かがり町の夕暮れ③

ツナは器用に戸を開ける。

篠塚家に鍵をかける習慣はない。



しかし「にゃ…」と一言、出迎えたツナは不機嫌そうに鳴いた。

ふだん日のあるうちに帰る忍を心配し、ずっと待っていたツナ。

それがどうだろう、今日の忍ときたら強いミルク臭とほんのりミケさんのニオイをつけてきた……これはゆゆしき事である。


忍「……」


一方、忍は言葉に詰まってた。

行きは元気、帰りはぼろぼろ。

今朝ここから出かけて、帰るまで……酷くくたびれた一日だった。


ツナ「にゃあ?」


――しのぶ? と、不審げに見上げるツナ。


忍「……お前は喧嘩しないで、ツナ。大事な友達と」


忍の沈んだ声。ツナは失敗した「!」とばかりに、こてっと転がった。

猫、反省。

今夜すぐにでもミルクに“猫決闘”を申し込むアタマになっていた。

さすが忍……飼い主さん、ツナの気持ちなんて全てお見通し。

そういえば猫集会でも『嫉妬しすぎる性格を直すように』と、モリーに諭されたばかりだった。



鷹史「おー…忍、おかえり」



玄関でのたうち回る飼い猫の様子に気づいたのか、階段脇の扉がそっと開き、そこから鷹史が顔出した。店舗兼住宅の篠塚家……自宅と繋がる唯一の出入口だ。


忍「…えっと、」


とにかく突然で驚いた。いや、

こんなの全然突然でなく、いつもの事なのに。

鷹史に何か訊かれるはず――そう思って用意した言葉「いろいろあるんだよ」。


忍「……」


使わなかった。

鷹史はたった一言、「おかえり」だけ。

それだけ言って店へ戻ってしまった。


忍「え… ?」


ぽかんと、忍は立ち尽くした。

こんなにも鷹史って忍に興味がなかったか。

――17歳、高校二年生。

難しい年頃だって、へんに気を遣ってるのか。

それとも、厳蔵先生に何か言われたのだろうか。


【バスケ部の事、今年の夏の事】


もう、全然、訊いてくれていい。

今なら、もしかしたら、答えたかもしれないのに。

そういえばおじさん、バスケ部を辞めた時も「おつかれ」の一言だった。


思い出した。


忍「…。」

忍「…。そっか」

忍「…。ずっと失望してるんだ」


バスケ部を辞めた夏から、ずっとそうだったのかも。

もう忍に期待してないから、今日の事……気にも留めないんじゃないか。

バスケも普通、成績も普通、性格も普通。

中途半端に放り投げる。成し遂げない。

とりえなし。でも顔だけは似てる。――亡き父親に。

でも役立たない。ぜんぜん男として見てもらえない、ただのこども。


忍「厳蔵先生。わざわざ、“お荷物”の荷物を届けに来てくれたんだ…」


忍はふらふら靴を脱ぎ、玄関に詰まれた荷物やプリント集などには目もくれず……ゆっくり階段を上がっていき、父の仏壇へ手を合わせる事もなく、必死で追いかけてきたツナを入れてやる事もなく、三階の自室へ閉じ篭った。

背中をドアへぴたりとくつけて、そのまますぅーっと崩れていった……。


なに。

実は身長なら鷹史を抜いた。

五十嵐や松雪までの超高身長ではないけれど、いいと思う。

きちっとかがり高校の制服を着て、ラインもパーツもいいし、似合う方だと思う。

性格か。

自分は暗いのだろうか、父はどんな性格だったのか。

どんなふうに喋るんだ、ぜんぜん思い出せない。

だめだ。

また鷹史の大事な人の真似して鷹史の気を惹こうとするのか。

もう父親の幻想なんか、全て取り払って……

……しまったら、自分の個性は何もなかった。


忍「はあ… いったい、ひとりで何してんの」


電気もつけない暗い部屋、忍はぼんやり考えた。

モヤがかった映像、流れる水の音、恨み言、松雪の冷たい目。

校庭で競技場で藤田の走り跳ぶ姿、偉大な家族に挑む西村、部員に囲まれ頼られる五十嵐。

いつしか皆は離れ、忍だけ残される。


篠塚の家さえあれば、忍の心は平和。それで良かった。


ほんの前までは何かと鷹史が心配して、このドアに張りついたり聞き耳立てたりしてたものだ。最近はそれもない。

そういえば久しくない……たった今、


忍「気づいた」


鷹史にも少しずつ心境の変化があったのだ。

おじさんの容姿と一緒じゃん。

忍は鼻で笑い、ふう……と苦しい息を吐きだした。



――今日は蹲ってばかりだ。



さらりと前髪が流れる。



窓は閉まってる。



忍「……」



風なんてなかったはずだ……。



忍はしばらくして顔を上げたが、その際ふと見慣れない“灯り”の存在に気づく。

暗い窓の外、それは今までなかった場所に 灯る……



忍「あ… 世界マンション、例の……角部屋!」



どきりとした、

忍はまるでその灯りに惹かれるように立ち上がって近づいた、

窓辺に手をかけ、そっと…覗く、


そっと…


忍「!」


――角部屋の広いバルコニーに誰か立っている。


?「!」


――その相手も、ちょうど忍の部屋の窓を眺めてた。


窓越しに何気なく視線がカチ合ってしまって、

忍もその人も、互いに同時、驚いた……。


何だろう、何かビビッと思考回路に電流が走った。

正直言って窓の外は薄暗いから、その人の背後の角部屋からの照明が逆光と輝き、詳細は見えなかった。けれど……凄い、なんだか凄い容姿の、男の人。たぶん白っぽい金髪の……白人の人、若い外国人だった。


困惑。


忍の映る窓から真っ正面。離れてるようで、飛び込めば届いてしまう近い距離。けっこう長いあいだにして、ものの数秒。


ふたりはしっかりと、互いの様子を見合ってた……。


――訝しげに見た忍も失礼だったかもしれないが、

――彼だって凄く失礼だ、むしろ失礼だった。


目と目、意識と意識が向かい合ったのち……ほんの一瞬だったけど……その人はフイとそっぽを向き、角部屋の中へ戻ってしまった。

新たな訪れ。新たな出会い。新たな環境。そして変化。

あの人が新しい、そして世界マンション最後の一部屋の住人か。


忍「……何あれ」


――こんなもの? ファーストコンタクト、「苦手」by忍。

嘘であってほしい。まじか。助けてフジタ。

自室の窓から真っ正面の景色に、勝手に入り込んで来た侵入者。

忍はこれから窓辺に立つたび、今の“コレ”を思い出し憂鬱な気分になるのか。

あの人、すぐに近所を徘徊し始めるはず。今後バッタリ遭遇するのだ。

困る、ついてない。心を閉じてやる。

もう引っ越せばいいのにあの人。


忍「つら…」


がっかり。



でもその角部屋の人、確かこういったはずだ。

忍の顔見て、



――「ハヤト サン」



まさかうそでしょ、

忍はぽかんとして、考えた。



なぜ知ってんだ、あの外国人。

それって忍の、



亡き父親の、名前なのだから……




 かがり町の夕暮れ・完

 次は「たかしの日常」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー