かがり町の夕暮れ

✅かがり町の夕暮れ①


――時報だ。


うずくまっていた忍は顔をあげた。


ここは、【みかづき公園】だ。

なぜこんなところにいるのだろう。

月の丘、という古くて大きな滑り台がある。

大きいのだが、ぽつんとそれしかない寂しい公園だ。

三日月のかたちをしたコンクリート遊具の中で、忍はこどもみたいに座り込んで、うとうとしていた。あれからどのくらい経ったろう、空は橙色に焦がれている。



昼休みに、忍は学校を飛び出してきた。

ぴたりと閉じた正門をよじのぼった上で、一度校舎をふり返った。離れて見ると、なんだか柵に囲まれただけの小さい箱のような世界だなと、心におもってしまった。

月並みな表現だが。

忍はこどもの頃、幾度となくここを訪れては柵越しに中を覗き見ていた。つま先立ちの背伸びをして、いつか自分が通う姿を想像し、それを目の前の景色に重ねてみては心躍らせていた。

校庭はひたすらに広かった。

校舎は時代とともに増築されており、幾棟も連なっていて巨大だった。

あの頃って、目に映ったもの全てに憧れ補正がされていたのかな――そのさきの感情を予測するのは寂しいからやめる。

忍は門を乗り越えて、かがり高校の敷地内から脱走した。


それから、制服姿で町を徘徊した。

いつしか、かがり商店街をとぼとぼ。

そういえば手ぶらだった、財布もなにも持っていない。

自分の着ている制服から、サボりのガリコー生だということは一発でわかるだろうし、それ以前に忍は、町外れの高台にある店【割烹 たかしの】の子だってことを、町中に知られている。


篠塚忍、なにしてんだ?

その時、誰かにそうたずねられたら、大人しく従ったかもしれない。

町を歩けば、誰かしら知り合いに会うのが、かがり町だ。けれども昼過ぎの商店街は、ひとの姿もまばら。暗い顔をしてぶらつく忍のことなんて、誰も構わなかった。

そんなもんだったのだ。

忍は、ぽつんとひとり孤独を感じる。

行くあてもなく彷徨う寂しさ、無意味さ。


篠塚忍、なにしてんだ!

これは自分の声。取り柄のない、かくかく足を動かすだけの、ただの棒人間め。


今、世界ロード――という場所を歩いている。

商店街の中でも多国籍の店が立ち並ぶ一角で、中華食堂に南米料理、西洋菓子店、英国茶葉店。中央にそびえる時計塔の煉瓦広場には、ポテト専門店とアイスポップの屋台が日替わりで出店している。アフリカ酒場、エスニックな食材店、亜剌比亜珈琲館、謎の雑貨屋と他にもいろいろあって、気づくと看板が増えている。


そこに店を構える外国人店主の殆どが世界マンションの住人たちだ。いつもならば、誰かしらが店の前へと出ているが、今日に限ってはどこも静かだった。


世界ロードのさきにはロータリーが広がる。鉄道終点、かがり町駅だ。

都心から延びる古い私鉄の路線で、黄昏時に輝く偲び川と、そこへ架かる鉄道橋の上を、夕焼け色の列車の通過していく様子が見るひとの心に郷愁をおもわせることから、夕日線、またはレトロレールと称されている。


だが、それへ乗るには持ち合わせがない。

乗れたところで結局行くあてもない。

忍はいつでも行動が狭く、かがり町から出られない。


駅前交番が見える。

黒猫のにゃん署長は、もう非番らしい。かれの定位置にその姿がない。

純粋に寂しい。久しぶりに静止画ではない実物と会っておきたかった。

忍は、猫が好きだ。

猫は静か。

猫はあたたかい。

けれども猫以上に好きだった忍の心の支えって、なんだっけ。

ああ……バスケだ。

以前はボールに触れているだけで落ち着いた。が、捨てたのだ。

忍は溜息をついた。ボール、シューズ、ジャージ、ユニフォーム、鷹史が懸命に働いて買ってくれたものを、全部。

全部無駄に終わった。

無駄なことをしている、今もだ。

せっかく鷹史が通わせてくれている学校を抜け出すなんて、どうかしている。昼間っからこうして無駄に町をぶらつくのならば、さっさと篠塚家へ帰ってしまおうか。と忍がおもった時だ。


さらり、と黒い髪がなびく。

忍の視界の端を横切るように映り込んできた、


綺麗に流れる――、腰まで伸びた――、黒い髪――、が⁉


その瞬間、忍の身体が強張った、震え始めた。

足がぴたりと地面に張りついてしまって、動けない。


「ひ……っ!」


無意識にあがった忍のおかしな声に、遠くの黒い髪のひとは、ふり返った。

顔は違った、とおもう。

きっと別人だ。背丈もないし、かがり高校の制服すら着ていない、大人。

違う……別人だった。よかった、違ったのだ、あのひとじゃない、知らないひとだ、よかった。


「ミコト先輩……、じゃない」



忍の脳内に映像が、

【ザーッと流れる水の音、入り混じる赤……】

  悪夢のような光景が甦る。



「違う、別人だ」


考えるな、考えるな、

忍の肩が、震えている。

肩だけではない、全身だ。

感づかれる、ここに、様子のおかしい高校生がいるって、町中のひとに感づかれる。

寒い――寒いはずがない、しかし震えが止まらない。

心も身体も、劇烈に動揺している。

今、ひとの視線が気になり出した忍は、これ以上視界になにも映さないように、真上の空を見あげた。

息をして、ゆっくり、ゆっくり…… いい天気だ。

秋晴れの屋上、すてきな昼休み、藤田と見つめた郷くんをおもい出せ、西村の夢のようなバイオリンを、五十嵐を…… そして階段の、松雪…… なにをした? なんにも悪くない五十嵐と衝突してしまった…… 忍は


駄目だ、呼吸が出来ない。


「……」


苦しい

誰か、


誰か、

助けてくれないか、

全てやり直せないか、遡って、あの夏へ。


「……」


いったい忍は、なにをしているんだ。

すっかり心の弱った迷子じゃないか。




ちりん――と、今かすかに、鈴の音がした。

どこからともなく現れては、鳴る。

忍は穏やかなこの鈴の音を、知っている。


ミケさんだ。


商店街の方に、ぽつんと一匹、三毛猫が座っていた。


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る