✅かがり町の夕暮れ③


いまだ、夢うつつの午後五時。

夕暮れの町を流れる金平糖オルゴールの音に、忍は聴き入っていた。辺りはざわめきの過ぎた紫の闇。だんだんと夜の帳が降りつつある空の遠くには、薄っすらと夕焼けの残り火が。黄昏時だ。なんと美しくもの寂しいのだろう。ここが昼と夜の境界――日没憂える、かがり町の表情だった。


「にゃあ!」


ところで、地上から猫の声がする。さきほど別れたミケさんだろうか。

一生懸命に爪でカリカリ。コンクリート遊具の滑り台をのぼってやろうと頑張っている音もする。が、そんなお元気さんはミケさんではない。もっと、ふれっしゅな若い猫だ。


「にゃあ、にゃあ!」


忍の姿を見つけて大興奮しているのが伝わってくる。

この子は、どんな猫か。――すっかり眠気の覚めてしまった忍は、頭の中の【かがり町猫図鑑】を開いてみる。

甘えん坊の甲高い鳴き声だから、篠塚家のツナ(メインクーン)とは違う。

登校中に出会った森屋家のモリー(ノルウェージャン)ならば、もっと落ち着いている。

駅前交番の警察猫、宗方家のにゃん署長(ボンベイ)は鳴き声からキリリとクールだ。

なんとなく猫の見当がついてきた。ずいぶんと粘っているし、しょうがない。

忍は遊具の中から顔を出してやることに。


「……ミルクかな?」


月の丘を恋しそうに見あげて、にゃあにゃあと鳴いていた猫はぴたりと止まった。

意中の忍と対面出来た――すぐに前足を揃えてお行儀よくする。遊具の上から自分のところまでおりてきて欲しいから。


熱烈な猫の好意だ、忍は周囲を見渡す。


近所の家々はやんわりと窓の中を灯し始めた。外を歩くひとの姿は影のように虚ろで、誰とも判別がつかない。それはこちらもおなじはず。今なら誰も構わないだろう。

忍は月の滑り台をつるると滑ってみる。子どもの時以来だから、ちょっと窮屈、恥ずかしい。そうして地上におりたところで、嬉しそうに尻尾を立たせた猫に、捕まった。


「にゃあ!」


猫の名前はミルクという。かがり町でパン屋を営む粉間こなまさん家の飼い猫で、ふわっふわの白と灰青色の毛並みを持つ、ブルーポイントバイカラーのラグドールである。


お顔はとびっきりの美人。額から鼻筋、口元にかけて八の字にくっきりと白いハチワレで、そこに猫もひとをも魅了する青い宝石のような目がふたつ、きらきらうるうると輝いている。首輪はもふ毛に埋もれて目視出来ない(が、ピンクストライプのリボンとハートのビジューチャームだけ、お顔の下、正面に見えている)。

夢の中か、あるいは少女漫画の中からか現れたような――雄の、美猫だ。


「ミルク、どうしてこんなところにいるの?」


猫の瞳を見つめて、忍はたずねてみる。

この子の飼い主は、かがり町でも超がつくほどの過保護で有名だ。お外は危険がいっぱい、この見事な毛並みが汚れてしまうからと、あまり室外に出してはもらえない。そのためか脱走癖があって、ちょっとした隙をついては、なぜか篠塚家の方面へ(つまり忍のもとへ)と、逃げて(会いに)くる。


ミルクはお返事の代わりに、ぽてっと小首をかしげてみせた。「にゃ?」


そういえば昨夜は猫集会だ。月に一度、月下の猫宴。

ここ、みかづき公園にて、かがり町の全猫が集結して、猫まみれで猫で溢れて、それが夜通し続くので、篠塚家を含めた近隣一帯は大変賑やかだった。


「まさかと、おもうけど……ミルク、昨夜からずっと帰ってないの?」

「にゃあ」


ころんとした白い猫の手(前足)が、滑り台の先端に座る忍の膝上へと乗ってきた。

大きなふたつのふわ耳から、ふさふさ尻尾のさきまで、ミルクは常に計算ずくのポーズでおねだりしてくる。ラグドールとは抱き人形である――この猫種の名前の通り、今、忍にもの凄く抱っこして欲しいのだ。そのためだけに、こんな日暮れまで篠塚家の近所をうろついては待ち構えていた。


「えっと……見つかったら、また怒られちゃうよ?」


前屈みの忍の鼻さきに、ミルクが、なんと鼻ちゅうしてきた。青の瞳がより一層輝いて、ピンクの鼻頭はひくひくと動いている。猫の心が訴えかけてくる、「すき」「すき」「すき」「……気づいて」と、もう告白だ。ミルクは気持ちのわかりやすい猫で、心の声がだだ漏れなのだ。


忍は――

自分がどうして猫にモテるのかわからない。

町を歩けば必ず、猫の方から挨拶に来る。

こどもの頃からそうだったので普段はあまり気にはしない。

が時折猛烈に、自分のルーツに疑問をおぼえる。

忍の父が、とても猫にモテた。

とても猫にモテてたから、……遺伝?

それって父から子へと、わざわざ受け継がれるだろうか。

猫らが、自分を好いてくれるのは光栄だけれども、お決まりの忍の父親似の、借りものの魅力のようで、どうにも腑に落ちない。


そんなふうに躊躇していると、ミルクがちょっとしょんぼりしてしまった。猫の大好きの気持ちを送ったのに、忍からはひと撫ですら返してもらえない。ぴんと立てていたはずの尻尾が地面に悲しく垂れている。

「にゃ……」ミルクは小声で鳴いた、さよならの挨拶だ。お呼びでない猫は、忍の視界から退散するまで。


「待って、ミルク」


おもわず忍は呼び止める。

夕暮れ時の寂しさからか、ミルクの健気さに珍しく絆されてしまった。


他の猫の匂いがついて、篠塚家のツナが不機嫌かつ猟奇的な顔面になるかもだが、抱っこくらいしてあげようか。と忍が手を伸ばしかけた、その時だ――



「うちの猫に触らないでっ!」


 

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