意識ってなんだろう その他  

スース・S・ドメスティクス

第1話 意識ってなんだろう

最近の人工知能(AI )を見ているといままで当たり前だったことが当たり前じゃなくなっていく。

例えはもしあなた方あなたの隣の人に意識があるかどうか確かめようとしたいとする

あなたはどうするだろう

多くの人は  ーーその人と親しければだがーー  「あなたは意識が有りますか?」と聞くだろう。そしたらその人は何を言ってるんだという怪訝な顔で「もちろん有るさ」と答える。これは一見意識を証明できたことになるかもしれない。でも例えはその隣人が高度に発達したAI でないとどうやったら説明できるだろう。質問をして意識を確かめる方法はどうしても行き詰まってしまう。

神経科学はどうだろう。先程とは逆にマクロではなくミクロのほうから脳の働きに迫る学問だ。今の非常に優れたコンピューターは人の神経細胞がどうやって信号を伝えるのか少しずつ解き明かしつつある。おそらくいつの日か人の意思決定がどのように行われるかが解き明かされるだろう。しかしそこに意識を仮定することはたとえば物体の運動について「力がかからない物体は神が等速直線運動させる」と言ったときの神と似ている。確かにその仮定に矛盾はないが物事を説明するために明らかに必要以上の物を仮定している。いわゆるオッカムの剃刀というやつだ。つまり意識は脳によって産み出されているというのは私の脳にだけ意識虫という虫が住んでいてそれが脳から情報を一方通行で受け取って意識を発生させているという仮説とそう変わらないように思える。何故ならどちらも今のところ証明できないからだ。例えばこの虫を潰したとしても私はそれをとる前と全く同じ反応しかしないだろう。

もう一歩踏み込んでみよう。昨今動物には感情がとか意識がとか言う話を聞くことがある。これはどういうことだろうか。何をもって感情なのか何をもって意識なのかがはっきりしない上での議論は正直不毛である。例えば脳内で人間において苦痛を感じだときにでる物質が犬の中でも出ていたことがわかったとしよう。それを苦痛だと結びつけそれを取り除くことが動物愛護であると考えるのは科学の誤用に他ならない。人間に人為選択された結果の犬の感情豊かにみえる行動や過度な擬人化が行われた結果、かわいそうという人間の決め付けによる自己満足のための感情論によって愛護法を厳しくしようとしている。これは非常に笑える話である。犬に感情移入するのは毎朝剃られるヒゲをかわいそうに思うあまりヒゲ反りを禁止しようと叫ぶようなものである。現在では犬に意識があるのと同じくらいヒゲに意識があることを否定できない。

最後に意識に関する面白い仮説をいくつか見てみよう。例えば時間についてだ。時間は物理的なものではなく意識によってのみ方向が定められるというものだ。時間が正の方向に進む時のみ意識が現れるというものだ。これはDVDの再生で例えると面白い。つまり画面を進めたり戻したりは出来るが音がでるのは進める時だけだというわけだ。何とも不思議な仮説だがそれ自体の正否よりも時間の根源を意識に求めたことが面白い。

少しとんでもないがある。それが意識が量子に影響を与えるという仮説だ。正直何故量子なのかやそのメカニズムなんかは無茶苦茶であり、実験によって反証も立証も難しい ーーメカニズムが杜撰なのでアドホックな仮説がつけ放題であるーー ので科学とは言い難いが意識の不思議を神経細胞より小さいところに求めるというのは今までにないアプローチでありその点に於いては面白い。

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