✅篠塚家の日常②


そう!

過去、鷹史はたいそう綺麗だったのだ!


けれども忍は、その事実をケロリと忘れてしまっていた。篠塚家でお世話になって十余年、毎日顔をつき合わせていたから些細な、おじ変化を見逃していた。慣れとは恐ろしい。鷹史に関する顔面記憶データは日々上書きされて、原形を忘れるほどに書き換えられていた。

しかし一年前、忍の記憶は予期せぬかたちで甦る。それは不意にポカンと、ハンマーで殴られるような衝撃の荒療治であった。


ある日偶然見つけてしまった、【鷹史☆秘蔵のアルバム】。

その中に、もの凄い美少年を写したものが紛れていた。一目見て、忍は恋におちた。古い写真の中の儚く美しいひとに、純粋に、心奪われてしまったのだ。


「えっ……」


女のひとと見間違えるほどの美貌。

だが、かれが着ていたのは男の学生服。


「この子、男だ……」


世の中に、こんなにも綺麗な子がいたなんて信じられなかった。

写真一枚に釘づけ。忍は、時が経つのも忘れてずっと魅入っていた。

気がつけば空まで焦がれた夕暮れ時で、その日は名残り惜しくもお別れをしたが、駄目だ。

寝ても覚めても、かれを想ってしまう。

男だけれども。

戸惑う忍。


翌日。

忍は、鷹史部屋から、例のアルバムを拝借してきた。

自室の床へと寝転がり、その正体を存分に探ってやろうとページをめくった。だんだんと眺めていくと、あの綺麗な一枚だけじゃない。謎の美少年を写したものは複数存在していた。ただし枚数は極めて少なくて、カメラ自体に制限のあるような……昔の、安いインスタント・カメラを使ったのだとおもう。


写真は全て、ひとつの夏。

想いが溢れている。

撮影者が後へ残そうと、ひそかに撮ったもの、そんな気がした。


昔の、かがり高校だ――

正門前、遠くを見つめる虚ろな美少年。

やがてカメラの存在に気づいたようだ。

顔を、手で隠してしまう。


夕暮れ時――

さきを歩く美少年の、ほっそりとした全身を写している。

ふり返った顔、表情はない。


かがり神社、夏祭りの夜――

浴衣姿だ。うしろ髪、ほそい首筋から胸元まで、すっと汗ばんでいるのがわかる。

きっと暑い日だった。

金魚すくいで屈み込み、しんけんに水槽を眺めている写真。

綿あめを片手に、かがり町のゆるキャラ、しのびぃくんに異様に抱きつかれている写真。

屋台では、チョコバナナを押しつけられて微笑んでいる(……ピンクだ)。

この日の最後は、かがり神社の境内か。暗がりでこちらを見つめ、やはり微笑んでいる。


海へ、出かけたみたいだ――

白い陽ざしの下。

制服のズボンの裾をまくしあげて、海へ入っていく美少年。

水をかけられて、大きく笑う写真。

幸せそうだ。濡れてしまった白のシャツ、ひとつずつボタンを外してく、


今にも脱いでしまうのだろう、


こちらへ気づいていない、


はだけてく、白い肌、白い胸、


驚いた表情。


そして見あげる、空の写真。



被写体としてカメラを向けられていたなんて、気づいていないものが殆どだ。こんなふうに写真を撮られていると知ったのち、この子は……どんな反応をしたのだろう。



「はぁ……」


溜息がもれた。

おもわずアルバムを抱え込んでしまった忍の反応は、だいぶ前のめり・・・・になっていた。とくに最後の海の写真だ、ストレートに言う、エロかった。昂りを抑えて、深呼吸――自鎮ののち、胸に抱いたアルバムを離すと、初めに見つけた綺麗な写真のもとへ。忍はその一枚を抜き取ると、ごろんと仰向けになって宙に掲げた。

かれへ想いを馳せてみる。

この子、本当に存在したのだろうか……あかしが少ない。

昔のものだし抜かれてしまったか、もしくは現像すらされていないネガフィルムがまだどこかにあるのでは、と考えついた瞬間手が滑り、ひらりと写真を落としてしまう。それを拾いあげようとして忍は、大いに顔を歪めた。


見てはならぬものを、見てしまったのだ。



【鷹史】



それは写真の裏面に記されていた、魔性の二文字。


鷹史? たか し? TAKA-SHI ?


「え、鷹史……⁉」


サァー……と青ざめていく忍のその背後から突如、野太のぶとい声がした。



「それ、 お れ だ よ !」



ふり返ると、おじさんが。

ドアの隙間からニヤニヤと、笑い堪える顔をして覗いているではないか。


コレがアレ? は? アレがコレ?

忍は手元の美写真と、背後のおじさんを、何度も何度も見比べた。


「――鷹史?」

「ウン」


「――これ鷹史?」

「ウンウン」


「 」


雷に打たれたような大衝撃ののち、忍の思考回路が停止した。

俗に言うブラックアウト。忍は、養父不信たかしきらいになった。ショックが過ぎて一年絶交。一方的につきつけて、まじのまじにその間、一言も会話をしなかった。

普段表には出さないが、忍は相当頑固だ。

しかし例の写真一枚は返却せずに、忍がずっと持ち続けている。未練がましいが手元に置いた綺麗な子を見返すたび、なんとも遣る瀬無く、なんとも説明づかない心になる。


コレがアレになり、アレがコレだったとは。

一目惚れ、からの初恋はものの見事に破れてしまった。おじさん無自覚だろうが酷い罠だ。たとえ一瞬であっても、忍は昂って、養父の鷹史に欲情してしまったのだから。


それから季節が巡りするまで、忍は、忍なりに考えてみた。


おもい起こせば、幼少期。ひとりぼっちの自分へと手を差し伸べてくれた、鷹史。

一緒に暮らし始めて、不安な夜と夜に寝かしつけてくれた、鷹史。

どれも最近の顔面へと補正されていたが、違う――あの頃の鷹史とは、美しのその刹那を切り取った、まさに写真の中の、綺麗な方だった!


なんてことだ……震える、


【おなじ個体】だ。


それに確か、忍が小学生の頃だったか。

参観日にきらきらと輝きながら現れると、担任教師と保護者からは熱っぽい視線を、こどもたちからは主役の座を、毎度さらってはお騒がせしてしまった記憶がある。


でも、ナンデ……何が原因で?


忍は、考えた。

この十年余りで鷹史という人物に、なにが起きたかを。


過去の綺麗な鷹史が普通に十年過ごした場合、現在の鷹史には成りえない。ならば考えられる一番の原因としては、自分しのぶだろう。ともに過ごした歳月で、綺麗だった鷹史の容姿になんらかの異変を与えてしまった可能性がある。



【解】 鷹史+忍=鷹史突然変異



つまり自分は、鷹史の人生とその顔面を狂わせてしまった男。なんということか。あの美しい面持ちが、走馬灯のように流れていく。ごめん鷹史、ごめん鷹史、あの頃……鷹史は美しかった。


しかしそう考えると現在の鷹史も、現在の鷹史でなんだかとっても愛おしい。罪悪感に苛まれるどころか、そんなのすっ飛ばして、忍はふしぎと照れていた。好きか。好きなんだ。ていうかこどもの頃から大好きだった。


一年悩んでやっと気づいた、鷹史に……忍は恋をしている。




風が強く吹いてきた。そろそろ窓を閉じてもいいかもしれない。

その前に今朝も一言かけておく、こういうのは無意識のうちに刷り込むのが重要だから。お寝坊おじさんを見おろしながら忍は、意味深げに微笑む。


「大丈夫。ちゃんと責任・・取るからね」


言い終わるや、否――鷹史の両目がぱっちり開いた。


「え、何、さむっ、てか悪寒……ッ!」


鷹史、やっと起床である。


 

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