うつろわぬもの
小椋かおる
第1話
目覚めた時に憶えていたのは、抜けるような青空。
それを映してきらきらと輝く海。
白い建物。
太陽の光を反射する、金の髪。
夢を見る。
繰り返し。
洋二は髪を掻き上げた。
うっとしいと思うほどまでに伸びたその髪を、撫でつけぼんやりとする。
夢を見る。
繰り返し。
ここが何処なのかは分からない。
ただ、気付いたら「ここ」に居た。
飢えや乾きはない。
奇妙な浮遊感。
それを感じて初めて、これが「夢」なのだと気付く。
四方は海に囲まれており、先は崖になっていてまさに断崖の孤島。白い建物の中で目が覚める夢を、ここ最近ずっと見ている。
「おはよ」
金の髪。
目の前でゆらゆらと揺れる。
「? おはよう」
憶えのない「人間」に挨拶をされる。
彼女は返事を返されたことに気をよくしたのか、にっこりと笑った。
「よく来たね」
「あ?」
「何度も繰り返し「ここ」に来るなんて、よっぽどの物好きだよ」
「「ここ」?」
「そ。「ここ」」
金の髪の、まだ幼さの残った顔立ちをした少女は、大きな瞳が印象的。こげ茶色の瞳はまるで猫の瞳のように、くるくるといろいろな表情を映しながら洋二を見つめる。白い肌に白いワンピース。肩はむき出しでどことなく幼さの残る容姿をしている。髪は金色でふわふわしていて背中の半ばまである。
「何処、なんだ?」
「さぁ? あたしも知らないの」
すたすたと洋二の居るベッドの脇から離れて、白いカーテンのたなびく窓辺へと向かう。
しゃっと音がして、カーテンが開かれた。
眩いばかりの陽光が、部屋に射し込む。
「今日も、いい天気よ」
「ああ」
楽しそうに外へ導く少女にならって、彼女の差し伸べてくる手をとって、洋二は
「部屋」から外へ出た。
外は抜けるような青空。
それを映す海もまた輝くばかりの青。
けれどその「島」にある建物は、まるでなにものにも染まることを拒むような白。
「なぁ」
「うん?」
声をかけると金色の髪の少女はくるりと振り返った。
「何?」
「お前さん、名前は?」
「ないよ。なんで?」
きょとんとした顔をして逆に問われて、洋二はばつが悪そうに頭を掻いた。
「いや、その、だな。呼びかける時に不便だと思っただけで……」
「あなたが必要だと思うなら、あなたが付けてくれたらいいよ」
にっこりと笑う少女にそう言われて、洋二はうーむと考え込む。
「そうだな……えーと、きら、とか」
「きら?」
んと、と少女は少し考える。
「きら……ふむ。きら、どんな字を書くの?」
「漢字なら、綺羅かな。綺麗の綺に羅はえーと」
「あ、なんとなく分かった! 綺羅、綺羅ね」
くすくすと楽しそうに笑って少女は頷く。
「じゃあ、今からあたしは綺羅ね。あなたは?」
「俺は、洋二」
「よろしく、洋二」
差し出された手に、触れることは出来なかった。
それが何のためかは、分からなかった。
なんとなくその微笑みが肉食獣のような猛禽類のようなどう猛さをもって自分を見ているような気がした、なんて。それは気のせいだと思いたかった。
これは夢のはずなのに。
夢よりも確かな。
現実よりも不確かな。
不思議な、光景。
建物は、外から見るのと中から見るのとで、印象がまったく異なった。
白塗りの「建物」。
微かに聞こえる歌声。
「……? これは?」
その歌声に眉を潜めた洋二に、綺羅は目をぱちくりさせる。
「聞こえる?」
「ああ」
「……少しは進歩したね」
「ああ?」
「なーんでもなぁい」
綺羅はまるで洋二のことなど気にしていないかのように歩いていく。
その後ろについて、洋二も歩く。
空は抜けるような青さ。
芝生の緑。
建物の手すり部分で輝く銀。
どの色も鮮やかで見覚えがあるような気がするのに、どこかあいまいに感じられる。
「あ」
一人、その手すりにもたれかかって佇む人を見つけた。
「……麻野?」
人の気配に、彼の人は振り返る。
「やーほー」
手を振る綺羅に気付いたのか、彼はこちらに歩み寄ってきた。
「麻野、なんでお前ここに」
「あさの?」
言われて、少し訝しげな顔を彼はした。
横から、綺羅が彼を小突く。
「麻野さん、でしょ?」
「……あ、ああ、なるほどね」
「? 何が」
「いや、こっちの話」
「ね、洋二。麻野さんて、下の名前なんて言ったっけ?」
「裕行、だったはずだけど」
「だって」
「ん」
「だから、何が?」
「こっちの話」
くすくすと綺羅が笑う。
面白くなさそうな顔をしている洋二に、裕行は問い掛ける。
「何か、思い出しました?」
「え?」
「何故、「ここ」に居るのか、とか」
建物のほんの僅か離れた先は断崖絶壁。
逃げ場もない。
この場所に。
「いや……お前さんこそ、何で「ここ」に」
「それは……」
「洋二」
遮るように、綺羅がその手を引いた。
「思い出して」
「え?」
「はやく、思い出して」
「何のことだ」
「ここは「うつろわぬ場所」」
囁くように、呪文のように、吹きかけられる、言葉。
「はやく、思い出して」
眼差しは真剣で。
けれど、何故か輪郭がぼやけていく。
「はやく、」
その声が、掠れていく。
目を覚ました。
不思議な浮遊感はもうない。
そこにあるのは現実だけ。
「……何だったんだ」
覚えているのは海面に反射する光。
柔らかな、金色の髪。
思い出そうとすればするほど、曖昧になる記憶。
「……?」
何も分からぬまま、「時間」が、過ぎていく。
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