✅篠塚家の日常⑤ 〆


篠塚家三階の忍部屋は、シンプルだ。

趣味のものや流行ものはおろか生活感すらあまりない。西と南に窓がふたつ、勉強机と几帳面に畳まれた布団、あとはツナのためのクッションくらい。目立つ場所に置かれた収納棚も所々があいている。なにかがすっぽりと抜けてしまったような無機質な印象の室である。


「もう行くけど、一目会えてよかった」


口数の少ない忍。おなじく表情も少ないのだけれども、すらりとした身体つきだから、高校のなんの変哲もないブレザー制服がよく映える。鏡もなしに慣れた手つきでネクタイを結んでいく姿を見あげて、ツナは一鳴きした「しのぶ、大好き」。なので我儘に鳴きわめいたり暴れたりして、出発前の飼い主さんを困らせるような猫醜態は、晒さない。


絶対に、晒さない。


「ごめんな……帰ったら、あそぼう」


最近、忍は部活動を辞めた・・・・・・・ので、ツナと過ごす時間がとても増えた。

膝へ乗っけてもらい、おもう存分ふにふにしてもらう。否、本当はなにもしなくていい。忍とくっついているだけで、ツナは幸せ。

ゆうべは猫集会のため、どうしても出かけなくてはならなかったが、そうでない日はずっと忍を独占している。忍がツナを独占しているのではない、ツナのほうが忍を独占している。篠塚家ではこれを、【ツナしの】という。


だからツナは、たった一晩離れただけで忍不足。

考えるほどに、忍不足。


愛しい忍はもうすぐ、憎っくき学校に囚われてしまう(ツナの鼻先がぴくっと、ひくつく)。今別れたら、晩ごはんまで、忍は帰ってこないのだ(ツナの前足、ふるふると小刻みに震え出す)。学校では人間の仲間に囲まれて、猫の知らないことをたくさん経験してくるのだろう(ツナの尻尾、ばっさばさと揺れている)。


だめだ、だめだ、だめだっ!

やっぱりお行儀よくだなんて、していられない!


☆――ツナ、爆発――☆


「え、うっわ……!」


次の瞬間もう、ツナは飛びついていた。傍から見れば巨大猫のタックルだ。これをとっさに受け止め――――きれなかった忍は、後ろへすてんと倒れて、尻もちをついてしまった。


「ん……重いよ、ツナ」

「にゃあ!」

「それに冬服はとくに、毛がつくからやめてよ」

「にゃに!」


猫絶句! 大ショック!

ツナは大型の長毛種だから「重い」とか「毛がつく」だなんてコンボで言われたら、おしまいだ。忍は滅多に怒らない。けれどもその目は、口以上に物を言う。


「にゃ……」


ツナは、一鳴きすると忍の上から退いた。

そしてしょんぼりと尻尾を垂れさげて、忍部屋から去っていってしまった。


「あ~あ…………」


背後から野太い声がした。

鷹史だ、ドアの隙間からやっぱり覗いていた。


「可哀想にツナ~。あいつメークインだから、デカいだけだろ」

「メークインは芋だよ」


「お? メークインな」

「メークインは芋だよ」


「うえ? なんだっけ」

「メインクーン」


「それだよ! メーク・イン★」

「そろそろおぼえてくださいツナは、メインクーンだよ」


「メー……、……、タカシがんばる!」


「ふう」

「若者が、朝から溜息をつくな!」


そう、ツナの品種はメインクーン。

大きくなることが宿命の、巨猫なのだ。


「あ。そろそろ出ないと」


鷹史の粘着トークを涼しくかわし、制服についた猫の毛をコロコロ取っていた忍は、やっとのことで時計を見た。


「いくのか」

「うん」


スクールバッグを肩へ引っかけると、忍は階段を足早におりていった。


「いってきま……」


さきほどツナと鷹史が、もふりこ攻防を繰り広げていた篠塚家の玄関。昨晩から出しっぱなしにしていた忍の運動靴がその激しさを物語っている。つまり猫足と、おじ足とで、たくさんふみふみされて凹んでいるのだ。忍がそれを履くのに手間取っていると、背後から静かに鷹史の手が伸びてきて、制服の後ろ襟をみょーんとつままれた。


「ほれ。しのぶ、お弁当」

「あ、……ありがとうございます」


「なんだその残念そうな顔は」

「いえ、(……魚かな)」


「頭がよくなるから、今日も魚、スゲエ入れといたぜ」

「ありがとう、いってきます(……やっぱり魚か)」


「ちょ、待って。あと厳蔵さんの弁当・・・・・・・も。今日も配達を頼む!」

「はい。じゃあいってきます」


「待て待て、立って。忍の制服姿、よ~く見せて!」

「はい。……もういいですか? いってきます」


「ちょ、まっ! アレ言ってアレ、いつものお願い!」

「またですか」


「お願い~! タカシちょろいから、それで一日頑張れるんだよ」


忍は真顔で溜息をついた。

それからちょこっと表情を柔らかくして、おじさんの欲しがる【アレ】を言ってあげた。



「“……いってくるよ、鷹史。”」



「はあああッ ありがとうございます――ッッッ!」


鷹史の奇声に、篠塚家の全窓ガラスが揺れた。


でも忍は慣れっこ。

もう涼しい顔へと戻っている。


「あのそんなに、父さんに似てきたのかな」

「……ハ? オマエが? いや全然」


「そうなんだ、(……腹立つ)」

「気をつけてな、忍。いってらっしゃい。ではおじさん二度寝しま~す!」


「――にゃあ!」


「はっ! ツナが俺を呼んでいらっしゃる、ごはんだな!」


鷹史はデレッとした顔で、飼い猫のもとへすっ飛んでいく。ぴしゃりと閉じられる玄関戸。なんという態度の変わりようか。忍は呆然として、しばしその場でつっ立っていた。


「……今日も魚か」


毎日魚だ。 

お守りおやつには、なぜか【オカカの小分け袋】なんて持たされている高校二年生だ。


忍ぶれど、お魚の焼いた匂いがしみついているのか。

町を歩けば、猫らにすり寄られ。

学校行けば、同級生に笑われる。


肉がでない。


そうだ中間試験が近いんだ、DHA飯、鷹史なりの応援だろうか。

ただたんに、鷹史が中年だから肉の脂がきついとか。

それとも、などなど、と考えを巡らせ。

やがてなにかに納得したようで、忍はのんびりと出発した。


これぞ、篠塚家。

いつもと変わらない、朝。

いつもと変わらない、はずの日常――。




 篠塚家の日常・了

 次は『かがり高校の日常』


 

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