シルバーコレクター

紅月赤哉

本編

第01話「冬休みと退部届」

『二年C組、竹内元気君。二年D組、田野恭平君。職員室の庄司先生のところまで十六時半までに来てください。繰り返します――』


 校内放送の呼びかけを元気が聞いたのは、教室の掃除を終えて正に帰ろうとした時だった。制服の上に重たいコートを着てマフラーを巻いているため、外に出なければ逆に汗が出てくる。呼ばれたのだから職員室に行かねばならず、その時にコートを着ているのも失礼と思い、元気はコートを脱ぎ、マフラーを外した。

 季節は十二月。午後四時を過ぎていた。普段ならば既に掃除を終えて帰っている時間だが、終業式を明日に控えて朝の時点から冬休みに入ることからくる気だるさが蔓延していたクラス。元気もまた、独特な空気に毒されていたため、かえって掃除が捗っていなかった。


(なんだろ……バド部かな)


 短く刈り上げた髪をかきながら、呼ばれる理由を思考する。

 クラスが別な人間が呼ばれることなど部活や委員会関係のことしかない。自分が所属している部活の仲間と共に、その顧問に呼ばれるのなら、それは十中八九、部活のことだろう。

 浅葉中バドミントン部、男子部部長。

 それが元気の今の部活内の立場だ。そして、同時に呼ばれた田野は副部長。

 バドミントン部の部長と副部長を呼ぶというのは重要なことなのかもしれないと、気が引ける。元気の中では年内の部活は一区切りついていたため、気持ちの切り替えが億劫になる。それでも呼び出しに応じないわけには行かない。

 今日と終業式が行われる次の日は部活はない。

 後に控えている近い公式戦は年が明けたあと、一月の終わりにある学年別大会だ。

 十一月に行われたバドミントンジュニア大会予選で勝ち進んでいれば、一月の初めに行われる全道大会へと参加できた。しかし、自身の体調不良のせいで予選に参加できずに、元気の年内のバドミントンは戦わずして終わっていたのだった。


(なーんか、あれから気合いも抜けてるし。怒られるかな)


 部活では、入部当初も一人以外は初心者ばかりだった一年も台頭してきて、自分達の立場も脅かし始めている。実力があれば先輩も後輩も関係ないと元気は思っているが、次々と結果を出されると複雑な心境だ。

 女子のほうでも似たような状況だったようだが、徐々に改善されていると部長の寺坂知美が言っていたのを思い出す。


(まあ、俺はもう少ししゃきっとしないと)


 幸い後輩との関係は良好だ。自分が部長として最低限の部の運営を考えていれば、あとは副部長の田野や他の仲間達が支えてくれる。元気は部長就任当初から自分に出来ないことを田野に任せていた結果である。ならばやはり、自身に対しての説教だろうか。


「それだと、田野も呼ばれてるのはおかしいか」


 結局、この場で何を言ってても話が進まないと考えて、元気は職員室へと歩きだした。



 * * *



「失礼しまーす」


 元気は職員室にたどり着き、一度心の準備をしてからドアを開けた。

 中を見回し、バドミントン部顧問である庄司の席を確認する。そこにはもう一人立っていた。一緒に呼ばれた田野恭平。一人で前に立つ時の気まずさが緩和されると内心喜びながら近づいた。田野は立って庄司と話していたが、庄司が元気に気付くと手を挙げて手招きし、田野も元気の方へと顔を向けた。その表情はあまり明るくない。


(なんだ……? 何かまずいことか?)


 自分が何か怒られるのかと不安になりつつ、元気は庄司の前に立つ。庄司は元気の顔を見て、しばらくの間、黙っていた。特に怒られるという様子でもない。しかし、何か不吉な予感がする。

 そんな気配に元気は耐えられず、声を出していた。


「あの、どうして呼ばれたんですか?」

「……これの件だ」


 庄司はそう言うと、机の上に裏返してあった紙を表にして元気へと見せた。A4の紙を四等分した紙の一番上には「退部届」の文字。

 その瞬間、元気の思考は真っ白になった。それでも文字は目から飛び込んでくる。

 下に書かれた名前は小浜亮。バドミントン部の同学年。今まで一年以上、一緒にやってきた仲間の名前。更に庄司は重なっている紙をずらす。あと二枚に記載された名前は名字だけ見えたが、小杉と重光とあった。

 小浜と同じく、同学年の仲間の名前だった。


「この前の練習が終わった後で三人そろって出しにきた。理由はここに書いてる通り「勉強が疎かになっているため」で、親にも考えるよう言われた結果だそうだ。お前達も中学二年だからな。そろそろ高校受験を考える時だ」

「……は、い」


 庄司が言葉を紡ぐ間に思考が正常に働くようになる。それでも相づちを打つのが精一杯だ。


「俺も最低限は止める。だが、部活を続けるのは自分の意志だ。嫌々やっても意味はないしな。二年生の半分が辞めるってことだから、部長と副部長には連絡しておこうと思ったというわけさ」

「俺らが何か足りなかったんでしょうか」


 田野が寂しげな表情をしながら言う。六月から八月までのインターミドルが終わった後、元気が部長で田野が副部長として、新しい浅葉中バドミントン部を率いていこうと決めた。一年も二年も一緒になって部を強くしていこうと考えていたのだ。それが上手く行かなかったから、三人は辞めるのか。

 そう思いたくなる田野の気持ちを組んだのか、庄司は言う。


「お前達が足りなかった分けじゃないさ。各自の勉強は自己責任だからな。文武両道ができないなら優先度を決めるしかない」


 それから庄司は元気へのフォローをしてきたが、元気にはそれを聞く余裕はない。何度か生返事をして、職員室から出た。鞄は持ってきていたが、教室に置いてきたコートやマフラーは取りに行かねばならない。

 田野も同じように置いてきたため、一度自分達の教室に戻って帰る準備を整えてから廊下で落ち合った。


「あいつら。俺らには何も言わなかったな」

「言いづらかったんだろ」


 元気のため息混じりの言葉に田野が答える。そのあたりに自分達への気遣いがある、と。でも元気は頭をかきながらぼやく。


「でもなぁ。辞めるとかじゃ怒らないから、一言でも俺にも言ってくれよなー。部長だから部をまとめるとか、そんなこと言わないけど、一応部長だよ? 俺」

「あんまり部長っぽくないからだろ。まあ、ほんと分かってやれよ」


 半ば悟ったような口調で言う田野を元気はジト目で見る。

 学力は田野は学年でも一桁だった。それでいて部活でも副部長として、部長の元気よりもしっかりしている。更には彼女までいのだから、隙はないのかと元気は思う。元気からの視線に気づいたのか田野は首をかしげつつ言った。


「どした?」

「文武両道ね……俺もあんまりできてないから耳が痛いわ。だからって、勉強が理由で辞めるっていうのは信じられん」

「勉強だけじゃないと思うぞ」


 廊下の先にある玄関。すでに残っている生徒はいないのか、誰の姿も見えない。元気は外履きをげた箱から取り出して上履きと入れ替える。靴を履きつつ、自分の後で靴を履いた田野の次の言葉を待つ。


「試合に出ても結果が出なくて疲れたって重光は言ってたな、前に」

「いつ?」

「鹿島杯の後。俺も聞こうと思って聞いたわけじゃないけど。小杉も小浜も、そんな感じだったんだろうな」


 田野の言葉に元気は考え込む。

 非公式な、本当に市内だけの大会である鹿島杯が秋に行われた。三年が引退して最初の試合。いうなれば、各校の新しい世代の現在の戦力が確認できる大会だ。そこで小浜、小杉、重光は二年生ながら一回戦負けだった。三年が現役だった頃はまだしも、自分達がメインの世代になっても一回戦負けと結果が変わらなかったことに何かを感じたのかもしれない。

 練習しても結果が出ない。それはどうしてもあることだ。元気も、何度も腐って練習に集中できなかったり、先輩に無駄に嫉妬したりということはあった。辞めるということを一度も思わなかったというと嘘になる。

 でも、結局、その道を本気で選ぶことがなかったのはやはりバドミントン自体が好きなのだろう。


(しょうがねぇのかなー。せめてキリ良く学年別が終わるまで待てば良かったのに)


 そう思いながら歩いていると田野が後ろから笑いつつ声をかける。


「お前の考えてること何となく分かるよ。『学年別まで辞めなきゃよかったのに』とかだろ?」

「当たり。キリ良くない?」

「勝つ見込みがないのにこれ以上は無駄ってことだろ。あとは、勉強を本当にするなら冬休みから塾の講習だってあるだろうし。タイミング的にはベストかもね」

「なるほどな」


 外は薄暗く太陽は見えない。元気は踏みしめられた雪の上を歩き出す。三人のことは田野の言葉でなんとなく納得がいった。そして、勉強と言う単語から意識を逸らすために別のことを考える。

 十二月の終わり頃ともなれば、北海道には雪が積もっている。クリスマスには良いシチュエーションと考えて、後ろを歩く田野もデートを楽しむのかと元気は連想した。

 自分も好きな相手と上手くいっていたら、と思う。

 過去に元気も先輩に憧れと恋愛感情が混ざったような複雑なものを抱いていたことがある。だが高嶺の花すぎて勝手に諦めたのは自分自身。そこに未練もないため、恋愛ごとからは意識が遠ざかっている。

 代わりとしてバドミントン欲が強まったのだが。

 結局は、バドミントンに戻ってきていた。


「なあ、これから市民体育館でバドしね?」

「悪い。俺はクリスマスのためにプレゼント買いに行く」


 後ろを見ると、田野がいつもと違う方向へと向かうところだった。


(俺が声かけないと、あいつさらっと行くつもりだったな)


 元気は内心ため息をつきつつ、田野のさりげないノロケに手を軽く振ってから別れた。歩道の雪は学校の前ほどならされてはおらず、靴が雪の中に少し沈み込む。足裏が雪を噛む音を聞きつつ歩いていると、携帯が震えていることに気づいた。

 取り出して画面を見ると、「川岸大輔」の文字。

 通話ボタンを押すと元気はつらつといった声が聞こえてきた。


「竹内! やっと出た。これからバドミントンしない?」


 名前を見た時点で何となく予想していた。おそらく、今、男子バドミントン部内で一番やる気がある男子は誰かと言われたら川岸だろうと元気は思っていた。バドミントンをしたいと思っていた矢先に電話が来るタイミングに、元気は苦笑して了解の返事をする。ラケットバックを取りに行くのに多少時間がかかるため、遅めの時間に待ち合わせを設定してから電話を切った。



 * * *



 市内のスポーツセンターにはすでに何組かバドミントンをしにきている高校生や社会人がいた。普段、大会で使っている場所に個人でくるのは少ない。一つ上の先輩達は良く行って、更に他校のライバル達ともたまに打っていたと聞いた元気は、そこまでのことはできないと先輩達を改めて尊敬する。


(俺で言えば藤本とか小笠原とか誘うようなもんだろ? あいつらはシングルス行っちゃったけど)


 他校の選手で思い浮かべるライバル達の名前と顔。

 自分達の年代のかつてのダブルス一位で、今はシングルスで頂点を競り合っている相手を思い浮かべる。インターミドルが終わった後の市内大会――鹿島杯で、ライバルはシングルスへと転向し、代わりにかつて三位だったダブルスが自分達に勝って一位になった。現時点でまた藤本と小笠原のダブルスが復活すれば、自分達は三位に落ちる。

 先輩のダブルスが積極的に他校の選手を誘えたのも、自分達が一位だからなのだろうと元気は結論づけた。


「なー、物思いに耽ってないで手伝ってくれよ」


 その声に振り向くと、川岸がコートにポールを立ててネットを張っていた。坊主頭で、小太り。誰よりも真剣にシャトルを追い、走っているため、その太めの体が実は筋肉もある程度あることを元気は知っている。バドミントンしか頭になく、勉強も並。服装も、元気が会う時はいつも中学指定のジャージを着ていて気にしていない。そんな川岸を見ていると、元気は安心できた。

 川岸はネットの上部から出ている紐をポールの上についた溝を通して、位置調整できる引っかけ部分を下へと引っ張る。少しだけたわむくらいがちょうどいい高さであるため、元気がその位置を見極めて川岸に固定するタイミングを指示した。

 張り終わってから川岸はラケットを持ち、元気の準備ができるまで自分で持ってきたシャトルを軽く上に打ち上げ始める。元気がコートに入ると、待たないまま元気へロブを上げた。いつもの癖で、元気は特に何を打つとは言わずにドロップを打った。川岸も当然という動作で前につめてロブを上げる。元気のドロップと川岸のロブ。一定のテンポで打ち合いが続く。


(川岸はどう思うかな、三人が辞めたこと)


 川岸も初心者だった。田野と同じ小学校出身で、小学校六年の時にたまたま一月に行われた学年別大会を見に行き、そこで先輩達のダブルスを見てバドミントンをやりたいと入ってきたらしい。当初は全く打てず、体力もなく、試合にも勝てなかったが、先日の市内大会で初勝利を上げていた。辞めた三人が努力が実らなかったのだとすれば、川岸は実ったということだろう。


(今、言わなくても冬休みの部活でわかるしな……)


 伝えるタイミングを考えながら打っていると、当然疎かになる。ネットにシャトルをぶつけてしまい、川岸はネットの下からシャトルを自分の下に引っ張って手に取った。


「なしたん? なんか集中してないけど」


 川岸からの問いかけに、元気は少し逡巡した後で告げることに決めた。一度息を吐いて気を落ち着かせてから改めて吸う。


「実は、今日な。小浜達がバド部辞めた」

「……え?」


 川岸は言っている内容自体が理解できないといった様子だった。元気もそれは分かる。今までそういう素振りを見せていた上でなら分かるが、前回の練習まで辞めるという気配を全く感じなかった。普段から勝てないことや部に対する不満をいろいろ言っているならば、元気や川岸、田野も予想できただろう。田野には多少漏らしていたようだが。


「言ったとおり。小浜と小杉と重光が今日、庄司先生に退部届け出してた。だから、うちらの代は俺と田野と、川岸だけになった」

「……そうなんだ」


 川岸はあからさまにショックを受けている。前回の練習まで見ていた顔がいきなりいなくなる喪失感。少しだけ、先輩達が引退した時に似ていると元気は思う。明らかに理由は異なるが。


「ま、あ。二年は俺らだけでも後輩一杯いるし、何とかなるっしょ」


 川岸はそう言ってロングサーブを打つ。元気もシャトルの下に移動してドロップを打ちながら、今後のことを考えていた。

 一年は七人。一人を除いて初心者だったが、四月の入学から九ヶ月経つ間にだいぶ強くなっていた。経験者にいたっては男子バドミントン部の中で一番強くなっていて、来年のエースと皆が思っている。

 元気は部をまとめるのに実力が一番である必要はないと思っていた。ある程度実力は必要かもしれないが、スムーズに部をまとめられればいいのだから。

 その意味で、順調に成長している一年生達のモチベーションは高く、壁に当たっていた二年生達は辞めて、三人が残った。この状況は部としては悪くはない。


(ちょっと、大雑把すぎるかもな)


 自分に対してため息をつくが、性分なものは仕方がない。

 過ぎたことを気にし過ぎても仕方がないと、元気は考えるのを止めて基礎打ちに集中していった。 

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