10.カッショー星人ナヤゴ

 新九郎は光の隧道の中にいた。落ちているのか昇っているのか、進んでいるのか戻っているのかもわからない。だがそこは一個の大きな筒の中であり、泡と泡を繋いでいた。ひとつの雫がふたつに別れる、あるいはその逆の瞬間に形作られる水の架橋の中にいる自分を、新九郎は外側から知覚していた。そして、どちらからともなく吸い寄せられる力を、新九郎は感じた。背中を押されながら後ろ髪を引かれ、突き飛ばされながら引き寄せられていた。

 やがて声がした。

「あなたは、こちら側へ来てはいけない」

 と言っていた。そう聞こえただけで、声の主がそのように発音したとは思えなかった。音で作られる言葉とは別のところにある、言葉に宿っている意志の芯線のようなものだけが、新九郎の耳ではないどこか別の器官に届いていた。

 その声の匂いは懐かしく、肌触りは優しかった。味は慈しみに満ちていて、無数の色が織り上げられていた。知っている、と思った。だが同時に、聞いてはならない、とも確信した。

 。新九郎は刀を掴み、半ばまで抜き、音を立てて納める。澄んだ音が広がり、新九郎は閉じていた目を開く。


 最初の閃光が止み、数秒。新九郎が目にしたのは、止まることない輝きの連鎖だった。

 その根源は、空中に静止する金色の巨大機械だった。翼を折り畳んで首を胴に埋めた鳥のようなそれが、火中に火薬を放り込んだように、目も眩むほどの光を次々と放つ。高笑いを上げる選留主。遠くから地鳴りが聞こえ、やがて突き上げるような揺れが地下空間を襲った。

「旦那! 大丈夫か!」と焔が怒鳴った。だが当の彼女は、頭を抑えて片膝を屈する。「くそ、頭が痛え。なんだってんだ、ちきしょう」

「焔、無事かい?」

「どうにかな!」とは応じるものの、周りを睨むのがやっと。戦闘の継続が困難なことは明らかだった。

 そして凍は、虚ろな目をしていた。

 名を呼んでも、肩を揺すっても返事がない。ただ中空をぼんやりと見つめ、口を半ば開き、右手の鞘と、左手に繋がっていた刀さえ取り落とす。それを合図に、彼女の力で凍結させられていた氷の壁が一斉に溶けた。

 幸い、武装していた信徒たちは全員武器を放り出し、金色の鳥の光を全身に浴びるかのように両腕を広げている。

「わからんな」と新九郎は聞こえるようにひとりごちる。「彼らはなぜ、あんな男に心酔する」

「誰もがこの世界に満足しているわけではないということです」と選留主が応じた。「あなたには想像もつかないでしょう。この街が寄席ならあなたは真打。高座にも登れぬ者の気持ちなど」

「ああ、わからんね。あんたの言葉にカリスマがないからだ。人を動かせる深さがないんだ。精々、片田舎の怪しい呪い師ってところだね。それがなぜ……」

「威厳だけが人を動かすわけではありません」

「これは僕にとっては不都合な仮説で、彼女によって実証されてしまったが」新九郎は凍の頬を叩く。反応はない。「あんたが人を動かしているのは、実力だ。指導者というより、現場責任者向けの能力だよ」

「つまり?」

 眩い光の連鎖を浴びて恍惚とした表情の信徒を横目で見て、新九郎は応じた。「どんなに胡散臭くても、本当に夢を見れば信じる」

「これは先触れですよ、探偵さん」選留主が、地鳴りによろめきながらも、よく通る説法向きの声で言った。片手にした〈アルファ・カプセル〉は、先端の結晶部にヒビが入っている。「今少し調整が必要なようです。ですが、あなたに邪魔されるわけにはいかない。それと、夢ではありません。この世界こそが夢なのですから」

 痩せた黒縁眼鏡の男が〈アルファ・カプセル〉を受け取る。太り気味の白髪男の方は、満足気な笑みを浮かべて奇怪な発光現象を見上げている。

「何が目的だ!」

「我が偽星物ぎせいぶつ・〈金色夜鷓こんじきやしゃ〉の使命はすべての人の目覚め。あなたが雲を払う風ならば、私は夜明けの陽光です」

「デイブレイカーならもう枠が埋まってるぜ。早起きの鶏でも名乗っとけ」

「早くお帰りになったほうがいい。あなたは私を止められないが、私は彼らを止められない」

 なんだと、と応じた時、視界の端に影が走った。

 揺れ続ける水面越しの地面をしかと踏み締め、光の連鎖に乱されながらも新九郎は影の行き先を探る。崩れるテレビの山。倒壊する櫓。寝かされていた巨大な大仏の顔に亀裂が走り、三つに別れて崩れていく。倒れた一本の石鳥居が並ぶすべての鳥居を倒す。頭上からは断続的な落石が降り注ぎ、水面に波紋を刻み、木造の祠のようなものを砕く。

 その喧騒をすり抜けるように迫る何かの気配が、新九郎の首筋に鳥肌を立たせた。

 抜刀――刃を受けた者のあまりにも禍々しい姿に新九郎は絶句した。

 腕は六本。目は四眼。白と緑の間のような体色のその星人は、人間にしては大柄な新九郎よりもさらにひと回り大きい。そして、体色が見えている場所の方が少ない。腕はすべて機械化されている。一本は先端の掘削機が断続的にきりきりと高速回転し、一本は大小の鉗子が扇のように取りつけられ用途に合わせて切り替えられるようになっている。他は機械式鋸、大鉈、巨大な裁ち鋏。そして新九郎の刀を受けた腕は、先端が大きな鎌になっていて、まるで昆虫の前脚の棘のように、大量の手術用メスが鈴生りに取りつけられていた。

 正三角形に近い頭部の左右に対照にある眼は、人間の頭部ほども大きい。瞳孔のような中心の点が、四つとも新九郎に焦点を絞っているように見える。

 だが、そう見えるだけだ。いわゆる偽瞳孔。複眼だから、ずっと追尾されているように見える。

 硬い外骨格を持つ昆虫様の非脊椎動物だが、全身を徹底的に改造するため個体ごとの姿があまりにも異なる種族。覚えがあった。

「カッショー星人か!」

「いかにも」背中から現れた機械の頭部が、あろうことか日本語の声を発した。「それをお返し願おう。私の大事な被験体だ」

 さらにもう一本の細い機械腕が現れ、人間型の五指の手で凍を指差した。

「回収に来たというわけか」

「君がそれらの有用性を存分に示してくれたからね。感謝しているよ」

 機械式鋸に電源が投入され、駆動チェーンが最高速度のけたたましい音を鳴らしては止まることを繰り返す。そして、鎌で受け止め、鉗子で挟んだ新九郎の刀へとゆっくりと近づいた。

 舌打ちする新九郎。足元に倒れ込むようにして刀を引き抜き。振り向きざま横薙ぎのひと太刀を見舞う。飛び散る火花。大鉈が斬撃を受けていた。

 凍を背に庇い、新九郎は片手青眼に構え直す。

 有用性――確かに、彼女たちの能力が社会で有益なものとなるよう警備の仕事を斡旋し、筋電甲支給者に課せられる社会奉仕活動の規定の拡大解釈を認めさせ、帝都で人並みの生活を送れるようにしたのは、他でもない新九郎だった。そして役人たちを説得する時には、彼女たちが『使える』ことを交渉の材料にもした。だが。

「気に入らん」

「手放すのが惜しいのかね?」

「清々しいほどの人権意識の低さだ。尊敬に値するね」

「生まれたままの身体などに拘る下等種族が、生意気を言ってくれる」

「てめえのフェティシズムを押しつけないでもらいたいな、変態星人め」新九郎は吐き捨てる。「それにね、人間の商品価値を計るようなやつがね、僕は一番嫌いなんだよ」

「ナヤゴだ」

「何が」

「私の名だよ、伊瀬新九郎くん。是非、名前で呼んでくれたまえ」巨大な裁ち鋏が開閉する。「君たちだって、愛馬が自分を見分けなかったら腹が立つだろう?」

 皮肉で応じ、機を窺おうとした時だった。背後から飛来した火球が、新九郎の肩を掠めてナヤゴを名乗るカッショー星人に直撃した。

 二ッ森焔だった。だが、第二射は叶わない。頭を抑え、地面の揺れに負けてまた膝を屈する。

 一方のカッショー星人ナヤゴは、直撃を受けて焼け爛れた掘削機を切り離す。

「無理は禁物だよ」頭部を備えた機械腕を多軸関節で絶え間なく蠕動させ、ナヤゴは言った。「あの光は、君たちを絡め取るための光だ」

「殺してやる、クソ野郎」焔は尚も立とうとするが、崩れるばかりだった。「こんなことなら、メットもゴーグルも天樹で買うんだったぜ」

 絶え間なく明滅する〈金色夜鷓〉からの光。地割れが走る。廃車や線路、壊れた電気製品の山が浮かび上がる。だが、石造りのものは崩れるばかり。

「くそ、そういうことか」新九郎はじりじりと後退する。「元々彼女たちを奪取するのが貴様らの目的か」

「いかにも」とナヤゴが応じた。

 読まれていたのだ。

 少人数での短期決戦。二ッ森姉妹の投入。隠す気もない帝都内の拠点。掌の上で踊らされたに等しい。

 異星人勢力の関与を仄めかせた大規模な拉致により特定侵略行為等監視取締官を動かし、帝都最強の戦力として間違いなく戦線に参加するカッショーの改造人間に最適化した光学的精神支配を〈アルファ・カプセル〉の力を借りて行う。選留主と博士たちの真の目的は判然としないものの、〈金色夜鷓〉に機能を十全に発揮させるために搭載するのだろう〈アルファ・カプセル〉の運用試験を行える。カッショーは二ッ森姉妹を手中に収めることができ、己が開発した改造人間同士の戦闘記録を得る。

 二階でマネキンのようにされて監禁されている信徒たちは、拉致による自分たちの危険性のアピールと同時に、改造人間の素体になる。おそらくは、選留主とカッショー星人ナヤゴとの間には、電甲戦隊を戦力として提供する見返りに素体の人間を提供するという約定が交わされている。

「俺らはまんまとハメられたってことかよ」焔は額に脂汗を浮かべていた。「ざまあねえな、旦那」

「こりゃあ参ったね」と新九郎。

 信徒たちが恍惚を脱していた。各々に武器を取り、緩やかな包囲が敷かれる。

 停止していた〈赤のソードマン〉が、光の影響か背を紐で吊られたようにぎこちなく立ち上がり、両腕の刀を構える。

 ナヤゴが頭部だけを首を傾げるように動かし、武器が一斉に金属音を鳴らす。

 そして背後から、武器を半ば失っている〈白のウィップマン〉と、鳩尾の辺りの装甲板が派手に凹んだ〈黄のアックスマン〉がにじり寄る。

 選留主と博士たちは、祭壇で高みの見物を決め込んでいる。

 対する焔はどうにか片膝立ち。新九郎は刀を構えるも、こめかみを冷や汗が伝う。

 そして凍が、呆然としたまま、右手に刀を掴んでいた。

「本来その被検体は右利きだ」とナヤゴが言った。「やれ」

 凍の爪先が、落ちていた鞘を弱々しく蹴った。

 一歩ずつ、千鳥足のように歩き、新九郎へと近づいてきていた。刀の切先が水面に触れ、軌跡に沿って凍結する。

「おい、目ェ覚ませ凍!」絞り出すように焔が叫ぶ。「おねんねしてる場合じゃねえぞ、ちきしょう」

 凍は刀を振り上げる。その頬を涙が伝っている。

 新九郎は言った。「何を見たんだ、凍」

 すると、消えていた表情が儚げな微笑みになった。凍は言った。

「愛した人に愛される夢ですわ」

 凍は刀を返した。鮮血が散り、すべて即座に凍結した。

 凍は、自らの刀で、自分の腹部を刺し貫いていた。

 凍が倒れ、水面に血の赤が広がり、そして炎が渦を巻いた。焔が叫び声を上げ、渾身の力で銃から火炎を放っていた。紅蓮の炎が壁となり、三人を周囲から隔絶する。しかしそこまでだった。焔の右腕に突き刺さっていた銅色の管が抜け、銃を取り落した。

 四方八方から銃声が鳴り響く。鋼の肉体を持つ二体の電甲戦隊が炎の壁を抜けてくる。新九郎は刀を収め、掛けたままだった黒縁眼鏡に触れた。だが同時に、飛来した手術用メスが三本、新九郎の前腕に突き刺さり、咄嗟に身を躱した新九郎の喉を掠め、頬に傷をひと筋刻む。炎の壁を、ナヤゴの腕の一本だけがすり抜けていた。生体部分を避けて機械部分だけを炎に突き入れたのだ。

 鉞を振り上げた〈黄のアックスマン〉が大きく跳躍する。〈白のウィップマン〉が鞭を振るう。

 新九郎はメスを引き抜き、揺れる地面を踏み締めて立った。

「星鋳物第――」

 その時、熱されて屈折した空気に立方体が見えた。

 立方体は無数に増え、炸裂。二体の全電甲戦士を吹き飛ばす。そして新九郎の傍らの空間が多数の立方体によって切り取られ、頭が立方体の男が転移出現した。

「ご無事ですか、新九郎さま」キューブマンだった。頭部を構成する多数の立方体は泡立つように発生と消滅を繰り返していた。

「手出し無用だ! 全員叩き潰す!」

「なりません! こんな狭い場所では、ラプラス・セーフティでまともに戦えません」

「しかし、こいつらも、あの金色も……」

「今は退くのです!」

 共に倒れた帝都最強のはずの姉妹。新九郎の着物の袖に、次第に血の赤が滲む。多勢に無勢。全電甲戦士は立ち上がり、炎の壁は今にも消えようとしていた。

 〈白のウィップマン〉が跳躍し、〈黄のアックスマン〉が電子の雄叫びを上げて鉞をブーメランのように投擲する。ナヤゴが巨体に見合わぬ高速で禍々しい機械腕と武器を打ち鳴らしながら迫る。信徒たちの銃口が、薄れた炎の向こうに新九郎の横顔を捉える。

「この借りは返すぞ、選留主!」

 怒鳴り、新九郎はキューブマンの肩を叩いた。

 最後に聞こえたのは、選留主の声だった。

「蒸奇探偵、恐るるに足らず」

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