✅かがり高校の日常⑩ 厳蔵先生(下)
ここでチャイムの音が鳴った。
朝のホームルームにはまだ早いが、忍もそろそろ教室へ向かわなくては。
「では、確かにお渡ししました」
「毎朝すまんな!」
「いえ……では、失礼します」
「お代はいつも通り、店へ行って払うから」
「はい……では、失礼します」
「待て待て、今日の献立は?」
「えっと……魚です」
「鷹史さんっ!」
ガタッと急に立ちあがったかとおもうと先生は、左胸を両手で押さえつけて、ぎゅっと目を瞑る。篠塚家の、おそらくは夢の中(二度寝中)にある鷹史へ向けて「ヘルシーに感謝!」と念を送っているのだ。
魚で喜ばれてしまうと、忍としてはあまり面白くはない。
「今日も魚なんですけど、何かリクエストがあれば言ってください」
「それ、なんだか……おこがましくはないか?」
「そうですか? 無いならいいです。では、失礼します」
「じゃなくて! 鷹史さんがその……俺の好みを、知りたがっているのかな」
ファンなのだ、先生は。【割烹 たかしの】の料理の味は勿論のこと、そこの店主であり、忍の養父でもある鷹史個人の。
「えっ、鷹史は……先生の好みなら、とっくに把握してるとおもいます」
「だよな! 厳蔵、幸福の極み」
「でも食べたい
「せ、先生は……鷹史さんの手料理を頂けるだけで幸せだ!」
「そうですか……………………、では失礼します」
忍は、真顔で落胆する。
「おい、ちょっ、待てって! 他に、他に伝言はあるかな」
「いえ? 特に、無――」
忍の「無い」を予測したのか、厳蔵先生の顔がしゅん……と悲しげになる。
本当に無かったのだが、どうにも気の毒だ。
忍は、ちょっとサービスしてあげた。
「……あ」
「あ?(ドキ)」
「えっと、お弁当箱は……」
「お弁当箱は!?」
先生、前のめりになる。
「軽く洗って、返してください……だったような気がします」
「う゛……っ!」
先生は大きく仰け反った。
目を見開き、声を詰まらせ、ふるふる震えている。
感動しているのだ。
「洗いますっ、アライグマのように、綺麗にっ!(嫁の小言……いやむしろ、新妻と旦那の約束じゃねえかっ!)」
先生の心の声まで、だだ洩れだ。
「篠塚、ありがとうなっ!」
「いえ……、別に」
「忍くん! 君からもぜひ鷹史さんへお伝えして。厳蔵は幸せです、と」
「はい」
「はい、って一言か!」
忍の冷静さに、驚愕する先生。
逆に忍は、先生のテンションがつらい。
鷹史も含めて、おじさんたちってどうして朝からこんなにも元気なのだろう。ふしぎにおもう。
「あと、もう一度すみません。おかずのリクエストがあれば……(肉を)」
「無い無い無い無いッ! そんな滅相も無いっ!」
「だから毎日、昨晩の店の余りものとかになっちゃうんです……(肉!)」
「おかずのリクエストもクるが、昨晩の夕食の残りものだなんて! 家族として同居してるみたいでたまらんだろーっ!」
先生、言い切った。
忍は勝てなかった。
「はあ、そうですか……それならいいです(……にく)」
「山形厳蔵。本日も、たかしのへ帰らせて頂きますっ!」
「わかりました。では、失礼します」
「本当か、無表情すぎるっ!」
先生は鷹史が好きなのだ。
バレバレ、忍でも知っている。
先生と鷹史との付き合いは長く互いに十代の頃からだそう。
学生時代からずっと想いを募らせ、かれこれ二十年は経つんじゃないだろうか。
当時のかがり高校。
大勢の生徒。
いつか写真で見た美しい鷹史も、生徒の
それは授業のない夏――決まって、夕暮れ時だった。
どんな。
どんなだろう。
忍には、想像もつかない。
厳蔵先生、鷹史、忍の亡き父も、このかがり高校に確かに存在していたのだ。
実は厳蔵先生、かがり高校出身で忍の父の一学年下の後輩だったという。
共に、男子バスケットボール部。当時が一番強かったというガリコーバスケ部には、夏休みなんてない。練習の終わるその頃に、ふらりと現れるのが鷹史という子だった。
厳しい夏の、過ぎし日の夕焼け。帰り路をゆく大勢の生徒の中からただひとり――忍の亡き父の姿だけを、黄昏と待つ美少年が存在したというのは、かがり町の記憶にひっそりと刻まれている。
今尚、語り継がれるほど美しい子に焦がれていたのは、厳蔵先生だけではないはず。
きっと……あの頃、美しい鷹史に皆恋をしていたのだとおもう。
そして現在、忍の担任を受けもちながら、先生はどんな想いを抱えているのだろう。先生の好きだった鷹史。その鷹史が好きだったひとのこども――それが、忍なのだから。
先生は昔から掴みどころがなく、謎めいたひとだ。
精悍な顔つきでありながら、どこか冷たい。
いつも朗らかに笑っているぶん、ふと真顔に戻るとひんやりした印象を受ける。
この厳蔵先生こそ現在の、かがり高校男子バスケットボール部の顧問教師なのだ。指導熱心で、休日返上は当たり前。一説によると生徒ら以上に部活をしている。なんて、皆面白がってそう答えるが。
深層は、どこか冷たく。
寂しげな雰囲気を纏う大人の男性だと、忍はおもうのだった。
おまけ かがり町百景 【職員室と山形厳蔵の机】
机上はカップ麺の摩天楼、机下はインスタント食品の問屋倉庫。この私物まみれの机の主こそ、かがり町一片づけの不得手な山形厳蔵先生である。職員室内の冷めた視線は常々感じているため、まれに整理整頓を試みるのだが、その才能の無さからお宝一斉崩壊。付近の先生方へ多大なご迷惑をかけてしまう。「――厳蔵、自炊せい! リンがたまるぞリンが!」by教頭
※かがり高校の日常。
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