11.化けの皮を剥がす

 天樹の到来直後に異星砂礫によって瞬時建設されたのは、荒川の西岸まで。橋を渡れば、とりあえず舗装しただけの穴だらけの幹線道路に、土が剥き出しの脇道になる。だがこの辺りも近年、都心の人口の急増に伴い次々と開発が進められている。集合住宅を中心に道路や公園が整備され、溝や沼が姿を消す。土地が整理されて商店が誘致され、川辺が護岸される。

 朝の日差しも雲に隠れた朝。ぬかるみの泥を跳ね散らかして走る黒塗りのオルゴン車と、付き従う輸送車があった。

 輸送車にひとり、オルゴン車の運転席と助手席にひとりずつ。総勢三名の異星人は、一路井端鉄工所を目指していた。

 だが、靄で視界の悪い前方に、人影が転げ出た。

 急停止する二台。よく見ればそれは背丈の低い少年だった。

 オルゴン車の運転手が車を降り、翻訳機越しに言った。

「おい、危ねえなこのガキ! どこ見て歩いてんだ!」

 だが、それだけ言って、運転手は詰め寄る足を止めた。

 カーキに金釦、編み上げブーツの洋風軍服。不敵な笑みを向ける、尖った髪型の少年がそこにいた。

 たとえ万の軍勢を向こうに回しても動ぜぬとばかりの不遜な眼差しに、運転手はたじろいだ。装束を真似ているだけの子供のようには見えなかったのだ。

 少年が口を開く。右手で、どこかで拾ったらしき石礫を弄んでいた。

「参ったな。俺、これでも憲兵の挺身隊だぜ。帝国陸軍の威光も地に落ちたってもんだ」少年は左手首を軽く振る。「さて。天樹の公用車。こいつは本物らしい。だが聞いた話よりゃあ、届けが出てるのは公用車だけだ。そっちのトラックは、この先の井端鉄工所で、一体何を載せて帰るつもりだ? そして今は、何を載せている? おおっと、開けてもらっちゃ困るってのはなしだぜ」

「何者だ、貴様」

「帝国陸軍憲兵隊麾下、機甲化少年挺身隊、二番隊隊長、小林剣一」少年――小林は右袖を捲り、筋電甲を見せて言った。「さっさと偽装皮膜ばけのかわを脱ぎな。痛い目見たくなきゃあな」

「断る」もうひとりがオルゴン車から降りて言った。「死にたくなければ、そこをどけ」

「脱がねえなら」小林の右手が石礫を握る。「破ってやるぜ!」

 投擲――筋電甲の剛力で放たれた石礫は、どんな野球選手の投球よりも高速で、運転手の頭部へと襲いかかった。


「彩子さんなら、ここにいるじゃないですか」とあかりは言った。

 彩子は眉根を寄せる。「そうですよ。どうされたんですか、新九郎さん」

「これ見よがしに僕を名前で呼ぶ」新九郎は煙草を吹かす。「目的は僕の籠絡か、機会を見ての暗殺か。昨夜は僕の寝床に潜り損ねて残念だったな。あの建物はお前たちの苦手な熱量の塊が常時配管に潜んでいる。僕は彼に、ロバトリックを見張れと言った。妙な動きもできなかっただろう」

「先生? ちょっと、冗談が過ぎますよ」

「早坂くん。少し思い返してみたまえ。違和感は色々あったはずだ」新九郎は数歩進み、あかりの前に立つ。彩子から庇うように。「女物の靴で帝都を一日歩き回ったのに、靴ずれを訴えない。風呂上がりでも匂いがしない。本来の匂いを消すことには執心しても、人間の女性の匂いをつけることは忘れたんだな。だが僕が最初に気づいたのは、そこではない」

 混乱するあかりをよそに、様子を窺うように数秒黙る新九郎。

 彩子は何も言わなかった。ただ、微笑のままで表情を凍りつかせている。

「いつバレたのか、と訊きたげだね。お前は今、手を握ったのが悪かったのかと、思っている。だが人肌の触感・温度の再現は見事だったよ。さすがウラメヤで流通する最上級の偽装被膜だ。僕が最初に気づいたのは、そこでもない」吸われない煙草から煙が上がり、灰が落ちる。「会話で何か失敗したか、とお前は今思い返している。だが何も失敗はしていない。見事な真似事だった。きっと、本当の井端彩子の脳を神経越しに学習したんだろう。そもそも僕は本物を知らないから、細部が違っていても騙すのは簡単だ。この工房の人たちは、多少様子がおかしくても父親の行方不明のせいだと納得してくれるだろうさ。ひとつ、あるとすれば、父の仕事を誇ったことだ。彼女の古い友人からは、誇るよりも身を案じていたと聞いていたからね。脳を読んでも、人の心の多面性には考えが及ばなかったと見える。だが、僕が最初に気づいたのは、そこでもない」

 すると、彩子の首が、不自然な角度に傾いた。肩も引き攣り、五本の指が鍵盤を叩くように激しく動く。

「いつだ。伊瀬新九郎」ノイズ混じりのラジオのような声で、彩子は言った。

「より正確を期すなら、気づいたのは僕ではない」新九郎は、火の点いたままの煙草を木箱の山へ放った。「〈純喫茶・熊猫〉の店主を覚えているか? ロイド眼鏡の男だ。あれは僕の学生時代からの友人でね。今の妻に出会うまでは、女を三ヶ月置きに取っ換え引っ換えするろくでもない男だった。そして別れる度に、『俺の女を見る目は確かだ』って言うのさ。実際、いい女ばかりだった。だからあれはクソ野郎なのだが……まあ、それはさておこう」

 あかりは目を見開いた。

 思い出したのだ。

 この事件の始まり。井端彩子が鬼灯探偵事務所を訪れた時、彼女をひと目見た大熊武志が、最初に発した言葉を。

 そして、伊瀬新九郎は、人間の依頼は請けない。

 新九郎は胸元に留めた流星を象った徽章に手を翳す。すると徽章は見る間に形を変え、短銃となって新九郎の右手に収まった。

 銃口を彩子の形をしたものに向け、新九郎は言った。

「『』とあいつは言ったのさ」


 小林が投擲した石礫は、即座に躱したオルゴン車の運転手の男のこめかみを掠める。

 破れる偽装皮膜――そして内部から露出する、クロームに輝く金属の身体。

 総隊長の沖津から言い含められていたことがあった。

 ロバトリック星人は一瞬の接触でも筋電甲から筋電甲へ乗り移ることができる。だから戦う場合は、決して直接殴ってはならないと。

 そしてこうも言った。

「挺身隊は最高級の軍用義肢と、地球最高の遣い手の集まりだ。だが、こんな戦いを任せられるのはお前を置いて他にいない。しっかりやれ」

 人をおだてるのが上手い男なのである。

 車を降りたのは二体。一体は輸送車の運転席に留まっている。つまり、余程大事なものを積んでいるということ。

 そして二体が同時に偽装皮膜を解く。現れるルーラ壱式小電装。だが標準仕様と、顔面が異なっている。運転手だった方は目、助手席に座っていた方は口がバツ印になっているのだ。

 見ざる、言わざる。となると、輸送車の方は恐らく耳がバツ印で聞かざるだ。

 〈見ざる〉が車を押し退け、〈言わざる〉が人体を遥かに凌駕する跳躍で小林に迫った。

 地面が縮んだかのような錯覚。その瞬間、やっぱり断ればよかった、と後悔する。

 おだてるのが上手い男。要はこの任務、ドラゴン見たさに競馬場へ行ったことへの懲罰の一環である。

「侍気取りのクソ隊長め!」

 迫る鋼鉄の拳を身体を背後へ反らして躱す。そのまま地面めがけて倒れ込み、右の拳で地面を殴りながらブーツの左足で〈言わざる〉の腹部を蹴った。

 車道へと転がる小林に、ブロック塀にめり込む〈言わざる〉。後続車が制動音を上げて急停止する。騒ぎを聞きつけ集まる野次馬。ざわめきが大きくなる。

 〈見ざる〉が自分たちが乗っていたオルゴン車を両腕で掲げていた。

 そして、さも当然のように、小林めがけて投げつける。

 躱そうにも背後には野次馬。逃げろ、と叫んで前へ踏み出し、放物線を描いて飛来した車を右腕で受け止める。支点にした左脚が悲鳴を上げた。

 降ろす間もなく〈見ざる〉が接近。車を飛び越えて頭上から迫る。

 車を離して後方転回で逃れる。たった今まで小林がいた場所を〈見ざる〉の拳が打ち、地面にヒビが走った。落としざまの衝撃で車の硝子が割れて飛散する。

 そこで気づいた。

 〈見ざる〉と〈言わざる〉の違いは、顔面だけではない。

 めり込んだブロック塀から抜け出すのも難儀している〈言わざる〉は速度特化、車を支えている不利があっても拳から逃れることができた〈見ざる〉は出力特化なのだ。

 突進してくる〈見ざる〉。

 遅い。

 日々訓練で立ち会う挺身隊の仲間たちや、沖津の剣に比べれば、蝿が止まるほど遅い。

 上着を脱ぐ。そして闘牛士のようにはためかせつつ前進。

 すれ違いざま、その上着を〈見ざる〉の顔面に覆い被せる。

 小電装は人間の形を模すという設計思想から、外部カメラも頭部に設置されている。これを塞げば、寄生するロバトリック星人の視界も塞げる。

 次いで助走をつけた渾身の拳の一撃で車を弾き飛ばし、やっと塀から抜け出そうとしていた〈言わざる〉へと叩きつけた。

 すると今度は輸送車が急発進する。

 待て、と叫びざま駆け出しコンテナに取りつき、右の拳で鋼板を貫く。

 力任せに引き千切れば、内部に積まれているものが目に飛び込んでくる。

 男がひとり。写真で覚えがある、総白髪を後ろに束ね、口髭を生やした浅黒い職人風の男。左手首が筋電甲。井端仁だ。突如破られた壁と現れた少年を前に、表情を驚愕に染めている。

 そして女がふたりいた。

 一瞬、混乱に全身の動きが硬直する。

 蒸奇探偵・伊瀬新九郎からの情報として聞いた話では、ロバトリック星人に拉致された可能性のある女は、ひとりのはずだ。仁のひとり娘である、井端彩子である。拉致が事実であるか、また事実であれば救出することも、沖津からの命令のひとつだった。

 女のうち一方は、果たして井端彩子だった。意識を失い、貨物のように横たえられている。

 だがもう一方は、知らない顔だ。五〇代ほどの、白髪とほうれい線が目立つ女。同じように意識はないようだった。

 一体何者なのか――戦闘の只中にもかかわらず、考えてしまった。

 それで一手、遅れた。

 コンテナの中に潜んでいたもうひとり、否、一体。

 敵は見ざる、言わざる、聞かざるの三体だけではなかった。

 同じく、ロバトリック星人の寄生したルーラ壱式小電装にして、井端仁の護衛を務めていた機体――ウラメヤ横丁の〈倶楽部 キリヱル〉で伊瀬新九郎と早坂あかりが遭遇した一体が、コンテナの暗がりから躍り出て小林少年に襲いかかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る