28.さらば、友よ

 戦闘終結直後、伊瀬新九郎は激しく嘔吐した。宇宙空間での戦闘訓練などろくにしていないのだから当然だった。幸運だったのは、〈闢光〉の中に加熱消毒を何よりも得意とする生命体が同居していたことだった。

 全乗組員が昏睡状態に陥ったチレイン連合艦隊の艦船は、直後に現れた星団評議会の艦隊により全て拘束・武装解除された。不正な手段で起動していた〈殲光〉も例外ではなく、交渉の余地なく回収され、再び地上に降ろされることはなかった。法月八雲についても拘束されたが、身柄は一旦、地球の天樹預かりとなった。

 地上の被害は早坂あかりを始めとする特定侵略行為等監視取締官の協力者の尽力で最小限に抑えられたが、それでも一〇〇人以上の民間人が犠牲になった。軍人の被害はその五〇倍以上に及んだ。大半は護国の盾となった翠光艦隊の乗組員たちだった。轟沈は二〇以上を数え、その被害は戦後最大となった。

 戦闘集結の翌日から、伊瀬新九郎は度々天樹に呼び出され、激しい査問を受けることになった。主に星鋳物運用が適正であったかを問うものであり、星団評議会から派遣された査問官らの質問は特に、星鋳物への他生物の寄生を許したことと、法月八雲にあえて第J号〈殲光〉を使わせたことに集中した。しかし基本的には、戦闘中から戦闘後の査問を想定して論法組み立てに余念がなかった新九郎の主張が受け入れられる結果となった。しかし時計頭の男に送られて事務所に帰ってくるたび、伊瀬新九郎の愚痴の数と煙草の本数は増えた。

 事件についての報じられ方は様々だった。当初法月新聞社の御曹司が事件に加担したことを激しく書き立てた新聞社も、事件終結後はチレインに潜脳されながらも正義のために戦った天晴な男、と論調を変化させた。代わって非難の対象になったのは、行動が遅れた天樹だった。外に敵を作って結託した方がいいに決まってるさ、とは伊瀬新九郎の言である。ちなみにそこから始まった政治講釈をうんうん頷きながら全部聞き流したのは早坂あかりである。

 一方、軍の装備についての写真は大半が検閲を受けた。しかし少数の自費出版物が地下市場に出回り、日本の軍事力に並々ならぬ関心を持つ外国勢力による諜報戦が帝都を舞台に繰り広げられたとか。しかし正規不正規の手段を介して伊瀬新九郎の耳に届く限り、どうやら彼らの関心の向かう先は『損傷を自己修復する超電装』や『単機で一〇〇以上の光線砲を制御する装置』など星鋳物由来のものばかりであり、それが正規軍に組み込まれていないことを知ると、潮が引くようにスパイたちの姿も消えたのだとか。代わりに、単独で大きな戦力を保有する日本への外交圧力が高まり、外務大臣が国際会議の場で三体の星鋳物を指して「あんなものは知らん」と発言するなどの珍事も起こった。

 そう、三体である。

 平時の通りに天樹に戻された〈闢光〉、回収されて星の彼方へ持ち去られた〈殲光〉。そしてもう一体、〈斬光〉はというと、やはり天樹の内部に格納されて修復を受けていた。しかし部品が届くのに時間がかかる。するとスターダスターのポーラ・ノースは暇になる。彼はこれ幸いにと休暇を満喫することにした。付き合わされたのは、特級異星言語翻訳師・早坂あかりとその友人たちである。そして焼け残った浅草仲見世を巡り、念願の芸者さんと写真を撮り、いろもの寄席を観ようと演芸場に脚を踏み入れた時、事件が起こった。

 演台に立っていたのは、早坂あかりの友人である田村景が一押しする、ボケがクラゲの漫才師である。そして彼らが「はいどうもー」と言って現れた瞬間、ポーラが立ち上がって叫んだ。

「兄貴!」

 そう、あろうことか、彼らは遥か昔に身体を分けて別個体になった、かつて同一だった存在なのである。その関係を日本語に直すと、兄弟になる。演台のクラゲも大騒ぎで大号泣し、漫才どころではなくなってしまった。不死で個体間の交流を基本的に持たず他の生物の社会に寄生する彼らにとって、出会いとは奇跡である。ましてや再会である。

 ポーラはその場で、彼の本来の姿であるクラゲの形になった。田村景が仰天する横で、早坂あかりはひとり納得していた。〈斬光〉は、人型の超電装がマントを被ったような姿をしており、そのマントは裾に切れ込みが入っている。翻りの数は、ポーラとその兄である漫才師の脚の数と同じである。つまりポーラ・ノースにとって、〈斬光〉の本体はマントの方だったのだ。

 後に早坂あかりが耳にしたところによると、漫才師の方は随分前から地球で生活しており、ハーバート・ジョージ・ウェルズとも親しかったのだとか。つまり宇宙人イコールクラゲというイメージが地球人になんとなく植え付つられているのは彼のせいである。

 そして紫陽花の季節が終わり、凌霄花ノウゼンカズラの橙色がひとつ、またひとつと街を彩り始める。

「わからんのはだな、新九郎」と法月八雲が言った。「キリストが説く『天の国に富を蓄える』というやつだ。あれは共産主義と何が違う?」

「私有財産を否定し、共通の思想や教条に準じる機能単位となり、個人の能力を社会的労働力として支出する。各々がドグマに忠実である限り、サボタージュも搾取も生じない。しかしマルクス主義は基本的に無宗教だし、目指す結果は同じでも過程には大きな差がある。外から見ればどちらも寝言を言っているようにしか思えないけどね」

「やることが不自然だからそうなる」

「しかし資本主義というか、新自由主義経済の行きつくところは富の局在だ。その中にある小さなキリスト教社会主義の価値を否定はできないだろう」新九郎は箸を伸ばし、湯気を立てる餃子を頬張る。「最高だな。やっぱりここが一番だ」

 湯島天神からほど近い、帝大正門から数分のところにある中華屋で、新九郎と八雲は食卓を囲んでいた。客はふたりの他になかった。壁に手書きで並んだ献立は、ふたりが足繁く通った時と同じものだった。色褪せ、油染み、中には価格が変わったものもあった。

 変わらない店主が新しい皿を持ってくる。レバニラ炒めだった。

 脂と埃に汚れた扇風機が店内の空気をかき混ぜている。

「これだよこれ。後先何も考えないにんにくの香り。たまらんね」

「良心が保たれる共産主義は小規模にならざるを得ないということか」

「どんな薬も多すぎれば毒になる」

「この世のあらゆる物質は毒だ。毒性学の基礎だな」八雲はニラレバ炒めを一度小皿に取り、それから口に運ぶ。「素晴らしいな。毒になるものほど旨いのは不思議だ」

 一方の新九郎は直接大皿に箸をつける。傍らには煙を上げる吸いさしの煙草がある。

「とかく我々は、不自然な方向へ進むことこそ理性であると思い込みがちなんだ」強火を潜ったニラともやしの食感をひとしきり味わってから新九郎は言った。「巨視的にはその感覚は正しいのかもしれない。自然は乱雑さを志向し、その対立観念としての理性は秩序を求める。線で引けぬ森を潰し、直線のビルを建てるように。しかし乱雑な系の中に、小さな秩序が時々存在する状態こそが、実際のところ最も調和しているんじゃないかと僕は思う」

「自由主義の中にあって局在を正そうとする無償の奉仕」

「ニラレバ炒めの中におけるニラの偏り」新九郎はニラの一片を箸で摘む。「このくたっとして味を吸ったやつが好きなんだよ。レバーの旨味も全部ここにある」

「レバーを食べた方がいいだろう。相変わらず君は食事のマナーが最悪だ」

「お前がいちいちうるさいんだよ……」

「そういう些細な適当さが君の我慢ならん大雑把さの一環なんだ」

「町中華にテーブルマナーを持ち込むな。そういうのはビールと焼酎じゃなく、ワイングラスのある場所でやればいいんだよ」

「腐れ庶民め」言い、ジョッキを傾ける八雲。

「ブルジョワ野郎が」同じく、グラスの焼酎を舐める新九郎。

「大体、君は大して飲めんだろう」

「飲みながら食うやつとは違うニラレバの味を僕は知っているのさ」

「煙草で味蕾を殺しているやつが、よく言う。その焼酎だって、芋と麦の違いもわからんだろう」

「飲むかい?」新九郎はグラスを差し出した。「しばらく酒には不自由するんじゃないのか」

「もらおう」

 八雲はグラスを受け取ると、新九郎がひと口減らすのにも苦労したものを一気に飲み干した。

 空のグラスと、空のビールジョッキ。餃子もニラレバも、その前に注文したチャーハンも魚の煮付けも、全て綺麗になくなっていた。

 新九郎は壁の時計を見て、空のグラスを取り上げた。

 八雲が眉を寄せる。

「なんだ。まだ飲むのか」

「違うよ。乾杯だ。彼女に」

 それが誰のことを指すのか、言わずとも知れていた。

 新九郎は立ち上がる。八雲も立つ。互いに空のグラスを持ち、重ねる。静まり返った店内に、硝子と硝子の澄んだ音が響いた。

 卓に紙幣を置き、新九郎は店主に会釈する。数年ぶりの訪問だったが、彼は新九郎と八雲と、そしてもうひとりよく一緒にいた女のことを覚えてくれていた。

 店の戸を開く。途端に喧騒が押し寄せてくる。居並ぶ警察と軍の車両。先頭で腕組みするのは、異星犯罪対策課の財前剛太郎と門倉駿也だった。他方、天樹の小電装隊が整然と並び、その先頭には頭が銀時計の洋装の男がいる。そして彼らの間に挟まるように、くたびれた帽子を手にした女学生がいた。早坂あかりだった。新九郎は入店する直前、彼女に帽子を預けていたのだ。

 法月八雲の扱いに関しては、新九郎も積極的に証言し、侵略行為の一切が彼の意志ではなかったことを主張した。しかし無罪放免とするには犯した罪が重すぎた。星鋳物の略取。特定侵略行為等監視取締官との敵対。地球侵略。詳細な審議を地球で行うことは困難とされ、〈奇跡の一族〉の母星である光明星の衛星に設置された星団評議会の特別法廷へ送致されることが決まっていた。

 長くはならないだろう、と予想されていた。光明星の周辺はこの宇宙の中でも時間の流れが早く、数ヶ月の審議が重ねられたとしても地球では数週間しか経たない。とはいえ、審議の結果によっては幻王星の無限監獄送りになる。ここは周辺より時間の流れが遅く、内部で数年を過ごす間に地球では数十年が経つ。何年の別れになるかはわからないのだ。

「悪くない最後の晩餐だった」と八雲が言った。「いや、昼か」

「縁起でもないことを言うな。また戻ってこい。親に泣きつかなくても、仕事と住まいの世話くらいなら僕がしてやる」

「君に貸しを作るくらいなら、死んだ方がマシだ」

「八雲!」

「新九郎」八雲はにやりと笑った。「君、嫁の当てはないのか」

「はあ? こんな時に何を……」

「君はな、新九郎。自分では気づいていないだろうが、周りに助けられないとどうしようもないタイプの人間だ。しかし逆に、周りに助けてもらえる才能の持ち主でもある。だから君は、人を遠ざけていてはならない。遠ざければ遠ざけるほど、君は駄目になる」

「何を偉そうに。僕はお前より年上だぞ」

「だから言うんだ。なんならそこのお嬢さんでもいい」

「馬鹿も休み休み言え」

「そうだな。君は昔から年上趣味だったな。依子も年上だった」

「いい加減に黙らないと〈闢光〉を呼ぶぞ」

 新九郎は煙草に火を点ける。

 八雲は呵呵と笑い、新九郎に背を向けると、あかりに歩み寄って何事か耳打ちした。そして財前の方に歩いていくと、両手首を揃えて差し出した。

 手錠をかけられ、そのまま天樹の小電装へと引き渡される。あくまで逮捕は地球の治安組織が行うという、形式上の措置だった。

「また会おう、新九郎!」声を張る八雲。

 新九郎は煙草を持った手を挙げて応じた。

 そして八雲は天樹の浮遊車に押し込まれる。走り去る車が次第に遠ざかり、角を曲がって見えなくなる。

 あかりが歩み寄り、帽子を差し出した。

「先生」

「君もお手柄だったね。ご苦労さま」

「また会えますよ」

 そうだね、と応じて、新九郎は帽子を受け取り、被る。

 そして天を仰いだ。帝都の空は、珍しく晴れだった。

「やっと梅雨が明けたね」

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