23.この生命に代えても

 一発でも落ちれば伊瀬新九郎の負けである。

 〈蒸奇爆砕銃剣〉の切先は翠玉宇宙超鋼をも場合によっては貫くほど鋭い。憲兵隊の超電装は装甲を貫かれて内部から爆破された。帝都に共生するエゼイド星人が早坂あかりの指示で作り上げた装甲も強度は翠玉に劣る。そして装甲の内側にはまだ多くの市民が退避せずに残っている。一発でも落ちればかつての戦争の再現。天樹の存在下でもかつての代理戦争と同じ結果になったとされて現体制の正当性が揺らぐ以上に、尊い命が失われる。

 一発でも通せば法月八雲の勝ちである。

 〈闢光〉は星を滅ぼしかねない禁術の使用まで許可され、最大の戦力を行使している。この状態で防衛に失敗したとなれば、非難の矛先は体制そのものに向かう。歪な発展を遂げた未開惑星の管理に問題はなかったか。現住知的生命体に力を預ける体制では不十分なのではないか。ひいては〈奇跡の一族〉の意志を代弁する機関となっている星団評議会にメスが入り、銀河の均衡は乱れる。そして何より、伊瀬新九郎の自尊心は深く傷つけられる。

 攻めることは守ることより容易い。同等の戦力があるなら尚の事。

 しかし。

 大出力の武装を長時間にわたって用いたために互いに蒸奇失調に陥り、一時的に動きを止めた二体の星鋳物。残留蒸奇が深山の霧のように漂う街の交差点に浮遊する星鋳物第J号〈殲光〉の腹中、法月八雲が目を剥いた。

「馬鹿な」

 

 連続生成された無数の〈蒸奇爆砕銃剣〉による爆撃は、かつてこの帝都に降り注いだものを遥かに凌ぐ火力だった。殲滅戦用特殊戦闘モード〈禁術・剣郷殲撃〉は万全の状態で用いれば街どころか星ひとつを滅ぼし、知性の有無にかかわらずすべての形ある生命体を殺害できる性能を秘めている。むしろ〈殲光〉は禁術の運用に最適化された設計が成されており、星団評議会がチレイン母星攻撃の尖兵に〈殲光〉を選んだのも、都市に瞬時にして決定的な打撃を与えることに最も長けた機体だからだった。

 生成された銃剣、その数実に二〇三〇四本。

 だがその一本として、諸星の光を越えることはできなかったのだ。

 そして蒸奇の霧を割って、一刀を構えた黒鋼の悪鬼が突進する。

「投降しろ、八雲」

 伊瀬新九郎――余裕を気取れど額には脂汗。〈禁術・朧諸星〉が作り出した大量の光線砲はこの上なく正確に銃剣の雨を撃ち貫いたが、生成場所や威力、射角の指示には新九郎自身の電想制御が強く介入していた。〈闢光〉の電子頭脳による自動最適化はラプラス・セーフティより上位の判断を行い、地上の生物の巻き添えを考慮しない。今も戦い続ける憲兵や警察、消防、陸軍の超電装や浮遊機、薄れた装甲の中で息を潜める市民の命を守り、そして何より〈殲光〉を破壊しない砲撃のためには、新九郎自身が文字通り頭を使うしかなかった。

 透き通る翠緑の光の刃、〈蒸奇殺刀〉の閃きが〈殲光〉の硝子状積層装甲を切り飛ばした。

 根本から装甲が生えるようにして修復。そして〈蒸奇爆砕銃剣〉の二刀と〈蒸奇殺刀〉が火花を散らす。星鋳物の莫大な推力と強力すぎる蒸奇機関のために、一合ごとに瓦礫が舞い上がり、標識が倒れ、家屋を覆っていた装甲が弱って剥がれ落ちる。

 黒と白。

 〈闢光〉と〈殲光〉。

 伊瀬新九郎と法月八雲。

 搦手なく対決すれば、剣の腕では新九郎が上だった。荒川の河川敷での決闘のように。

「なぜだ」と八雲が呻く。「私と君、何が違う。なぜ君は、いつも私を上回る」

「運がいいのさ!」

 悪鬼の巨体が水に没したように沈む。そして浮き上がりざまに踏み込みながら繰り出す必殺の突き。蒸奇殺法・兜落としの一撃が、悪魔の喉仏を襲った。

 払い除けんとする二刀。機動薄膜の牽制。緊急高速成形される硝子状装甲。三位一体の防御が、辛うじて怒れる刃の切先を防いだ。

 だが〈殲光〉が推力の限りを尽くして体勢を保ち、構え直すより早く、余剰蒸奇の噴射で力を増した〈闢光〉の回し蹴りが〈殲光〉の腹部に直撃する。

 その時、山羊の骸骨を模したような頭部に輝く七つの瞳のひとつが、建物の屋上で追い詰められたふたつの人影を捉えた。

 異星砂礫の破片を跳ね上げながら仰向けに転倒する〈殲光〉。だが八雲は高笑いを上げる。

「ならその運の産物を、剥ぎ取ってやる」

 〈殲光〉が左手首の宝玉を地面に叩きつけた。

 小さな芽が大樹に育つまでを早回しにしたように生成される銃剣。だが場所は倒れた悪魔の手元ではない。少し離れた、装甲ビルの壁面だった。その屋上には、〈蒸奇亡霊〉の小電装に追い詰められた早坂あかりと小林剣一。あかりの方だけを内部に取り込みながら、銃剣が伸びる。

 即座に方向転換する〈闢光〉。だが八雲は叫ぶ。

「動くな、新九郎!」

 〈殲光〉が倒れたままの姿勢で推力を使って起き上がり、ゆっくりと浮遊移動する。

 踏み出した姿勢のまま静止した〈闢光〉が、頭部だけを〈殲光〉に向ける。怒りに歯を噛み締めたような悪鬼の顔が、戯けた仮装舞踏会にやってきたような悪魔の顔を睨む。

 そして半透明の鋭利な爪が揃った〈殲光〉の右手が、ひとりの女学生を捕えた〈蒸奇爆砕銃剣〉の柄を掴んだ。

「脆きもの、汝の名は女。彼女が消し飛ぶところは見たくないろう、新九郎?」

「そこまで堕ちたか」

「跪け、新九郎。私の前で膝を屈して許しを乞え!」

「断ると言ったら?」

「さもなくば君は、愛した女をまた失うぞ」

「この外道め」

「なんとでも言え」〈殲光〉が空いた手を大きく広げた。「私は、君の怒りが欲しい。特定侵略行為等監視取締官ではなく、街の守護者でもなく、君自身の、狂おしいほどの怒りが欲しくてたまらないのさ」

 舌打ちする新九郎。

 高笑いを響かせる八雲。

 鉄錆色の塊に取り込まれて困惑する早坂あかり。

 機械の手脚を失い、残された生身の手脚で這い、銃剣を見上げて歯噛みする小林剣一。

 足元で蠢く無数の小電装群。

 誰も気づかなかった。

 もうひとり、夜の帝都の影から影へと猛然と突き進む鋼人の冷え切った怒りに。

「早坂どのは、拙者が、お守り致す」

 彼はかつて侵略者だった。

 今はこの街の暗雲を払う風のひとつだった。

 彼はかつて戦うことしか知らなかった。

 だが瓶詰めにされた彼にありとあらゆる言葉で愛と平和を説いた少女がいた。

 円な瞳に三角形の鼻。ブリキの玩具のような愛嬌ある顔だが、首から下は帝都でも一、二を争う高性能小電装・ルーラ壱式である。纏う装束は、上野の片隅にある純喫茶の給仕服。

 全身機械の力で並み居る小電装の軍団を飛び越え、装甲が剥げかけた建物の壁をひと息に這い登る。

「拙者がお守り致す」

 彼は一度死んでいる。侵略を試みた同族はみな討たれ、残った彼もまた特定侵略行為等監視取締官に捕縛された。生き延びられたのは、ある特級異星言語翻訳師の哀れみのためだった。そして彼は今、その哀れみに報いようとしていた。それが与えられた命の使い道だった。

 魔水銀・ロバトリック星人。

 今の名は、呂場鳥守理久之進という。

 破れた黒い革靴を脱ぎ捨てて、屋上に達した理久之進は力の限り跳躍する。眼下の小林少年が瞠目する。身体を半ば鉄錆色の刀身に埋め込まれながらも理久之進の姿を認めた早坂あかりが唖然とする。

「お守り致す。この生命に代えても!」

 〈殲光〉が手にした〈蒸奇爆砕銃剣〉の刀身に接触――知性体の接触・侵入を拒む光波防壁ペンローズ・バリアと、あらゆる金属に融合同化するロバトリック星人が激突する。

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