駅のホームで一目惚れをして

セツナ

第1話

「一目惚れって信じますか?」


 それは、定食でも食うか。と会社の食堂の販売機の前で食券を買おうとしていた時のことだった。


 髪の毛がふわふわとした、所謂『愛され系』と言われるような、風貌の少女が両手を胸の前で組んで、身を乗り出しながら、俺の方を見ていた。


 あまりに真剣なその表情に、ドギマギしてしまう。


「あー…いや、その……。俺、君の事知らないんだけど。どこで会ったかな?」


 そう言う俺に、彼女は一瞬傷ついたような表情を浮かべたが、すぐに頭を振って「それはそうですよね」と頷いた。


「私は、あなたの事を知っていても。あなたは私の事を知らないですよね」


 言って、彼女はにこっと笑った。


「とりあえず、ご飯でも一緒にどうですか?」


 そう笑った彼女に、俺は「あぁ…そうだね」とつい勢いで頷いてしまった。


 わぁーい!と彼女は嬉しそうに両手を上げると、ニコニコと笑いながら窓辺を指さし言った。


「そうと決まれば! 私眺めのいい席、取ってきますね」


 そう言って、俺の返事も待たずに彼女はすたすたと歩いていった。


 俺が食べたかった定食を買い、トレイをもって、彼女の姿を探すと、彼女は窓辺の本当に眺めのいい特等席に陣取っていた。


 俺が向かいに腰かけると、彼女は机に肘をつき、両手の平に顎を乗せると、俺へ聞いてきた。


「ねぇ、あなたは一目惚れって信じますか?」


 さっきと全く同じ質問。

 俺は、買ってきた定食の箸を割って、うーんと考えるように言葉を探した。


「…俺は、一目ぼれは信じない、かな」


 さっき初めて会った女の子に何を話しているんだ、と思いながらも口を開いた。


「人を好きになるということは、その人の人となりを知ってどんどん好意が膨らむものだと思うから…。一目惚れってことはその人の容姿から好意が始まるわけだろ? それって、本物の好意、なのかなって思うから」


 俺がそう言うと、彼女はふむ。と一つ頷いた。


「確かに、それも一理ありますね」


 うんうんと頷く彼女。

 しかし、その納得の様子は次の瞬間覆る。


「でも、私はあなたに一目ぼれをしました」


 そう言う彼女の瞳は真剣そのもので。

 俺は先ほどと同じように、ドギマギしてしまう。


「えっと…」


 俺が何かを言おうとする前に、彼女はそれを遮った。


「おっと、あなたきっと『でも俺と君は知り合いじゃないし』とか『俺の事君は何も知らないだろ』とか言うんでしょうけど、まずは私の話を聞いてください」


 俺は彼女の勢いに気圧されるように黙った。

 黙ったついでに、定食を口に運んでいく。

 彼女の話に耳を傾けながら。


「分かった、じゃあ話を聞かせてくれよ」


 俺は、定食のサラダにドレッシングをかけつつ、彼女に目を向けた。


「まず、俺の事はどこで知ったんだい?」


 言うと、彼女はさっきまでの勢いはどこに行ったのか、少し恥じらったように目を伏せ口を開いた。


「えっと、その、JR線の吉岡駅であなたを見かけた時、です」


 吉岡駅…。俺がよく乗り換えで使う駅だ。

 彼女は更に話を続ける。


「駅のホームで、あなたはよく本を読んでいますよね? 電車を待ちながら本を読むあなたの姿がかっこよくて…気づくと私はあなたの事を毎日探すようになっていました」


 言って彼女は恥ずかしそうに笑った。


「きっとあなたは、一目ぼれなんか信じないって言うから、私の想いは分からないのかもしれませんが……」


 言って、彼女はばっと席を立った。


「…っ! や、やっぱまた今度! また今度続きは話します!」


 そう言って、去っていこうとする彼女を俺は呼び止めた。


「あっ! 待って」


 呼び止めると彼女は、少し動きを止めて俺を見た。


「また、今度。今度ゆっくり聞かせてよ」


 そう言うと彼女はにこっと笑って「はい!」と笑顔を浮かべた。


 彼女が居なくなった後、俺はふと思った。


「そう言えば、あの子制服着てなかったな」


***


 ある日、吉岡駅で俺が電車を待ちながら本を読んでいると。


 目の前でひらひらと揺れるものがあった。

 ふと視線をそれに移すと、揺れているのは掌だった。

 その手の持ち主を探すと、いつの日か食堂で告白もどきをしてきた彼女だった。


「おはようございます!」


 彼女はこの前と変わらない笑顔で、にこにこと笑っていた。


 俺は読んでいた本をぱたんと閉じると、彼女を見て「おはよう」と言った。


 俺の挨拶を聞くと、彼女は隣に並んできて、ふふと俺の手の中の本を見た。


「ノルウェイの森、ですか。私も昔読みました」


 そう言って、彼女はしみじみと目を細めた。

 細めた後、今度は俺の顔を見てくすっと笑う。


「あなたって、いつもなんだかどこか古い本を読んでますよね。日本文学、好きなんですね? ほらこの前読んでたあの本とか…」


 そう言って彼女が上げたタイトル達に俺は目を丸くした。


 それは俺が3か月ほど前に読んでいた本からノルウェイの森の前の本まで。


「本当に君は俺の事を見ていたんだね」


 俺はそういう事しかできなかった。


「はい。ずっと、ずっと見ていました」


 彼女は俺の顔を見つめ目を細めて、眩しい物でも見るように笑った。


「君は……」


 何か、言いかけた俺の言葉を電車到着を告げるアナウンスが遮る。


 1番ホームに~15両編成~新町行きが参ります。白線の内側に下がって~お待ちください~。


 間延びする駅のアナウンス。

 俺は白線の内側に少し身を引き電車を待つ。


 あと数秒でホームに電車がやってくるというのに、彼女は白線の外側に居た。


「おい、君危ないぞ」


 そう声をかけて、俺は初めて気が付いた。


 彼女の姿が、僅かに透けて向こう側の景色が見えていることに。


「っ、君は」


 俺がそう口を開いたときには、彼女は人差し指を唇の前に当て、シーッとでもいうような仕草をした。


「気付いてしまったんですね。ごめんなさい。私あなたに秘密にしてた事はあったけど――」


 言いかけた言葉はホームに飛び込んできた電車の騒音でかき消される。


 茫然と立ち尽くしている俺の傍を後ろに並んでいた人たちが怪訝そうな表情を浮かべ追い越して電車に乗り込んでいく。


 そんな俺の耳元で掠れるような声が聞こえた。


「あなたに、一目惚れをしたのは本当なんです」


 その声に振り返ったが、そこにはもう、彼女の姿はなかった。


***


 しばらくして、吉岡駅周辺に住む同僚に、ある話を聞いた。


『昔、っていっても結構最近だけど、吉岡駅で人身事故があったんだよ』


『事故にあったのは、23歳くらいの女性で即死だったんだって』


『それから、その駅で夜中度々女の幽霊がでるようなんだ』


 その話を聞いて、俺はすぐに彼女の寂しそうな最後の姿が目に浮かんだ。


 彼女は、自分が死んだことを信じられないまま死んでしまったんだろうか。

 それとも、最初から命を捨てるつもりだったんだろうか。


 どちらにしても、彼女がその話の亡くなった女性だと、俺は確信していた。


 それと同時に、幽霊とは思えないほどの彼女の楽しそうな笑顔を思い出す。


『一目惚れって信じますか?』


 俺は、あの時『信じない』って言ったけど。

 今もう一度君が同じことを聞いてくれたなら。


 そしたら言ってあげるのに。


「僕は、君に一目ぼれをしましたって、さ」


 そう、誰に言うでもなく。

 俺は彼女を最後に見た駅のホームでぽつりと呟いた。


 柔らかく吹き抜けた風から、わずかに嬉しそうに笑う彼女の声が聞こえた気がした。


-END-

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