第108話 真名麻納央(統覚X)刑事、大いに語る

 「先生。何事ですか?」

 真名は、額に穿たれた丸孔から砂混じりの血を噴出している氷見から目を離さずにたずねた。煙を吐いていたリボルバーは早くも脇のホルスターの中だ。

「君が撃ったのは、この病院の――」

「わかっています。氷見佐治。自分はこいつに用事があったんだが仕方がない。また死体が増えてしまった」

 そう言って真名はようやく、顔を老医師にむけた。だが、その顔は瞬く間に曇った。

「さらに、もう三つ。というわけですな。そりゃ、タイラカナルの営業二課で昏倒していた女性で、たしか名前は瑞名芹といいましたかな。気の毒に。死因はなんです?」

 老医師は、書きかけの検案書を真名に手渡した。

「ナニナニ。脳ヘルニア。で、その原因が脳内胎児未伊那深夷耶…… さらに子宮内胎児として、タイラカナル商事からここに搬送された実未というインク会社の男性社員だと、先生、こりゃ本気ですか?」

「私は事実しか書かない。なぜなら死体は嘘をつけないからだ。だが、それが真実かどうかは知らないし興味もない。わかっているだろう、君とももう長いのだから」

「確かに……」

 真名は、関係各所に連絡を取り、ここを現場にしてしまったことを老医師に詫びた。老医師は大儀そうに手を振った。

「いいさ。この事件は死体が多すぎる。いかに死体が好きだとはいえ、立て続けではこちらも参る。しばらく休むさ。君に聞きたいこともある」

「自分も先生に聞きたいことがあってきたんですが、その一つがこの氷見の件で」

 そこに、ドヤドヤと鑑識やら刑事やらがやってきた。真名は担当刑事に概略を説明し、医師の聴取は自分がすると伝えた。指示を受けていた刑事は終止姿勢を崩さず、間に口を挟まず、最後に敬礼回れ右をして駆け足で去っていった。老医師はその様子をみてクスクスと笑った。

「久しぶりに笑ったな。しかし君も相変わらず恐れられているようだね」

「組織をまとめるには、そのほうが都合がいいのです。事件が事件だからみな浮き足立っている。犯罪史上、例のないタイプの事件なのでね。検察は早くも匙を投げかけている。犯人がどうとかいう以前に、この状況は犯罪を構成するのか、とね」

「大勢の人間が死んだ」

「天災かもしれない、と検察は議論しているようです。馬鹿馬鹿しい」

 検案室に規制線がはられた。老医師は隣室へ移動しようと言った。だが真名は、306号室へ行ってみようと持ちかけた。

「瑞名芹の殺害現場ですからな。それに今は一番静かな部屋かもしれない」


 306号室はあらかた片付いていた。

 真名刑事は、ナースステーションをのぞき、誰があの部屋を片付けたのかと、尋ねた。すると、いつもの看護婦がいつものように片付けと清掃をしたと答えた。

「それは誰だね」

「あの部屋の担当は、夏个さんです。夏个静ノさん」

「その夏个静ノは今、どこにいる?」

「さあ。タイムカードには打刻済みですね…… あら、14時35分。て、じゃ、さっきまでここにいたのはサービス残業のつもりだったのかしら?」

「ここのナースのシフト表とタイムカードを署に提出してもらいますよ。それから防犯カメラのデータを確認させますので、よろしく」


「氷見の私物はすべて持ち去られているようだね」

 部屋を一通り確認したらしい老医師が、戻ってきた真名刑事に伝えた。

「あらかじめ手はずを整えていたと考えるべきか、それとも第三者が証拠を隠蔽したのか。ときに、検案室はモニター対象でしたか?」

「ああ。いや。カメラはあるが稼動していない。私は見張られるのが嫌いでね。それに、検案の際にはどうしたってカメラを回すからな」

「そのカメラはネットワーク接続してはいないのでしょうな」

「ああ。私はそういうものは好かん」

「夏个静ノという看護婦のことは?」

「個人的にはあまりよくは知らないが、千曲のところに何年もついていた。ほとんど病院に住んでいたといっても過言ではない。夜中に剖検していると、よくココアなどもって来てくれたものだよ。私はココアを嗜まないが、何度いってもココアをね」

「どんな印象の女です?」

「無垢。奔放。純真。つまり、ニンフェットだな」

 その答えに真名は目を丸くした。

「先生もまだまだお盛んですな」

「フン。わたしがニンフという場合、性的な意味合いは私以外に向かっているのだよ」

「たとえば誰に?」

「院長。長期入院中のタイラカナル商事の課長。氷見佐治。そして、或日野文之」

 真名は、その最後の名前に食いついた。

「或日野ですとッ! 先生は一体なぜあいつを知っているんです?」

「タイラカナル商事の現場にいただろう。あの、掃除用具置き場の死体を引き取りに行った折なんかにな。私が知っていた頃はあんな白くてツルツルではなかったが、顔は忘れない。夏个静ノと在日野文之は兄妹だ」

 真名は愕然とした。だが、愕然としてしまってから不意に、愕然とする必要がまるでなかったということに気付いた。夏个という女が捜査線上に浮かんだのは今が最初であり、或日野という男と夏个との間が濃厚な線で結ばれたとしても、それが捜査全体の図式を変化させるほどの補助線となるとは、今のところ考えられなかったからだ。

 「だがではなぜ自分は、兄妹と聞いて愕然としたのだろう」

 真名は、この零コンマ何秒かの間に起こった自分に対する疑念をそのような疑問文に氷結させて、仮想上の未処理の棚へ放り込んだ。その棚には「異常な死体」や「数百名を同時に消す方法」や「天災と犯罪との閾値」などといったカードが無造作に突っ込まれていた。

「君は、氷見に何を確かめにきたのだね?」

 老医師は、棚から見つけ出したコニャクマルチーニを、ビーカーでチビチビとやりながら尋ねた。

「自分は、一連の犯罪にはンリドルホスピタルが関わっているものと推察しており、こちらに詰めていた部下から、氷見の挙動が不審であるとの報告を得て、それは主に、瑞名芹に対する医療的とは思えぬ措置を邪推するものでありましたが。なにしろ、ハイテクでして自分にはそちらの方面はまったく把握できません。それで、ンリドルホスピタルとタイラカナル商事との関連性を当たらせていたワケだが。すると、あの『イルカちゃん』とかいう馬鹿げた医療機器にぶち当たって、その納入時に不透明なやりとりがあったと、ウチの二課も内定をしていたというので、そちらはそちらで捜査協力を依頼しつつ、私なりに氷見をつついてみようと思ったわけですな」

「氷見は何を求めていたのかな」

 老医師はその言葉を、質問としてではなく、ある種の挑発として発した。それは乱暴な相槌だった。この事件には、このような乱暴さがふさわしいと、真名刑事は思った。

「氷見が瑞名に見せた恋着は、おそらく彼女が「あるモノ」を見たと思わたからだろう。それは我々、というのは関係者を引き連れて、工辞基我陣を尋問せんとした折のことだが、その異常な何かが起こった後のような臭いを自分は感じたのだ。そこには『カムナビ』とかいうくだらんものでぐるぐる巻きのでぶっちょな死体が出てきたが、そんなものじゃない。あの包帯の殺意的挙動を引き起こした何かの残渣臭とでもいうものがね。それは、案外隊毛のシガレットのような臭いがしていた」

「私は隊毛という男はよく知らないが、工辞基のことなら多少、聞かせる何かをもっているようだが、まずは君の話を聞かせてくれるか。こうして、自分から声を聞こうとすることなく声を聞くというのも、たまにはよいものだ」

「氷見は瑞名が見たものに興味があった。それを解明するために脳神経外科医になったのだ。瑞名の見たもの。それは、この世界をこの世界たらしめているものだと、うちのAIは解答した。ハッ。くだらない。そして、その創造主が『釜名見煙』という得たいのしれない芸術家だとぬかしたが、これは多少耳寄りだった。なぜならば、『釜名見煙』は捜査線上の可能性の中心に君臨しているからだ。そしてこの女は氷見とも深いかかわりを持っている」

「女、と言ったかね。それは誰が女だと言った?」

「AIだ。ここに乗り込む直前に、突然そんな属性を付け加えてきた。自分は現代美術にも美術ブローカーにも興味はないが、本星とおぼしきやつの性別を知ることは、無駄ではなかった。いづれにせよ、氷見は、釜名見その人に興味を持っているわけではない。だから、今回の事件にも、事件としては無関心だったはずだが、そこに「あるモノ」が介在したとなれば、話は別だ。氷見が介入したきた理由はそこにある。そして、仮に、釜名見がその「あるモノ」の登場を氷見に約束していたのだとしたら」

「釜名見煙との密約か?」

「検証1。タイラカナル商事へのグリッドシステム導入にかんして、氷見はテクニシャンとして参加していた。ここに、釜名見の目論見が入り込むことは時系列的に可能か? この時、タイラカナル商事の部長はその「あるモノ」に遭遇し、入院した。自分は地下駐車場で、「あるモノ」と接近遭遇して廃人同様となった社員を見た。それはおそらく、瑞名芹を昏倒させたものだ。そして、廃人とはならなかったであろう部長は、代わりに釜名見症候群に陥った」

「この世界を世界たらしめるモノ? 真名刑事ともあろう君が、ずいぶんと抽象的な『動機』を持ち出してきたものだね」

「それは安易に認知してはならないものだろう。なぜなら、そのものは、この世界の何物とも違っていながら、あらゆるものと同じだからだ。人の認識は、そのモノを見慣れた何かと混同してしまうのだ。また、通常状態では、そのモノは自明に存在しているので、そのモノのみを他から分離して認識することはできない。いや、そのモノを他とを区別すること自体が不可能なのだ。だが、タイラカナル商事で起きた時空の歪み、これはカムナビの働きか、釜名見の力のいづれかによって、露呈しつつあるのだ。とまあ、このあたりまでは捜査会議で共有された情報というわけだが」

「なるほど。瑞名という女性はそれを見た。見ることは触れることだ。触れることは受け入れることだ。受け入れることは受肉することだ。すると、脳内に閉じ込められた未伊那深夷耶も、子宮内に閉じ込められた実未も、おそらく同じものを見た。そしてあのハンガーの多田場と田比地という社員も同様だろう」

「その二人については、ンリドルホスピタルをうろつきまわっていたという目撃情報もある。どうやらアルビヤフミコレという男に使われていたらしい」

「『見た」というのは不正確なのだろうね。そのモノとの遭遇体験に、『見た』という感覚を、脳が苦し紛れに捺っしたのに過ぎないのだから」

「そうかもしれません。だが我々は一般的に『見た』という動詞を用いるものです。自分はこの『見た』といって済ませてしまう風潮が嫌いですが、そんなことを気にするのは裁判でのことくらいでしょうな。さて、検証2。氷見は、瑞名が見たものを、あらゆる既成概念を外した状態で、再現させようとしていたのではないか。そうしなければ、そのモノはこの世界にあるいずれかに取り込まれてしまうのだから。そのために、氷見は、瑞名の脳神経を他の部位から分離するだろうし、脳から伸びる神経をも切断し、そのモノとの遭遇したという体験を、脳の一部へ追い込んでいったのではないか。だが、どこまでが脳なのか? この疑問はつねにつきまとう。また、皮膚は脳と同じものだという研究もある。だが、所詮皮膚はセンサーであるという考え方もまた事実であろう」

「目撃者、或いは接触者の脳を他の身体から完全に孤立させ、そのモノとの遭遇によって開かれたシナプス回路を閉鎖していき、モノを脳内にとじこめる。モノを体験したシナプス回路を固定する。しかし、そこに、果たして認識はあるのだろうか? 経験は、残るのだろうか?」

「残る。と氷見は考えたのでしょう。体験が四肢の感覚と記憶とに分解されて保持されたとしても、そのように分離される以前の原体験が、各感覚器において残るはずだと考えられる。その原体験を、あらゆるしがらみを脱した「純粋脳」が認識するときには」

「私も一杯いただきましょう」

 真名は老医師に試験管を差し出した。

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