23.天気晴朗なれども波高し
「嗚呼……また憲兵の超電装が。これで最後です。これは駄目です。もう駄目です。やはりわたくしには引きこもりが似合い……」
「あの玩具のような超電装、見た目の割にやりおるな」
「安藤さんのだからな。イカれてるけど実力は本物だった」
火除け地が上手く機能して焼け残った戦前の建物と、戦後の瞬時建築が入り交じる上野御徒町。そのうち戦後側である学校の屋上に、いかにも怪しい三人組の姿がある。
縁の角に背筋を伸ばして直立し、最近新しくなった身体の可動域を生かして見事な腕組みをしてみせる機械人間がひとり目である。本来ならば自律駆動させて軽作業の肩代わりをさせたり、小型星人の乗り物にする目的で作られた、身長一.六米ほどの人型機械、小電装である。だがその機体には、他の金属と融合する習性を持つ液体金属生命体・ロバトリック星人の一個体が宿っており、紆余曲折を経て今は呂場鳥守理久之進と名乗っている。
その頭の上に、鳩の形をした火が止まっている。太陽から来た炎生命体、フレイマーである。紆余曲折を経て生まれ故郷を追われて地球に流れ着いた彼は、帝都を火の海にせんとする邪悪な星人に利用されそうになる、伊瀬新九郎に遭遇する、うっかり〈闢光〉と合体してしまうなどのさらに大きな紆余曲折を経て、鬼灯探偵事務所の建物内に巣食って匿われる不法入星者となった。
そして縄でぐるぐる巻きにされたままあぐらを組んでいるやくざ者の男がひとり。闇社会では重宝される非軍属の超電装乗り、榊貴利である。かつては電装王者エレカイザーを操る安藤和夫の部下として、彼を王子と持て囃しながら帝都を狙う悪の一味として暗躍した。一度は伊瀬新九郎と〈闢光〉の前に敗北しながらも〈レッドスター・ファミリー〉の手引で自由の身となり、愛機〈苦紋龍〉を取り戻し、今度は選留主と〈下天会〉に雇われ手先となった。しかし英国で葉隠幻之丞に敗北し、さらに帝都でポーラ・ノースと〈斬光〉に敗北し、今こうして、天樹へと近づく戦いの炎を眺めている。
「どうする気だよ。あいつら、本気で天樹を折るつもりの戦力だぜ」縄を緩めようともがきながら、榊が言った。
「損傷の少ない機体を一機、拝借するでござる」と理久之進。
「拝借ぅ? やられた機体を頂いたところで、何もできねえだろ」
「愚かなり犯罪者。拙者はこう見えて、金属ならばなんであろうと我が物とできるのだ」
「その割には脚が震えてっけど……」
「これは違う。来たるべき戦いに怯えているのでは決してないでござるよ」
「彼は火が苦手なのです」とその理久之進の頭の上からフレイマーが言った。「つまりわたくしに怯えているのです。ええ、まったく、物言いだけは偉そうで、情けない……」
「やかましい! そこをどけ汚らわしい火め!」
理久之進の手を、フレイマーは紐の形になって逃れる。「しかし例のクロームキャスターのような大型にはなれますまい」
「我々は宿主から離れると一握りの液体になってしまう。しかしながら、宿主を鋳型とすればある程度は増殖することができるのだ。拙者が損傷を塞ぐこともできよう」そこまで言って、理久之進は榊の縄を無造作に掴んだ。
とうっ、と叫んで宙を舞う。避難する人々を眼下にし、人の流れに逆らって屋上伝いに進む。超電装の足音が次第に大きくなり、頭に火を、傍らにやくざを抱えた機械人間はビルの貯水槽に背中を預けて身を隠した。
地上には仰向けに倒れた四八式〈兼密〉が一機。何かで抉り取られたように頭部が全損しており、空っぽの操縦席が開いたままになっている。右腕も肩から引き千切られ、信号線や筋電繊維が露出し電光が散っていた。その右腕は少し離れたところに転がっており、手には宇宙超鋼の十手を握っている。
遠ざかる超電装の背中。電装王者エレカイザー三世を先頭に、全部で一一機だった。その向こうには、上野公園の緑が開けている。
「エレカイザーの蒸奇螺旋攻撃だ」と榊が言った。「蒸奇の削岩機を飛ばすんだよ。あれを頭に喰らっちゃひとたまりもねえ」
「わたくしが頭になりましょう」と言うが早いが、フレイマーは理久之進の目玉のない目に飛び込んだ。
「ぐわー! 貴様、何をする!」
暴れる理久之進をよそに、フレイマーは目の中で渦を巻く。「ふむふむ。こういう機構ですね。どうにかなるでしょう」
「死ぬ! ヒィー! そこを出ろ火! 火ィー!」
フレイマーは蛇の形になって這い出す。「何を大袈裟な。わたくしどもが生きるも死ぬも世の中にとっては大して変わりはないというのに。どうせ日陰者ですので……」
「で、理久之進だっけ」榊が口を挟む。「乗っ取るのはいいとして、お前さんどれくらい膨張できんのよ」
「両腕両脚を動かすなら、おそらく十分に。しかし右腕を継ぐのに手間が……」
「ならお前は中枢の乗っ取りと右腕に専念だ。全身の駆動は俺がやる」
「ほう。お主が」
「何がお主だよ。俺が普通に操縦すりゃ問題ねえだろ」
「よろしいので?」フレイマーが疑問符の形になる。「あなたは主、いや、雇用契約を裏切ることになりましょう」
「俺が乗ったのは儲け話だ。大量虐殺じゃねえ。動くために命を吸う超電装だと? 冗談じゃねえ」榊はとうとう右腕を縄から抜いた。「それとそこの魔水銀。超電装の右腕を目一杯デカくできるか? できればこの文様入りで」
口で右袖を引っ張り上げる――見事な昇り龍の刺青。
*
人波の三割は地球人ではなかった。命の危機は、人間だけに限られたものではない。偽装皮膜をかなぐり捨てて走るホヤのような頭の三本足の星人。二足歩行でも象のように長い鼻を持つ星人。中には上野界隈に暮らす顔見知りの姿もある。
先に立つ武志と雪枝を追って、あかりは走る。隣の姉は息が上がっている。
「姉さま、大丈夫?」
「こんなのが、日常茶飯事なの?」
「月に一回くらいかな」
「こんなに物騒だった覚えはないわ!」
「わたしだって聞いてなかった!」と応じたところで、避難誘導にあたる警官たちの中に見知った顔を見つけて駆け寄った。「財前さん! 門倉さん!」
傷だらけの装甲車両の傍らで声を張り上げるふたりは、やはり傷だらけだった。いつもの洋装はあちこちが擦り切れ、血が滲んでいる。顔は煤で汚れ、靴も砂場の中を通ったように汚れている。門倉に至っては、いつも撫でている前髪が縮れていた。
「おお、お嬢ちゃん。無事でよかった」財前はあかりの肩を何度も叩いた。
「おふたりこそ、よくご無事で。松濤にいらしたんですよね?」
「ああ。もう酷え目に遭ったぜ」
「〈斬光〉が駆けつけてくれなければ、我々も喰われていた」門倉は額の汗を袖で拭う。およそ彼には似つかわしくない仕草だった。「後で礼を言っておいてくれ。彼は今も、例の金色の化け物と戦っているはずだ」
「健在なんですね。よかった」
「倒せないまでも南を大回りして時間を稼いでくれている。おかげで先回りできたが……」門倉は芝居がかかった所作で周囲を見回した。「やはり上野の市民は荒事に慣れているな。誘導するまでもない」
「やっぱりここに来るんですね」
「新九郎の作戦だよ」財前は肩を竦める。「あの野郎、どうやったか警察と憲兵の無線に割り込んで、上野をもぬけの殻にしろと言ってきやがった。何を企んでるのやら……」
「待ち伏せだ」あかりは腕を組む。「〈金色夜鷓〉は命を吸うんです。ならその命がない場所なら」
「やつはガス欠ってことか!」財前は門倉の腕を叩いた。「上野界隈なら大半の建物も天樹の魔法で瞬時に元通りになる。こうしちゃいらんねえ」
門倉は大きく頷く。「ええ。声が届く限り、鼠一匹残さず逃しましょう」
「……一大事です」あかりは顔を上げ、息を整えている姉に歩み寄って鞄を渡す。「姉さま、これお願い」
「あかり?」
「先に行ってて! すぐだから!」言うが早いが、踵を返した。
そして走り出す。避難する人々とは真逆の、上野のど真ん中の方へと。
財前が叫んだ。「おいお嬢ちゃん! どこ行くんだよ!」
「わたしの声しか届かない人たちがいるんです!」
「そいつぁ……」財前は門倉を見る。
門倉も財前を見る。武志と雪枝は怪訝な顔になり、かをりは「待ちなさい!」と叫ぶ。
そして顔を見合わせていたふたりの刑事は、ややあってから揃って掌を拳で打った。
「電脳遊人、エゼイド星人!」
*
伊瀬新九郎は琉球畳の上から立ち上がった。
「博打はあれど、支度は万事整った。人事を尽くして天命を待つ。ここから先は、僕の出番だ」
「なァにを偉そうなこと言ってんです。あのねえ、いきなり来て警察の無線に割り込めなんて、あたし以外じゃ鼻で笑われて終いですよ」
「あなたも鼻で笑ったでしょう……」
「ちゃんと話は通しましたよ」
ありがとうございます、と新九郎は頭を下げる。
〈紅山楼〉の奥座敷。文机の紅緒はいつにも増して難しい顔で蜻蛉玉のついた簪を操る。立体投影された無数の画面に目を細め、新九郎は窓の外へ目を向けた。
「あなたはお逃げにならないのですか」
「あんたがくたばったら考えますよ」
「一緒に死んではくれないのですか。悲しいな」
「あたしひとりなら、それもありですがねえ」紅緒は下腹を掌で撫でる。
帝大病院から二ッ森姉妹を送り出した新九郎は、特定侵略行為等監視取締官同士の直通回線を通じて戦況を窺いながら、〈紅山楼〉を訪れた。上野を戦場に定め、市民を全員避難させるという案は、ポーラ・ノースと〈斬光〉の奮戦から得られた貴重な情報を元にした戦術だった。青い肌の男の嫌味な物言いを思い出し、新九郎は肩を落とす。
彼のことだ。また沢山の嫌味を聞かせてくれるに違いない。
紅緒が画面のひとつを眺めて言った。
「例の金ピカを除いても、敵超電装は一〇以上。思わぬ援軍もあるみたいですが、思わぬ厄介もありそうですよ、先生」
「物の数ではありませんよ。問題は、例の怪しい光だ。〈アルファ・カプセル〉は今や完全体となった。下手を打てば異世界です。トンネルを抜けるとそこは雪国、では済みませんからね」
「天気晴朗なれども波高し、ですね」
「ええ。まったく、師匠はどうやってあれを破ったのやら」
「その件ですが、空軍が動いてます。どうも東の方からどデカい飛行体がここにそろそろと近づいてやがるみたいですよ」
「まさか、あれですか」
「ええ、あれです」
「手札は揃った」新九郎は帽子を被った。「ではまた後ほど」
紅緒は追い払うように手を振ると、口の端をちょいと上げて言った。
「表に円車を待たせてます。ご武運を、先生」
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