6.第二夜・紅色怪獣グリムザン 其の2

 床に就き、眠りに落ち、気づいた時には〈闢光〉の操縦席だった。

 鳴り響く警報と機体左腕部からの閃光。そして全身を揺さぶる衝撃。視界を完全に塞いだ黒い煙の中に、翠緑色の光が蠢く。蒸奇獣はその体内に血液ではなく、光と液体の中間の相を取ったオルゴンが通う。ゆえに全身が常に淡く発光するのである。そして特に活発に運動する部位や神経が集中する目などは闇の中でも爛々と光る。つまり煙が充満していても、ある程度位置はわかる。

 だが、仮に殴ったとして、既に懐に飛び込まれている。急所を打つことはできそうにない。加えて距離を取られたらまた闇討ちされる。

 ならばすべきことはひとつ。

 煙を払うのだ。

 新九郎は、眼鏡に重なる画面のひとつに建物の高さまで書き込まれた立体地図を表示させる。そこに〈闢光〉の現在位置と向きを重ねる。

 さらに風向を表示させる。最後は勘だ。紅緒はこう言っていた。

 ――おかげで芝浜からの風が、上野方面に流れてこなくなったんですよねえ。

「これでどうだ」

 〈闢光〉の両足が大地を踏み締め、左前腕以外のすべてのビームレンズが一斉展開する。地図に射線が重なる。

 新九郎は、操縦桿の先端についたスイッチを押し込んだ。

 一斉射――丸の内を取り囲むビル群の東側に着弾。ダイヤルを目一杯時計回しして出力を最大に。照射され続けるビームが高層のビルを貫き、崩す。さらに左腕にグリムザンを食いつかせたまま、〈闢光〉の機体が南東へと回転する。

 帝都を貫く翠緑色の光条。東から南東へ、そして南へ、巨大な箒で掃いたように、高層ビルを薙ぎ払う。

 次々と倒壊する、かつて瞬時建設された近代建築群。巻き上がる土煙が、グリムザンの吐き出した黒煙と混じり合い、押し流す。

 過熱の煙を上げるビームレンズが一斉収納。そして全身の装甲の隙間から光を噴出させ、星鋳物の豪腕に任せて、左腕のグリムザンを振り回す。

 一周。宙を泳ぐ。〈闢光〉が一歩、めくらで前へ踏み出す。

 二周。軽い衝撃があるも、またも宙を泳ぐ。〈闢光〉がもう一歩前へ踏み出す。

 三周。とうとう捉える。残ったビルに叩きつけられた、蜥蜴のように長い身体。

 たまらず口を離したグリムザンが苦悶の叫びを上げた。その声を頼りに、〈闢光〉の蹴りが繰り出される。脛当てがグリムザンの腹部に命中する。

 なおも視界は悪い。だが紅の大怪獣を覆い隠すような黒煙はもうない。新九郎は呼吸を整え、言った。

「煙草は風通しのいいところで吸いたまえ」

 ブーツの靴先で安全装置を蹴り上げて解除。

 〈闢光〉が右手に持ったままだった偃月飾りを掲げると、空の暗雲が吸い寄せられる。大きく円を描くように回せば、巻き怒った旋風が〈闢光〉を中心にあらゆる煙を吹き払った。

 蒸奇の死骸が見る間に集い、翠の刃が炎と燃える。晴れた空から注ぐは月光。その輝きを突くように、天に掲げた光の刃。その名も蒸奇殺刀オルゴン・スラッガー。燃える炎から透き通る翠の結晶へと相を変え、〈闢光〉が片手青眼に構えた。

 対するグリムザンは、頭部を左右に振りながら起き上がったところだった。全身から滝のように流れ落ちる瓦礫。紅色の表皮は灰に汚れている。なおも背中の火口から黒煙を吐くが、開けすぎた地形に流れていく。

 背にしたのは東京駅の赤煉瓦。咆哮とともに顎部に炎が宿り、〈闢光〉目がけて火球を放つ。

 黒鋼が大地を蹴った。

 砂塵を巻き上げ、火球を切り払い、翠の光と炎に照らし出されたその姿は黒鋼の悪鬼。全身をくねらせ歯を剥く怪獣との、すれ違いざまの一閃。

 結晶化していた刃が硝子のように砕け、再び頭頂部へ収まる偃月飾り。足元には東京駅。その腹中で、新九郎が呟く。

「蒸奇殺法、落椿」

 紅色怪獣グリムザン。

 その首筋に太刀傷が走る。そして首から上から徐々に傾き、春の椿のように音を立てて大地へ落ちた。


 *


 目覚めるやいなや、新九郎は布団を蹴り飛ばして身を起こした。

「おわっ! な、なじょすた先生」

「……早坂くん。どうした」

「い、いや、ちょうと今、起こそうとしたところで……」

 狼狽えるあかりに構わず、新九郎は寝台を降りる。そのまま着替えもせずに、煙草とライターだけを取って階段から屋上へと上がる。

 ひんやりとした朝の空気が頬を刺した。

 左右を見回す。特に東京駅の方に目を凝らす。

 いつも通りの光景。火球の痕も、建物が崩れた瓦礫も見当たらない。相変わらず空に浮かんでいる紫の雲以外、いつもと変わらぬ帝都の風景だった。

 息をついて、煙草に火を点ける。いつもよりも苦く感じる。

 追いついてきたあかりが言った。

「どうしたんですか、先生。夢の怪獣ってのは」

「倒した。倒したが……」寝癖頭に手櫛を通しつつ、新九郎は言った。「夢でよかった」

「何かあったんですか?」

 煙を吐いて応じた。「街を瓦礫の山にした。全く、寝覚めの悪い……」

「何か見当つきましたか?」

「少しだけ」と応じた時、階下の事務所で電話のベルが鳴った。

 慌てて降りて、新九郎が受話器を取り上げる。

「はい、鬼灯探偵事務所……」

「おはようございます、先生」と電話口で低い蠱惑的な女の声が言った。「ご迷惑おかけしたみたいで」

「紅緒さん。よかった。心配しましたよ」新九郎は隣で聞き耳を立てているあかりに目配せする。

「あんたに心配されるたあ、あたしも焼きが回ったもんです。……少し話せますか?」

「もちろん。すぐに……」

 すると今度は一階の店舗に据えつけた電話が鳴る。あかりが「はいはい、今出ます!」と声を上げつつ走っていく。

 電話口の紅緒がやや呆れた様子で言った。「……午後にしますか? あんたの主義は存じてますよ」

「いえ、大切な友人の見舞いを仕事に勘定するほど、僕は薄情な人間ではありません」

「その言い方が一番薄情ですよ」

 それは、と応じると、あかりが階下から勢いよく開けっ放しの扉から戻ってくる。

「財前さんからです」

「こんな朝早くから、彼も仕事熱心だな」

「見習ってくださいよ」あかりはため息をついてから、表情を引き締めて言った。「まだ確認中ですが、眠っていた人たち、たぶん全員目を覚ましたそうです」

 今度は電話口の紅緒が言う。「お忙しそうじゃありませんか」

「すみません」新九郎は見えもしない相手に頭を下げた。「僕も少し、頭の中を整理したい」


 記者も刑事も九時五時では済まない稼業。健気に支える家内がいるならともかく、そうでない独身者や、蔑ろにしすぎて家庭が冷え切った者も多い。すると、そんな彼らのために店が開く。

 朝から焼き物煮物の臭気が漂う有楽町の屋台街の一角。新九郎が近づいていくと、屋台の暖簾から財前剛太郎が顔を覗かせた。

「よお、伊瀬の。こんな場所で悪いな」

 屋台の店主がすかさず応じる。「ちょっと財前さん、こんな場所たあないんじゃないですか。上手くすりゃ俺だって店のひとつ持てたかもしれねえのに……」

「シャブ売った金でか。真っ当になるから見逃してくれって泣きついてきたのはどこの誰だ、ええ?」

「今は堅気なのは本当ですよお」

「見てりゃわかる」

 新九郎は帽子を取り、財前の隣に腰を下ろした。「……今、食事ですか?」

「ああ。昨夜から今まで、結局ろくにメシも食えん、寝てもいられん。大騒ぎだよ」

「門倉くんは? 姿が見えませんが」

「やつはこういう場所は好まん。昔のお前さんに似てると言ったが、ありゃ訂正だ」

 財前は丼にかぶりつく。

 新九郎の東京警視庁時代、よく財前に連れられ、昼も夜もない刑事部の仕事明けにここを訪れた。名物は、これでもかという量の生姜とともに甘辛く煮た得体の知れない貝類を丼飯に汁ごとかけたもの。これ一品と漬物しか出さない。繁盛はしているが、儲かっているわけではないようだった。

 無理矢理に消された臭みだけが持つ旨味というものが、特に夜勤明けの身体にはよく染みるのだ。あの快感を求めて今も時折訪れるが、本当に同じ食べ物なのか疑ってしまうほど、何の変哲もない甘辛く煮た貝と飯でしかない。飢餓と疲労は最高の調味料であり、客の飢餓と疲労を計算に入れた味を出せる店だけが、この屋台街で生き残れるのだ。

「昨日の昼に見せたリストだが」箸を止めて財前は言った。「お偉いさんや金持ちばっかだったろ。実は被害者の中に、警視庁の偉いさんもいたみたいでな。おかげで大号令がかかって、えらい目に遭ったぜ。そのくせ今朝になったらケロっと目覚めやがる」

「〈紅山楼〉の客と、上には報告したんですか?」

「言えるわけねえだろ。俺と駿ちゃんの首が飛ぶ」

「では、折角わかったのに、だんまりで」

「だから夜通し必死に調べてるふりしてたんだよ。まあ、一番気の毒なのは公安の連中だが」財前はまた丼飯を一息かきこむ。「で、夢の怪獣ってのは、どうしたんだ」

首級クビを取りました」

「でも雲は消えてねえ。またどこかで集団昏睡が起こるってことか」

「それが、どこで起こるかです」と新九郎。「後手に回るのは癪ですが、それで敵の狙いや目的がある程度わかるでしょう」

「女将を起点に帝都の要人を狙ったのか。女将と繋がる反社会的勢力の絡みか。それとも……」

「僕の知己であることが重要なのか。幸い、街に実体のある被害は出ていない。傷ついているのは〈闢光〉だけですから……」新九郎は煙草に火を点け、ふた息ほど吸ってから続ける。「あと二夜くらいは、保つでしょう」

「天下の星鋳物も権藤権藤雨権藤とはいかんか」

「惜しい選手でした」

「お前さんも肩を大事にしろよ」

「天樹の蒸奇技師らに言ってください」新九郎は席を立った。

「なんだ。もう行くのか」

「動機は、物証から割り出した犯人の口を割らせればいい」

「裏で糸を引いてるやつを探るってことか」

「ええ。あの雲をこの街に招いた何者かを追います」新九郎は煙草を屋台の灰皿で押し消す。「こればかりは、夢の中ではどうにもなりませんからね」

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