24.心が見えない

「いやー、格が違うっすね、隊長」

「まったく遺憾ながらその通りだ、小林」

 小石川の憲兵隊超電装施設。火の手が収まった格納庫は、それでも焦げ臭さが鼻につく。

 煤けた床の上に仰向けに倒れた小林剣一の目線の先には、折り重なって倒れたいくつもの全電甲の残骸があった。沖津英生共々、手出しする間すらなかった。恐るべき豪熱と恐るべき氷雪は、ものの数分もかからずに機械の怪物を葬った。豆腐か何かを切ったかのように滑らかな断面の腕。溶鉱炉に放り込んだように表面が融解した頭。量産型と思しき灰色の機体だけではなく、電甲戦隊五人衆の生き残りも、無惨な骸となっていた。

 〈白のウィップマン〉は、武器の鞭を一対に増やし、先端に回転鋸まで装着して戦うも、その鞭が凍結して粉々に砕かれ、本体を三枚おろしにされ、頭部の中に潜む生体部品を抉り取られて絶命。脳だったものは、一度凍らされ、ばらばらに砕かれ、そして今は徐々に溶けて肉屋の生ゴミのようになっている。

 〈黄のアックスマン〉は、武器に何発もの火炎弾を受けて赤熱したところをへし折られ、大柄な機体に執拗に、圧倒的な火炎を浴び、燃焼を超えて生けるプラズマと化した炎によって内部の生体部品を炭化させられて絶命した。

 二体を葬った姉妹は微笑み交わし、妹の方は「相性が悪かったのですわ」と、姉の方は「いい運動になったぜ」と言った。そしてマシンの爆音を轟かせ、上野方面へと走っていってしまった。

 痛みを堪えて起き上がり、小林は言った。

「あんなんいるなら、もう俺ら要らねえじゃんって話ですよ」

「馬鹿を言うな」と沖津もまた起き上がる。「誰が欠けてもいかんのだ。誰かが怠れば、悪は容易くその隙間につけ入る」

「わかってますって。言っただけですよ、言っただけ」小林は宿舎の方を見る。「無事かな、みんな」

「やつらの口ぶりからすれば、きっと命までは取られていまい」沖津はよろめきながら立ち上がった。「ここは私に任せろ。お前にはまだ、埋めるべき隙間があるやもしれん」

「でもこんなですよ」

 右腕は、とうの昔に壊れて接続部から外して捨てている。左脚も膝を砕かれ、今やただの重石にすぎない。

 すると沖津は、手首のない手で、格納庫に積み上げられた山を指す。

 灰色の全電甲たちが、挺身隊の少年たちから奪い取った筋電甲――その多くは損傷軽微。

「多少合わなくても、お前なら扱える。走れ」そこで沖津は口の端で笑った。「あの娘がお前の助けを待っているかもしれんぞ」



「君は僕が命を永らえることが許せないんだね」

「歪んだ時間の中でいつの間にか老いて、生命維持装置に繋がれなければ生きていけない。今のあなたは延命治療を受け続けている危篤の患者です。呼吸器を外すべきかべからざるか、わたしに答えることはできません」

「でも、君は走っている」

「知あるものの存在は皆等しい。だからわたしは彼らを救いたいんです」

「それが僕の命を縮めることになっても?」

「わたしは正しいこと、己に恥じないことをします。あなたもそれを望んでいるのではありませんか?」

「そうだね。僕は僕を消して欲しいんだ。僕が世界を消してしまう前に」

「下等に見える生命の中にある、すべての知が等しく持つ、証明書のようなもの。あなたはそれに気づき、愛したのですよね」

「異なるものを愛するとき、必ず痛みと喪失が伴うんだ。元いた場所からの別れを意味するからね。君もきっと、これまでも今もこれからも、多くの人と別れ、失うだろう」

「うちの先生も、きっとそうだったんです。お師匠さんと別れて、親友と別れて、組織を離れて、そして奥さんを亡くした」

「でも多くのものを得たはずだ。僕もね。人は僕を愛してくれた。醜い欲望を向けられたこともあったけど、僕に注がれた多くの祈りが、すべて洗いでくれた」

「それでもあなたの一部は世界を憎む」

「それが知性の面白いところさ。一貫性がなく、常に移ろい揺れ動く。無限と拮抗するための揺らぎこそが知性の本質だ」

「わたしたちが、あなたを止めてみせます。だから……」

「今は目覚めるといい。ほら、着いたよ」


 人気の消えた上野駅前。眠りと覚醒の間のような状態で走り続けた早坂あかりは、経験したことがないほど疲労していた。無意識のうちに、普段から休まなければ走れないような距離を一気に走っていたのだ。

 胸元でヘドロン飾りが熱を帯びている。たった今のアルファとの会話を、あかりは頭から追い出した。

 目の前に駅前広場。遠くに超電装同士の戦闘の轟音が聞こえる。

 身体が重い。足が痛い。それでも止まるわけにはいかない。この街に住まう目に見えない多くの生命を、戦火から救えるのはこの街で自分だけであるという使命感が、あかりの足を動かした。

 広場の中央にひっそりと佇む異星砂礫の制御端末に取りつき、あかりは胸のヘドロン飾りを取り出した。街を一個の生物として見なして制御する、都市恒常化機構だ。その接続口に、変形させた飾りを差し込もうとした時だった。

 ひやりとしたものが、あかりの頬に触れた。

「そこで何をしている?」と電子音声が言った。

 首だけでゆっくりと振り返る。

 全身機械の男がいた。捻じ曲がった艶のない銀色の部品が無数に織り上げられ、人の形を成している。人体から皮膚を剥ぎ取り、見えたものをすべて金属に置き換えたような姿だった。だが、頭だけは違う。さながら一ツ目の怪物のように、中心に発光機が灯っている。

 赤い光があかりを照らしていた。

 両手の甲には固定式の刀。うち右手の刃が、あかりの頬に触れ、ひと筋の傷を刻む。

 あかりは奥歯をぎりりと噛み、言った。

「あなたが、〈赤のソードマン〉」

「なぜ私の名を知っている? お前は……」

「知っています。あなたの本当の名前じゃないことも」

「私に、他に名はない」

「いいえ!」巨大な金属と金属がぶつかり合う鈍い音が、次第に近づいてくる。それに負けじと、あかりは声を張り上げる。「あなたのことは聞いています! あなたの名前は大田原宏典! 剣道が好きで、お母さんが好きな、団地の、普通の、幸せな若者です!」

「お前は誰だ」

 ひと呼吸の間考えて、あかりは応じた。

「伊瀬新九郎の名代です」

「ならばここで死ね」〈赤のソードマン〉は刀を振り上げた。

 通じない――心が見えない。

 頭の中で、こんなことしてる場合じゃない、とあかりは考えていた。突然現れた〈赤のソードマン〉の目的を考えたり、囚われて改造人間にされた少年のことを思うよりも、今最優先するべきは、地上に降り注ぐ災厄をまだ知らないエゼイド星人たちだ。

 だが、彼の心は、消えたわけではない。〈松濤トゥルーアース会館〉での彼は、説得に応じるような素振りも見せたのだという。

 ならば目覚めさせることもできるはず。そう思うと、目の前に、影のようなものが開けた。あかりは、その奥へと身を投じる。

 ああ、しまった、とあかりはひとりごちる。彼と話したいというのは、特級異星言語翻訳師としての、技術的な好奇心のようなものだった。学んだことのない言語を話す存在と対話を成り立たせることができる特級の技能なら、何らかの精神支配を受けた人の奥底にある、決して支配されない部分と対話することもできるはず。その、理論上は可能である、という思いつきが一度脳裏に浮かんでしまっては、無視することができなかった。話してもわかりあえないのは、相手の中の話せる部分をこじ開ける技術が未熟だったからだ。最善の結果を得るための努力を怠ってはならない。力と力のぶつかり合いの前にできることは、全部やる。そうして初めて、振るう力にある程度の正当性が宿る。いつの間にか、雇用主ではなく師のようになってしまった男の後ろ姿を、あかりはふと思い出す。彼はいつもそうしていた。

 暗闇の穴の中に見えた白い糸屑のようなものをあかりは拾い上げ、それが言葉になって、無意識のうちに声となった。

「あなたの敵は誰ですか」とあかりは言った。

 〈赤のソードマン〉の刀が止まった。

 さらに畳み掛ける。もう止まらない。頭で考えるより先に言葉が出てくる。大田原宏典という言葉を、あかりは超高速で学習する。幼い子供が、周りの音を聞いて、自動的に意味を見出して最初の言葉を発するように、あかりは目の前の機械の塊の中にいる少年を自意識の外側で理解する。

「あなたが力を欲するのは、お母さんを守るため。ならあなたが刃を向けるべき相手は、他にあるはずです」

「違う。蒸奇殺法の遣い手を、やつを斬るために私はここに来た」

「あなたの望みは。あなたの欲は。その先に何がありますか。わたしは……」

 そこまで言って、姉の言葉を思い出す。

 ――あなた、新九郎さんのことが好きでしょう。

 守ってくれる。頼ってくれる。子供扱いしながらも、いつも敬意を払ってくれる。侮らないでいてくれる。自分らしい自分でいさせてくれる。そんな人は彼以外にいなかった。

 望みは。欲は。その先に何がある?

 考えてしまって、乱れた。

 赤い発光機が明滅し、頭部を左右に振った。そして言った。

「蒸奇殺法か。お前も蒸奇殺法か!」

「は? いや、違いま――」

 応じるより前に、〈赤のソードマン〉は再び刀を振り被る。目を瞑る間もなく、白刃が迫る。

 その時だった。一際大きな轟音が頭上に響いた。そして駅前西側の公園に並ぶビルが崩壊。瓦礫を割って現れた奇妙な超電装がたたらを踏み、しかし踏みこたえられず平衡を失い、駅前広場へ仰向けに倒れ込んだ。

 暴風と飛び散ってきた石礫。あかりは袖で頭を庇う。〈赤のソードマン〉も刀を引いて数歩後退する。

 奇妙な超電装。憲兵隊仕様の四八式〈兼密〉のようだが、その右腕は銀に光る流体で、ただでさえ太い左腕よりさらに太くて長い流線型。表面には、何やら下手上手な蛇のようなものが描かれている。そしてほとんど全損している頭部に、不可思議な炎が宿って穴を埋めている。

「ぬぅ……やつめ、中々やりおる。獅子の飾りは伊達ではないな」

「嗚呼……結局こうなる気がしたんです。嗚呼、嗚呼……やはりやめておけばよかった。わたくしが好きな三字熟語をご存知ですか? 『分相応』です」

「ちきしょう! こんなことなら大人しくムショ送りの方がマシだった!」

 右腕を拡声器にして、三者三様の声が広場に響く。どういうわけかすべて聞き覚えがあり、あかりは目眩を覚えつつ叫んだ。

「あんだら何してるのだがーっ!」

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