真綿の中に隠れたい
湿気の多い生温い風が頬を撫でていく。わたしはまるで息を吸って吐くのに精一杯になってしまったように仕事に身が入らなかった。
当然だ。昨日ルイン様に酷い言葉を吐いて逃げたのは紛れもなくわたしなのだから。シーツを一枚取り込んでは空を見て、箒を握っては地面を見る。
城仕えとしてのわたしの未来は絶たれたも同然だった。きっとわたしの無礼は城中に広まり終には解雇されるだろう。
何故あんな事を言ってしまったのだろう。何故我慢がきかなかったのだろう。どうして傷ついたのだろう。
ルイン様はわたしのためを思って下さったのに。
「シェラ、雨が降る前に庭を見てきて頂戴」
メイド長の指示にぼんやりと従い、花壇のある中庭の確認をする。色鮮やかに咲く季節の花々は少しの汚れも無いように管理されていた。
花が風に飛ばされないように手をかけると、その分綺麗に咲いてくれる。わたしもそのように素直に咲きたい。
ルイン様のお言葉だけで綺麗に咲ける花になりたかった。
現実のわたしとは程遠い望みを花にかけていると、足元でぽすんっという聞きなれない音が鳴った。見ると手のひらサイズの真綿のかたまりのようなものが転がっている。
わたしは首を傾げながらそれを拾い、手に乗せて観察した。
真綿の中に何か入っている。絡まる綿を指でそっとほぐすと、可愛らしい紙に包まれたキャンディが現れた。
ぽすん、とまた目の前で真綿のかたまりが弾ける。キャンディが地面に着く瞬間に、ぱっと綿のクッションに包まれて、地面をころころと転がっていく。どうやら魔法がかかっているようだ。
それが頭上から降ってきていることに気が付いたわたしは、慌てて顔を上げる。
城の窓からこちらに向かってキャンディを放り投げていたのは、美しいお顔にお茶目な笑顔を浮かべた城主ローズ様であった。
わたしは仰天し、慌ててキャンディボールを拾い集める。そうこうしている間にもぽすんぽすんと足元で真綿が弾け、あっという間にわたしの両手はいっぱいになってしまった。
ローズ様の行動に目を白黒させていると、まるで「少し待っていなさい」とでも仰るように手のひらで制止をされる。
窓から見えなくなってゆくローズ様に、わたしは指示された通りに立ち尽くすことしかできない。
しばらくするとメイド長が慌ただしく駆け寄ってきた。
「シェラ、ローズ様が庭に落し物をされて――それは?」
「あ……恐らくこれのことかと」
わたしの抱えている真綿のかたまりを怪訝そうに見たメイド長は、こほんとひとつ咳払いをしてから言う。
「ローズ様が、シェラに届けさせるようにと」
ぽかんとするわたしの背をメイド長がぐいぐいと押し、ローズ様のお部屋へと向かわされる。普段ならばもちろんわたしが入ることのできる場所ではなく、扉の前でごくりと空気を飲んだ。
「シェラを連れて参りました」
メイド長の後ろにぴたりと張り付いて、綿をこぼさないように深く頭を下げる。入りなさい、と凛とした声が響き、メイド長とわたしは広いお部屋に一歩踏み入れた。
「ありがとう、カレンは戻っていいわ」
「……はい」
ローズ様はメイド長を仕事に戻らせ、緊張で強張るわたしに優しく微笑みかける。
「シェラ、ありがとうね。私ったらうっかりたくさん落としてしまったわ。そこのバスケットに入れて頂戴」
わたしは視線を彷徨わせ、細い銀細工の施されたテーブルに乗るバスケットに真綿を詰める。
ローズ様のうっかりではないことはとっくに分かっていた。真綿のキャンディボールはわたしを呼び出すための口実だったのだろう。
わたしは覚悟した。きっとルイン様とのやりとりをお知りになったのだ。今からわたしは文字通りの解雇宣告を受けるに違いない。
背筋が冷えていくのが分かる。解雇されることももちろんだが、ローズ様に幻滅されることが辛かった。
「シェラ、そんなに縮こまらなくても大丈夫よ」
「ローズ様……今までありがとうございました」
言葉にすると急に実感が湧いてくる。同時にじわりと滲む視界をごまかすように目を瞑った。
これから荷物をまとめると夜になる。明日の朝まではここに居ても良いだろうか。お伺いしようとローズ様を見ると悲しげな顔をされていた。
「シェラ、辞めてしまうの?」
「え……」
「ルインにね、少しだけ話を聞いたわ。ここを辞めてしまうほど嫌だった?」
ローズ様の言葉にわたしの滲んでいた視界は段々とクリアになっていく。ルイン様からお話を聞いているのであればわたしの大変な失礼のこともお聞きになっているはずだ。
それなのに「辞めてしまう」、「嫌だった」、とはまるでわたしの方がこの仕事を辞めたがっているように聞こえる。わたしの予想していなかった言葉だった。
わたしはローズ様を恐る恐る見つめた。
「ローズ様、私はルイン様に大変失礼なことを言ってしまったのです。その件で、私は解雇になるのではないのですか?」
「まさか!」
驚きの声を上げられたローズ様に、わたしもびくりと肩を跳ねさせる。
「貴女は何も悪くないわ。『待て』のきかないルインが悪いのよ……」
まるで言うことを聞かない犬の話をしているようなローズ様だったが、わたしは急に全身の力が抜ける感覚に陥っていた。
わたし、辞めなくていいの……?
涙腺が壊れてしまったようにぼろぼろと涙が溢れてくる。ローズ様の目の前だというのに、どうしても止まらない。
「ああ、それを気に病んでいたのね。可哀想に。大丈夫よ、貴女をここに呼んだのは別の話がしたいからなの」
「べつ……ですか」
「ええ。ルインに言われたの。貴方に魔法を教えたいって。私は構わないと言ったわ」
「ええっ」
なんということだろう。まさかローズ様にまで魔法を教える件をお伝えしていたなんて。これでわたしには断る理由がなくなった。
ざわりざわりと胸が騒ぐ。戸惑うわたしを見てローズ様は眉を下げて悲しげに首を傾げた。
「ああでも……ルインのこと嫌いになってしまったかしら?」
「そ、そんなことはありません!」
つい必死に否定してしまい、わたしは恥ずかしくなり思わず俯く。ローズ様は嬉しそうに笑っていた。
「そう、良かったわ。時間がとれたら少しルインに付き合ってあげて頂戴。でないと本当に使い物にならなくて」
「使い物……ですか?」
「ううん、何でもないわ。……貴女に魔法を教えたいというルインの気持ちも分かるの。貴女のお父様のことをとても尊敬しているみたいだから。私も命を助けられたわ。だから、貴女が望むなら学ぶべきだと思う」
わたしはローズ様のそのお言葉にはっとした。
ルイン様がわたしのことを気にかけて下さっていたのは、父を尊敬しているから。
その事実はわたしの胸の中にすとんと落ちる。今までルイン様のお心がわからなかったが、ようやく納得することができた。わたしに魔法を教えようと無茶なことをなさったのもそのためだ。
つまるところわたしはルイン様に、『戦争で死んだ偉大な魔法使いの忘れ形見であり、父を追って魔法使いを志しているがお金がなくその夢を諦めている』と思われていたのだ。
まさにそのとおり、反論の余地なくそれがわたしだった。そしてお優しいルイン様はわたしのことを哀れに思い同情してくださったのだ。
ちくりと胸が痛む。
わたしは恥ずかしかった。けれど同時にとてもすっきりとした気分だった。
「ルイン様は私のことを怒っていらっしゃいませんか?」
「怒っていないわ。ふふっ、貴女たち同じことを聞くのねえ」
ローズ様の笑顔はまるで魔法のよう。部屋に入る前とは一変し、わたしは安心感に包まれていた。ほんの少しの胸の痛みは、さっきまでの事を考えるとなんてことはなかった。
「ねえシェラ。そのキャンディ、あげるわ。魔法がかかっていて、外から衝撃を受ける前に綿で包まれてしまうの」
「あ、ありがとうございます。魔法ってすごいのですね」
バスケットいっぱいの真綿のかたまりを有難く受け取ると、ローズ様はわたしに微笑みかける。
「ええ、でもね。そのキャンディ自体は飴職人が手作りしているの。とっても評判なのよ。どんな魔法を使っても、きっとこの美味しさは出せないわね」
わたしがぽかんと呆けていると、ローズ様はぱちりとウインクをした。
――でもローズ様、傷つく前に綿で包まれる魔法って素敵ですね。
わたしは心の中でローズ様に語りかけ、礼をしてそっと部屋を後にした。
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