目指すなら母は応援してくれるものだと思っていた。


 マレスは戸惑っていた。これまで叱られることはあった。だが、諭されることは今までただの一度も無かったのだ。


 もちろん返答するのは容易かった。「うん」と頷くだけで良いはずだった。いつもの調子なら即答だっただろう。しかし、今そうしてはいけない、何故かそんな直感がマレスに語りかけていた。


「疲れたでしょ。今日はもうおやすみ」


 否定も肯定もできないマレスを見て、ユシアは優しく告げた。この日マレスはベッドの中で頭を悩ませていたが、割とすぐに寝た。


   *


 翌日、今日も今日とて学校だ。


「レドリー先生!」


 昼休み、紳士的な男性が廊下を歩いていると背後から呼びかける声。振り返るとそこには元気の化身と化した少年――マレスが見上げていた。


「はい、なんでしょう?」


 子供相手にも丁寧に受け答える。レドリー先生は誰にでもこのような接し方をする。落ち着いていて、聡明で、例えるならば凪のような人だ。対して少年は暴風雨。例の件で早速レドリー先生に質問があるようだ。


「人って本当に生き返るの?」


 なんとまあ突飛な質問だ。先生は苦笑する。


「……人の死後、その魂が後世に引き継がれることがあるのか、ということですか?」


 しかし流石は教師レドリー、少年の質問の意図を正確に汲み取る。


「うーん、たぶんそう!」


 マレスはそこまで頭が良くない。堅苦しいレドリー先生の言葉は脳みそを通らずに耳をすり抜ける。しかし、レドリー先生のことだから合っているだろうとなあなあで答えた。


「ふむ、結論から言えばあります。ある、らしいです」


 語尾を弱くするレドリー先生。情報としては知っているが、直接それを見たことがないためである。


「オリユーズくんが言っているのは魂の引き継ぎ――転生と呼ばれるものでしょう。そもそも我々人間に限らず、全ての生物には『魂』が宿っています。例外もあるそうですが……これは置いておきましょう」


 マレスは大きくうんうんと頷きながら聞く。本当に理解しているのだろうか。一拍置いてレドリー先生は続ける。


「通常、魂はその死後、世界に拡散すると言われています。魂が一体何なのか、どこから現れたのかは未だに不明ですが、拡散した魂は世界と調和し、生命が誕生するとき再び集結して魂と成ります」


 マレスの頷きが澱む。早くも頭から煙が出始めている。


「極稀に、拡散せず、形を保ったまま居続ける現象が起こることがあります。その魂が生命に宿ること、それを『転生』と呼び、その者を『転生者』と呼びます。そして、転生者が判明することは非常に珍しいことです」


 ――転生者。難しい顔をしていたマレスは一転して、その甘美な響きで悦に浸っていた。


 しかし、とレドリー先生は断る。


「これまで身元まで分かるような転生者の例はありません。もしかしたらオリユーズくんはとんでもない人物なのかもしれませんね」


 その一言で、マレスはより一層調子に乗る。レドリー先生のこういうところは無自覚なのだ。発言に躊躇がない。これが彼の良いところでもあり、悪いところでもある。ちなみに恋愛方面では悪い方に出るのか、独身である。


「そうだ。図書室で調べてみるのはどうでしょう。『英雄辞書』。もしかしたらオリユーズくんが見たという勇者が載っているかもしれません」

「えーゆーじしょ?」


 レドリー先生は少年の夢が正しいと仮定して提案する。しかし、あくまでもそれは夢物語であるとも考えている。書物は真実を記す。書物は嘘をつかない。夢物語が夢物語であるか否か、その目で確かめよ、と無自覚な彼は言っているのだ。彼の性格が悪い方に出た。それは、子供の夢を壊しかねない提案であるからだ。


 普通であれば――


   *


「うんしょ……っと。これかな」


 図書室の一角、マレスは一冊の分厚い本を抱える。『英雄辞書』。過去、歴史に名を残した英雄の情報が載っている一冊だ。無論、歴代の勇者とその仲間についても事細かに記述されている。


「ええと、どこかな……」


 ページをぺらぺらと捲る。名君、大魔道士に天才発明者……名立たる傑物。大人であれば大抵聞いたことがあるであろう錚々たる顔ぶれ。


 そして勇者の章。ページを捲る。


「『原初の勇者』オウベルグ……!」


 勇者の起源。振り乱した長髪に鋼のような肉体。人物画ですら伝わる威圧感。それはまるで闘争をそのまま具現化したような圧倒的存在。


「でも、違う」


 夢で見た勇者にこの荒々しさは無かった。剛よりも柔、靱やかな身のこなしは豪傑というよりも達人。情熱の中に涼しさを感じる存在だった。


 ページを捲る。


「この人も違う。これも……」


 中々お目当ての人物は姿を現さない。さらりさらり、本は徐々に厚みを失っていく。大切なものを探すように、いつのまにか少年の目は真剣になっていた。


 もしかしたら見逃してしまったのでは、と頭によぎる。しかし――


「あっ……」


 見逃す方が難しい話だった。思わず語りかけそうになるほどに、直感が、それをごく自然に受け入れたのだ。



『疾風の勇者』ユウォン=レィーゼ



 これこそ少年が求めていた者の名であった。

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