6.怪奇・下天博覧会へようこそ

 警察の調べによると、〈下天会〉の施設は全国に二〇を数え、東京市内には三つ。うちひとつは小さな事務所であり、うちひとつは更地を所有しているだけで建物は一切ない。そして本丸である最後のひとつが、渋谷・松濤の超高級住宅街にある。

 ここも東京にいくつか存在する高級住宅街と同じく、元を正せばかつて武家大名の屋敷だったものが江戸幕府の崩壊に伴って売りに出され、財閥や政府高官らの一族によって買い取られて整備されたものだ。しかし彼らの地位や財力とて永遠ではなく、高すぎる相続税によって売りに出されるものもある。そして次の世代の金持ちたちが隙間に忍び込むのだ。

 〈松濤トゥルーアース会館〉と名付けられた三階建の建物は、色気も素っ気もない真四角の近代建築だ。一応、アーチ状の窓が設けられ左右対称の造りにはなっているものの、周辺の凝った建物に比べると一段見劣りする。しかし、最近政敵がマスコミに流した醜聞により失脚し、集団訴訟に敗訴し、三代守った邸宅を追われたとある政治家の私邸があった敷地は、広い。そして今、その素っ気ない建物は〈下天会〉の信者の集会所となっており、選留主、と名乗る会の首魁もここに暮らしている。

「本名は小野崎徳太郎。出身は東京、芝。この宗教団体を立ち上げたのは一五年ほど前だが、ここ数年で勢力を大きく拡大している。君らも往来でビラを配っている信者を見ただろう」

「本屋でそいつの本が山積みされてるのも見たぜ」と応じたのは、二ッ森焔だ。「そりゃあ評判のいい本なのかと思って親父さんに訊いてみたらよ、大して売れてねえし中身もスカスカと仰る。じゃあなんで積んでんのかってえと、平積みしておくと〈下天会〉から金が貰えるんだそうだ」

「そんな金に本屋が頼る、我が国の知的退廃を嘆くべきだろうね」

「この間箱根の方へ走りに行ったら、東海道のあちらこちらに看板があってびっくりしましたわ」とその隣で二ッ森凍が言った。

「安全運転だろうね」

「警邏車がわたくしのひとり走行会に参加して下さいましたの。とっても楽しかったですわ」

 うふふ、と笑う凍に新九郎は嘆息する。「まあ、それも連中の手口のひとつだ。広告宣伝で虚像を見せて大衆の信頼を勝ち取る。富士の麓には〈天光郷〉なんて大層な名前の施設、というより小さな村のようなものまであってね。内部では自給自足の生活を送る信者たちがいるらしいが、まあ周辺の住民とは軋轢が耐えないご様子だ。山を開いて鉄砲水が増えた、汚水で土壌がやられて作物が育たなくなった、うちの息子が帰ってこない、等々で一〇件ほどの訴訟が起こされていた」

 焔が片眉を上げる。「どこからンな金が出てくんだよ。信者の献金か?」

「それもあるが、星外マフィアとの関わりがある。そっちの方はやくざな知り合いが当たってくれているところだ」

 凍が薄い唇の端を上げる。「先生と刃傷沙汰になった方がいらっしゃると伺いましたわ」

「耳が早いね。まあ、そういうことだ。どうもそれに加えて海外からの資金と人員の流入もあるようでね……」

 数日前の有楽町での会合に財前剛太郎は姿を見せなかった。〈下天会〉への、海外からの資金と人員の流入が疑われることがその理由である。公安部外事課が捜査に圧力をかけてきたのである。捜査の主導権を握られまいと、財前は調整に奔走させられているのだ。

「〈下天会〉を隠れ蓑に、海外の勢力が日本の技術基盤を用いて何らかの軍事応用可能な研究を行い、その成果を持ち帰ろうとしている、と公安の連中は疑っているようだ。彼らは知っているのかわからんが、アルファがあるからね。与太話と切り捨てることも難しい……」

「じゃあどうすんだよ」

「君らの力を借りて、調べるというわけさ」

 新九郎と二ッ森姉妹が足を進めるのは、どこの名所名刹かと見紛うばかりの見事な日本庭園である。苔生した岩に落ちる紅葉の赤。石造りの太鼓橋の架かった池には紅白の錦鯉が泳ぎ、点々と植えられた松と下草で辛うじて順路が形作られている。主曰くは一族の故郷である瀬戸内の海と山々を庭園に落とし込んだもので、太鼓橋は彼が計画を進めるべく国会で裏工作を着々と進めている本州四国連絡橋を示しているのだとか。

 そしてこの屋敷は、〈松濤トゥルーアース会館〉に隣接している。

「主が昔、僕の母の客でね」と新九郎。口寂しいが、煙草を吸うのは躊躇われた。「今はさすがに内閣に列されることもない党の重鎮の立場だが、国土庁なるものを作ろうと東奔西走しておられる。大きい公共事業は大体元を辿ると彼に行き着くよ。次の内閣は多分、橋と道路と鉄道と空港で国の形を変えるだろうさ」

「大物とだけ理解しておきますわ」と凍。

「つくづくあんたのコネは底が知れねえよ」焔はスカートの裾を払い、巨大な銃に手を触れた。「で、どうする。この壁、ぶち抜くか」

 足を止めた一同の前には敷地を区切る漆喰の壁。人並み外れた長身の新九郎でも、見上げていると首が痛くなるほどだ。

「後が面倒だから勘弁してくれ」

「じゃあどうすんだよ」焔は指先で単車に乗る時に装着するゴーグルをぐるぐると回している。

「まあまあ。……凍、ちょっと見てきてくれないか」

「お任せくださいな」

 言うが早いが凍は氷の足場を作り、踊るように登って塀から顔を出す。しばし左右を伺うと、足場が溶けた。落下した凍は音もなく着地する。

「警備はどんな様子だい?」新九郎は訊いた。

 凍は答えず、髪を払い、濃紺の羽織の裾を直す。桃色の紅を引いた口元が何か言いたげに開き、結ばれる。

 苛立った焔に促されようやく凍は口を開いた。

「警備自体は、皆無ですわ。でも……妙な気配を感じますの」

「気配? どこから」

 新九郎の問いに、凍は黙って下を指差した。

「下。地下か?」焔は銃を抜き、足元へと向ける。

「甘く見るなよ。師匠曰く、『愛と理を喰らう下天の者』だそうだ」

「なんだそりゃ。星鋳物の正式名称か?」

「『雲を払う天地開闢の光』ね、僕の第七号は。第A号〈斬光〉は『魔を斬り払う破軍の光』で、第J号〈殲光〉は……なんだったかな。確か『地を薙ぎ払う殲撲の光』、とか、そんな名前だったよ、確か」

「そういうの本当に好きだよな、あんた……」

「僕がつけた名前じゃなくて、〈奇跡の一族〉による名づけを日本語に訳すとそうなるんだよ。文句なら天樹に言ってくれ」新九郎は腕組みする。「ははあ。すると愛と理云々というのも……」

「無駄話はそこまでにしてくださいまし」凍が刀を握り直して言った。「抱えて跳べばよろしくて? 先生」


 無味乾燥な現代建築なのは、外観だけだった。

 縦に長い、重いと散々文句を言われながら伊瀬新九郎は二ッ森凍に抱えられて壁を飛び越え、追って飛び越えてきた焔共々屋上の鍵を破って建物へ侵入する。するとまず現れたのは、無数の熊のぬいぐるみが壁に貼りつけられた廊下だった。非常灯だけが点々と灯る廊下に、巨大な一個の不定形生物のような影を作る。

「気味が悪いですわね」と凍。

「一個なら可愛いのにな」と焔。

 足音を殺して進む。ぬいぐるみたちの無数の目に追いかけられているような気がする。人の気配はないが、その感覚自体が、ぬいぐるみたちに殺されているように思える。たかがぬいぐるみ。そう考えようとするほど、ただのぬいぐるみが無数に増殖したり、突然意志を持って襲いかかってくるような妄想に取り憑かれそうになる。

 そして進むと、曲がり角の床に穴が空いていた。あろうことか、穴の下には青空が見える。曇天ばかりのこの街では年に数回しか拝めないような、鮮やかな青。

 我が目を疑い、ゆっくりと近づき、新九郎は息をついて言った。

「錯視だ」

 爪先を青空に突き入れると、床に触れる。空と、穴の絵が、病院のようなリノリュームの床に描かれているだけだった。

 焔が舌打ちし、ささやかな炎を放つ。塗料が上張りごと焼け焦げ、穴が煤になって消えた。

「なんなんだよ、この屋敷。悪趣味にも程があるぜ」

「世界への不信」と新九郎は呟く。「選留主という男、相当の偏屈者だね」

「先生が仰るなら相当ですわね」先に立つ凍が言った。

 本来は無機質だろう階段を降りる。変わらす薄暗い照明に浮かび上がるのは、色とりどりの、大量の短冊だ。子供のような乱れた字で何事か書きつけたものが、階段の柵や手すりへ無数に結びつけられているのだ。まるで蔦に巻かれているかのよう。壁面には、黄ばんだ新聞紙が壁を埋めるほど貼りつけられている。

 短冊をひとつ、手に取ってみる。『パパがママになりマスように』と書かれている。もうひとつ。『みんながお菓子くなりますようニ』と書かれている。

 さらに降りようとして、新九郎は足を止めた。

 無数の人の、気配があった。

 姉妹と目配せを交わし、足音を殺して二階へと足を踏み入れる。

 まず、小さな祠のようなものが目についた。左右には地蔵のような石像が置かれている。しかし、よく見れば頭部は河童であり、首から下は乳房と陰茎を両方備えた小人を象っている。祠の戸は開け放たれ、中にはラベルが薄汚れた毒々しい遮光瓶の薬品らしきものが大量に詰め込まれている。

 赤や橙色で派手に彩られたアーチのようなものが設置されており、看板にはこう書かれている。

「ようこそ下天博へ……」と凍が呟く。「何がしたいんですの、これ」

「僕に訊かれてもね。どことなく唐人街のようでもあるが、いや、むしろウラメヤか」

「どうする。何かあるなら地下っぽいんだろ」と焔。「さっさと下行くか? あんたに任せるぜ」

「僕が請けた依頼は行方不明者の捜索だ」

 靴音を殺し、新九郎はフロアを進む。

 すると、センサーか何かが仕込まれていたのか、奥に広い空間の手前側だけ照明が灯った。左右に針金が渡され、点々と電気提灯が吊り下げられていたのだ。

 照らされた廊下を新九郎は進む。後ろからついてきた焔が、すぐに「なんじゃこりゃあ」と声を上げた。

 左右は硝子張りになっており、中には夥しい数のマネキンが詰め込まれていた。着せられているのは、和服だ。侍、町人、農民、商人。様々な身分の装束で、出鱈目な姿勢を取らされたマネキンで硝子の向こうは埋め尽くされ、さながら時代劇の衣装倉庫か何かのようだった。

 すぐに違和感に気づいた。

 新九郎は硝子に手を触れ、その向こうを凝視してから言った。

「凍。ここを切り取れるか?」

「お安い御用ですわ」

 進み出た凍が刀を抜き、鋒で硝子に触れる。呼吸を整え、刹那の間に円を描く一閃。そして中心に改めて鋒を触れる。

 微かな擦れ音を立てて、見事な円形に切り抜かれた硝子が、冷気で刀の鋒に張りついて取り外された。内部の湿気た空気が凍の力に触れて白い煙になる。

 その穴から新九郎は身を差し入れ、町人の娘風のマネキンに触れた。

「やはりだ。生きてる」

「嘘だろ」と焔。「まさかこれ、全部か」

「全部ではないな」新九郎は手が届く範囲のマネキンを探る。「だが半分以上だ」

 硝子を床に置き、刀を納めた凍が反対側のマネキンたちを見つめ、身震いする。「こちら側もですわ」

 体温はある。死んではいない。だが、目を見開き身じろぎ一つせずショウケースに納められている様は、まるで博物館の展示品か何かのようだ。ひとりやふたりではない。一〇人、二〇人、ともすればそれ以上。

 焔の手を借りて、ひとまず町娘の身体を引っ張り出して床に横たえる。

 掌を目の前で上下させても反応はない。脈はあり、呼吸もしている。手足も剛直はしておらず、外から動かせば素直に曲がる。血色が特別悪いわけではない。しかし、耳元で呼びかけても一切の反応を示さない。袖をまくって静脈の辺りや二の腕を確認しても、注射痕のようなものすら見当たらない。

「……どうすんだよ、伊瀬の旦那よ」焔は居並ぶマネキンたちを見る。「連れ出すにしても人数が多すぎるぜ。さすがに気取られる」

 新九郎はしばし考え、懐から掌大のレンズのついた機械を取り出す。自称・呂場鳥守理久之進の新しい身体の頭部から摘出したカメラだった。

 レンズを向け、マネキンたちを次々と撮影する。市中に出回っているフィルムカメラより遥かに小さく軽く、ストロボなしでも構わない。超電装の操縦席にある投影装置が即時的に用いている技術の流用で、後でいくらでも画像変換ができるのだ。

「また便利なもん持ってんな」と焔。「でも超電装の操縦席のやつってそんなに画質良くないよな。大丈夫なのか?」

「誰なのかわかればいいからね」と新九郎は応じる。後で神林忍のリストや、おそらく紅緒が調べているだろう行方知れずの女たちと顔を照合するつもりだった。

 見回す限り、大田原宏典の姿はない。

「江戸、だけではないようですわね」凍が奥の暗闇に目を向ける。「人の気配がいくつも」

「君が感じた気配の正体かな」

「ここへ入ってから、勘が鈍ったような気がいたしますの」刀を手に階段の方を警戒する凍。

 今一度町娘の顔を撮影し、目を閉じさせてやってから、新九郎は立ち上がった。

「なら自分の目で確かめてみるとしよう」

 奥へ進む。提灯に光が灯る。

 左右にはやはり無数のマネキン。今度は服装が異なる。和装の男は髷を結わないざんばら頭になり、帽子を被ってステッキを手にしている。女たちは洋装になる。腰の後ろが大きく膨らんだ貴婦人のドレス。だが布地の所々には和の文様で、髪は日本髪の後ろを崩して、編んで垂らして花飾りやリボンで留めた夜会巻きになっている。いわゆるバッスル式だ。

 江戸の次は明治――鎖国が解かれ、文明開化と共に洋装が日本文化に雪崩込んだ頃。

 撮影し、さらに奥へ進む。再び提灯に光が宿る。

 洋装と和装の一体化が一層進む。洋風のワンピースに和の羽織を合わせたり、飾りや小物だけ洋風のものを取り入れたり。当時、舶来品はまだ高価だったが、女性たちは工夫を凝らし、ゆえに新しい流行が花開いた。遊び心がある洋風の柄に染めた和服も多く出回った。男たちも和服にソフト帽を被り、内に洋風のシャツを身に着け、ステッキを手にする。男性の方が、背広が仕事着になった影響や、戦争帰りの元兵士たちの習慣が残ったことで洋装化は早かった。

 明治の次は大正――浪漫の花が咲く時代。

 撮影し、さらに奥へ進む。招き入れるかのように提灯に光が灯る。

 思った通り、今度は昭和だ。産業の工業化に合わせて洋装化が一段と進み、脱ぎ着が簡便であることから家庭での服装も切り替わる。純和装はハレの日に限られ、女性の髪は短くなり、洋装の中に和の小物や図柄を取り入れたものになる。

 だが、徐々に慣れ親しんだ現代に近づいているはずなのに、新九郎の眉間には皺が寄る。

 和服を上下に割った簡着物が見当たらないのだ。戦前に洋服の簡便さと和の佇まいを両立させるために開発され、戦後の国威発揚の効果で洋装から和装への揺り戻しが起こり、学校制服への採用をきっかけに大いに普及したはずなのに、マネキンにその気配はない。

 それどころか、見慣れない地味な、無地のカーキ色の服が目立つ。詰め襟の軍服のような型まで同じだ。そして女性たちは、ゴムで裾や袖を締めつけて、手足に束ねた藁を着けているような珍妙な服装になる。既製品ではないのか、布地には継ぎ接ぎが目立ち、色の合わせ方もセンスがあるとはいえないものだ。

 まるで装うことが忌避されているかのような実用一辺倒の服。こんな全体主義国家の標準服のようなものが流行した時代は、この国の歴史にはない。

 撮影しながらさらに進むと、マネキンたちの装束は輪をかけて珍妙になっていく。艶の強すぎる靴に白いズボン、柄物のシャツ。炭鉱労働者のようなデニム地やゴムと化繊の靴。山手線の西側の一部地域だけで、西洋かぶれの反動的な若者だけが着ているような服装になっていく。

 新九郎は進む――胸に何かの徽章のようなものが縫い付けられたセーターやチェックのズボンから成る、白人の学生服のような服装。黒ずくめ。かと思えば突然、赤白桃色で人形か何かのように服を盛りだくさんにした乙女趣味の女性のマネキンが現れる。一方ではわざと型が合わない大きすぎる服に着られているようなマネキンもある。そして、やけに身体の線が出る、艶のある原色に近い生地のタイトスカートと白いシャツに身を包み、前髪を額の真ん中で分けた女性もいる。もはや和装の気配はなかった。

 時代が加速しているかのように、服の傾向が目まぐるしく変わる。だがいずれも、目にしたことも耳にしたこともない奇妙な服装だ。

 なぜ宗教施設の中にこんなものがあるのか。意識のない人々はなぜこんな服を着せられてショウケースに詰め込まれているのか。違和感ばかりが高まるところに、今度は最近の親が赤ん坊に着せるような服がそのまま大きくなって大人が着ているような服装が現れる。続けて、あまりにも短いチェック柄のスカートに紺のセーター、胸元にリボンをぶら下げ、なぜか無意味に長い白い靴下を蛇腹か何かのように撓ませて履いた女。もう匙を投げてただ見るだけにしようと新九郎が半ば呆れ始めたところで、まるで花魁の高下駄のように底の厚いブーツを履いた女がショウケースに現れ仰天する。

 その時、凍が「先生!」と鋭く叫んだ。

 部屋の端まであと数米。最後の提灯が灯ると、そこに佇んでいたらしき人影が照らし出された。

 白衣を着た白人の女だった。年の頃は五〇くらいか。縮れた金髪を後ろに束ね、顕わな額には懊悩を写したような皺が刻まれている。青い目の光は昏く、鷲鼻のせいか、それとも空間のためか、その姿は魔女を思わせた。

「何者だ」言い、新九郎は流星徽章から刀を取り出す。

 追いついてきた凍が新九郎を背に庇って居合に構え、後方では焔が銃を抜く。異様な空間なのは確かだが、普通の人間がこうも気配を殺せるものだろうか。提灯が光るまで、帝都最強の二ッ森姉妹でも気づかなかったのだ。

 只者ではない。確信し、新九郎は刀を帯に差して一歩踏み出す。

 すると、女が英語で言った。

「わたしはノラ・ボーア。あなたを待っていた、シンクロー・イセ」

「やはり読まれていたか。選留主という男、底が知れない」

「誤解しないで欲しい。わたしは〈イレギュラーズ〉のひとり。シャーロックの意志を代弁する者だ」

「味方、と言いたいのか?」

「そうだ」

「なぜ、ここにいる。英国も〈下天会〉という隠れ蓑を欲したのか」

「それを話す前に、選択しなさい、シンクロー。ここを去るか、ここから先へ進むか」

「決まりきったことだな」

」ノラは眉ひとつ動かさずに言った。「それでもなお進むか? 蒸奇の申し子よ」

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