16.天泣・怒りの蒸奇殺法

「うわー、あんなんズルだろ」と単車の着座部に腰を預けた二ッ森焔が言った。「拳の先に人間がいる限り、〈闢光〉は攻撃できねえ。それに、もし一度ラプラス・セーフティが発動しちまったら……」

 刀を納め、屋根から降りた二ッ森凍が継いで言った。「ペンローズ・バリアが消滅してしまいます。すなわち、〈闢光〉がかの魔水銀に侵食されてしまいますわ」

「じゃどうすんだよ。大ピンチじゃねえか」機械の左脚を引きずった小林。「おい伊達娘、なんとかなんねえのか。お前なら、例のロバなんとかと話をつけるとか……」

「駄目だった」あかりは胸元のヘドロン飾りを握り締めた。「あの人たちの心には、救いようのない、理由のない憎しみしかない」

「まじかよ」小林の顔が引き攣った。

「ですが、ラプラス・セーフティの発動は、自己の保全が脅かされない程度に限定されているはずです。そしてあの先生は、座して〈闢光〉を敵に明け渡すほど、甘い男ではありませんわ」凍の目が、折れた電柱の向こうの〈闢光〉とクロームキャスターを見た。「つまり先生と〈闢光〉がいつ、井端仁の殺害もやむなしと判断されるか……」

「まじかよ」と小林がまた言い、横目で車の後部座席で半身を起こした井端彩子を窺う。

 すると、その彩子が顔を上げた。

「みなさんにお願いがあります。私を、父のところへ連れて行ってください」


 重苦しい雨雲から一滴、二滴と、耐えかねたような雨粒が落ち、見る間に乾きかけた地面を濡らしていく。

 新九郎の舌打ちに応え、〈闢光〉が胸の前で拳を合わせる。

 鎧と防具が一斉に展開し、内部のビームレンズが露出。収束鏡が照準を定め、出力を抑えた翠白色の光線が斉射された。

 だが、直前に銀に輝く外殻がクロームキャスターの前面を覆う。ビームを受けて赤熱するも、破るには至らない。

 スライド機構が一斉に閉じる。再び近接戦に移行しようとした時、クロームキャスターが残った左腕で逆立ちする。そして宙に浮いた両脚が液体金属で鞭のようにしなり、頭上から〈闢光〉を襲った。

 両肩の鎧の隙間を突いて、銅と肩の接続部に直撃。さしもの星鋳物も怯む。

 続けて銀の両脚が捻り合わさって融合。一本の破城槌となって〈闢光〉の胸部を打った。

 新九郎の全身が揺さぶられ、〈闢光〉がたたらを踏んで数歩後退する。

 もう一撃――今度は見切り、脇の下に捕まえた。

 だが、そのまま放り投げようにも足元は工房街。代わりに額の光球に翠の光が集った。

 〈闢光〉が頭を後ろへ反らせば、摩訶不思議な光線がニュートン力学に従って後方へと跳ねる。軌跡に沿って蒸発する雨粒。そして頭突きのように突き出せば、放たれた光線は銀の魔人に着弾。放射状に表面を拡散する。超電装の外部感覚器官を破壊する〈闢光〉必殺武装のひとつであり、クロームキャスターに何かしらの機能不全を起こさせることが狙いだった。

 しかし光線が消えてもクロームキャスターが怯む様子はない。それどころか、大鎚と化した脚が更に変形した。

 表面に無数の突起が生える。咄嗟に〈闢光〉が腕を離せば、突起は鋭利な棘となった。まるで鬼の金棒である。

 その鬼の金棒が、側面から薙ぎ払われる。

 鎧と篭手で防御するも勢いに負け、〈闢光〉の両足が踏み締めた地面を抉り、植え込みを掘り返す。

 魔水銀の高笑い。だが防戦一方に甘んじる星鋳物ではなかった。

 〈闢光〉の右の脛当装甲が展開。露出したビームレンズから放たれた翠白色の光線が、一本でクロームキャスターの全身を支え続けていた左腕を撃ち抜いた。

 棘の金棒となったクロームキャスターの脚が元の二脚に戻り、その間に接近する〈闢光〉。

 再び直立した合体鋼人と黒鋼の悪鬼が激突――降り注ぐ雨を切る銀と黒鋼。一合毎に巻き上げられた泥と瓦礫が建物に降り注ぎ、両者の装甲から雨水が飛び散る。

 踏み込めない。

 〈闢光〉の偃月飾りを雨水が伝い、伊瀬新九郎の額に脂汗が滲んだ。

 一合交わせば必ず立ち上がるラプラス・セーフティの警報を消し続けながらの戦いに、さしものスターダスター・新九郎も消耗していた。一方、クロームキャスターの操縦席は頭部へ移動していた。殴れるものなら殴ってみろとばかりに。

 新九郎の脳裏に、ふたつの顔が浮かんでいた。

 ひとつは、「駆除してください」と言い放った、感情の読めない銀時計。

 もうひとつは、不安と無力に苛まれながら新九郎の袖を引いた、まだ一五の異星言語翻訳師。

 呼吸を整え、腹を決めた、その時だった。

 〈闢光〉の外部カメラが、制止を振り切り泥まみれになりながら走る女の姿を捉えた。

「馬鹿な」

 井端彩子だった。

 息を切らせた彼女は〈闢光〉を背にし、そしてクロームキャスターに向かって両手を広げた。

 〈闢光〉の人知を超えた集音器が、雨音に負けじと叫ぶ彩子の声を拾った。

「もうやめて、父さん」と彩子は叫んだ。「私が、母さんの代わりになるから!」

 常に揺れ動いていたクロームキャスターの動きが、止まった。

 そして二機の頭上で、暗雲が微かに渦を巻いた。

「ふざけるな」と伊瀬新九郎が言った。

 〈闢光〉の頭頂部から偃月飾りが滑り落ち、鎧を伝って右手に収まる。

 降り注ぐ雨も構わず銀の般若を見上げる彩子を、巨大な黒鋼の悪鬼が跨ぐ。一時遮られる雨。そして雲が〈闢光〉の鎧に吸い込まれて生じた翠光が、彼女の視界を眩く塞ぐ。

 刃を成すのに最低限のDORが偃月飾りに流し込まれ、翠の炎が怒りと燃えた。

「これが、親が子供に言わせる台詞か!」

 クロームキャスターの全身が微振動し、液体金属が波打つ。井端早苗の声が何事か叫ぶ。井端仁が苦悶の叫びを上げる。そして井端早苗の声が、ただの金属音へと変わる。

 そして〈闢光〉が右手に構えたオルゴンの刃が、クロームキャスターの喉を刺し貫いた。

 知性体センサが知らせる操縦席の位置――頭部のまま。

「蒸奇殺法、兜落とし」

 雨雲が二機の頭上だけ取り払われ、雨の代わりに陽光が降り注ぐ。

 そして天へと振り上げられた翠の刃が、銀色般若の頭部を、内部の操縦席もろとも空高く斬り飛ばした。


 司令塔を失った合体鋼人クロームキャスターは、それからほとんど抵抗もなく、〈闢光〉が全身から放った光線によって焼き払われた。

 斬り飛ばされた頭部は、地面に激突することなかった。後方で分をわきまえて控えていた憲兵隊の五〇式〈震改〉が、空中で捕まえたのだ。

 そして地上へ降ろされるやいなや、待ち構えていた警官隊とエフ・アンド・エフ警備保障の二ッ森姉妹、調査のため期せずして状況に巻き込まれていた機甲化少年挺身隊二番隊隊長・小林剣一らに取り囲まれた。操縦席の鉄板が取り除かれ、躍り出たルーラ壱式は、二ッ森焔の霊銃が放った炎により焼き払われた。そして続けて現われた井端仁に、二ッ森凍の刀が迫った。

 抵抗する間もなく、左手首が凍結されながら斬り落とされた。居合わせた工員のひとりが後に記者に語ったところによれば、彼女はこう言い放ったという。

「苦しみは、抱えて生きるものですわ。どんなに逃げても、いつか追いつかれますから」

 彼女と彼女の姉が現在に至る経緯を知る者は多くない。従い、その言葉は、妻を失い魔水銀の誘惑に飲まれた哀れな男を評するだけのものとして、新聞の片隅に印刷されるに留まり、翌日には魚や野菜の包み紙となって忘れられた。

 市中に潜伏していたロバトリック星人は、ほぼ全数が井端鉄工所で出荷待ちしていたルーラ壱式に乗り移っていたと思われ、すなわち事態収集にあたった星鋳物〈闢光〉によってすべて駆除された。集結しそこねた個体の存在も推測されたが、事の経緯が警視庁から報道発表され、天樹の名で市中に安全宣言が発布されるまで、数日とかからなかった。調査にあたった天樹の担当者によれば、ロバトリック星人四六体分の遺体が確認されたという。

 渦中の井端鉄工所の主、井端仁は、警察の取調に神妙に応じていると報じられた。しかしながら異星人と通じて侵略の片棒を担ぎ、市中に混乱を招くばかりか、グモ星人の殺害というロバトリック星人が画策した発祥星系外紛争に積極的に加担した罪は重く、厳罰に処せられるだろうという見方が大勢を占めた。

 しかし、彼が勾留された上野署には、休憩時間のはずの井端鉄工所の工員やその家族、周辺の工房街の人々が、刑の軽減を乞うて連日詰めかけた。中でも専務兼製造二部長の稲葉幸敏は警察署の前で連日土下座し、警官がどんなに注意しても無言のまま梃子でも動かなかったという。そして彼よりも更に警察署員を困らせたのは、彼と並んで土下座した小型種族たちだった。ルーラ壱式を購入した井端鉄工所の顧客である彼らは、聴く者の有無も構わず、ルーラ購入前後で自分たちの生活がいかに変わったかを述べ続けた。ついには警視庁異星犯罪対策課や天樹の遣いが、うっかり踏み潰す前に道を開けるよう説得に訪れたが、彼らは頑として応じなかった。最終的に彼らをひとまず解散させたのは、異星人専門として知られる探偵、鬼灯探偵事務所の伊瀬新九郎だったという。

 一方、ロバトリック星人に拉致され、対〈闢光〉の人質にされかかった井端彩子は、事件を聞きつけ押し寄せた記者たちに問われ、こう応じた。

「間に合わせます。ルーラはすべて期日までに修復します」

 その言葉を信じた者は市中にほとんどなかった。金属生命体に寄生された小電装である。正常系の動作確認だけでも、銀座のパレードの日までに済むか怪しい。クロームキャスターの核に使われたことで、物理的な損傷を負った機体も多い。何より、一度敵の尖兵に使われたものに乗ることを、グモ星人が承知するとは思えなかった。

 だが、事件の数日後、天樹を通じて届けられたグモ星人のメッセージに、市民は度肝を抜かれることとなった。

 彼らは、自身の地球での乗り物として、ルーラ壱式を引き続き用いることを、天樹の〈奇跡の一族〉と東京市長に強く要望したのだ。

 その理由として、彼らはこう述べたと伝えられた。

「他星系由来の技術を我が物とし発展進化させるその類稀な発想力と、粘り強く製品化・量産化に漕ぎ着けた功績は、紛れもなく当人のものである。その過程でロバトリック星人の介入があったことは事実であるが、既に地球は星の海に開かれている。海と波打ち際の境に誰が線を引けようか」

 そもそも、今日の地球の科学文明のうち、どこまでが地球本来のもので、どこまでが異星人の囁きあってのものなのか、区別できる者はこの宇宙のどこにもいないのである。

 かくして、無理だと笑う声は数日のうちに鳴りを潜めた。

 昼夜を問わず稼働し続ける井端鉄工所の前には、進捗を逐一写真に収める記者や差し入れを手にした近所の工房街の人々、噂を聞きつけた祭り好きの市民、グモ星人による超高速通信網敷設を求める活動家らが詰めかけた。超電装の戦いで山となった瓦礫は見る間に片づき、凸凹だらけの地面もまるで異星砂礫の八百八町のように元通りになった。

 額に汗するそんな市民たちの中には、井端彩子から行方知れずの父探しを依頼された貧乏探偵、鬼灯探偵事務所の伊瀬新九郎の姿もあったという。彼の周りには、吉原の遊女屋〈紅山楼〉の法被を着た男衆もいたとの噂があり、一説によれば、これが彼の花街狂いの悪評を更に広めたとか。

 そして特級異星言語翻訳師、早坂あかりである。

 手伝いに行こうとすれば、妙な侠気を発揮した伊瀬新九郎に「君は学業に専念したまえ」と言われ、事件の現場に居合わせたために学校に行けば質問攻めに遭う。構われすぎて逆に居場所を失くしたあかりが安息を求めて辿り着いたのは、上野アメヤ横丁雑居ビル地下の、〈BAR シルビヰ〉であった。

「あれ、ぜーったい、彩子さんにいいとこ見せたいだけですよ」

 あかりの愚痴を聞かされるのは、ザリガニのようなセミのような姿でいて、そのくせ金属質の外皮を持ち、更にいやに人間じみたバーテン姿が板についているために、何者なのかもはや誰にもわからなくなった、シルビヰのマスターであった。

 店内に他に客の姿はない。まだ日も高く、営業前である。それでもあかりが訪れれば人間向けの飲み物を出し、小洒落た洋食を仕立て、開店準備の手を休めてカウンターに立つ。なんだか申し訳ないが、今は彼の好意に甘えたい心地のあかりだった。

「早坂さまにとっては、残念な結果だったと小耳に挟みました」彼の星の言葉で、マスターは言った。

「耳が早いですね」

「それが商売道具ですゆえ」ほっほっほっ、と笑って応じる。「しかしいつの世にも、争いばかりを求める者はおるものです。自らが信じたはずの正義を置き去りにし、聞こえのいい言葉だけを奉り、手段を目的とする人々が。往々にして、彼らは追い詰められています。自分たちより遥かに大きな、何かに」

「話せばわかる、と思ったんです」

「あまり気落ちなされないことです。あなたの言葉が届かないなら、誰の言葉も届きません。蒸奇探偵は、あなたの後に控えた最後の切り札なのですから。しかし切り札は、切らずに済むに越したことはない。ゆえに絶え間ない努力が必要なのです」マスターは机に目を落とす。「お口に合いませんでしたか。地球の味は、我が物としたつもりだったのですが」

 慌てて否定し、銀のスプーンを取った。目の前にあるのは、鶏肉と野菜と米をケチャップで炒めたものを薄焼き卵で包んだ料理、つまりオムライスである。

 味は申し分ない。だが、食事を美味しくするのは人の心なのである。

「伊瀬新九郎が、井端彩子に心奪われているのが、気に入りませんか?」

「違いますよ。そんなの、好きにすればいいじゃないですか。花街狂いより、よっぽどいいです」

「こう見えて、この街でも人生経験豊富な部類である私から、ひとつ申し上げておきます」マスターの顔がずいとあかりに寄った。「心奪われているのは、伊瀬新九郎の方ではありませんよ」

「……どういうことですか?」

「それは……」

 マスターが応じようとした時。

 折り悪く、店の扉が開いた。

「いらっしゃWelcome」地球の言葉に戻ったマスター。「おや、シンクロー、and……」

「探したよ、早坂くん」

 現われたのは、伊瀬新九郎であった。隣には、銀時計のクロックマンを伴っていた。

 新九郎の襟元には汗染み。衣服も埃に汚れており、似合わない力仕事の帰りと知れた。

「何しに来たんですか。忙しいんじゃないですか」

「君を探していたんだって」新九郎は片手にした紙片を振った。「大役を仰せつかったよ」

「大役?」

「グモ星人がね。地球での通訳に、君をご指名だ」

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