第52話 筆者大いに語る

 賢明なる読者諸君。何故、夏个静ノがアルビヤを「お兄様」と呼んだのかをここに再録しておくことは、読者の便宜のためだけでなく、筆者たる私の便宜をも図ることとなるであろう。なにしろこの連載は長く続きすぎているきらいがある。筆者も、過去に登場した人物やそれらの相関関係などの全てを把握しきれているとはいいがたく、時折このような防備録を記していたのであるが、それらは「取り合えず」の指針として以後の何回かの連載のたびに参照された後、廃棄されるのが常であった。つまり、決して公開されないはずの筆者の「手の内虎の巻」なのである。防備録として世に出ることは無くとも、それが以降の本編の展開に反映していれば報われるだろう。

 その一途で筆者は幾葉もの原稿を廃棄してきたのであったが、それを、小説の独立した一章として公開してしまっていけないという法はあるまい。なにしろこれは「空想技術集団」なくしては書かれなかったはずの二次、いや一次創作物であり、確実に、空想技師集団を形勢する一勢力となっていたはずだと思いなおしたのである。

 ここには、空想技術集団を筆者がどのように読んでいるのかが明快にされている。筆者がこの延々と続く小説をどのように考え、何を目指しているのかというものが、より表層部分に剥き出しにされているはずである。

 だが、賢明なる読者諸君は、筆者の読み方を真似する必要は無いのだ。筆者とて、作品の最初の読者にしかず、さらに不幸なことには、筆者の最大の理解者なのである。時として、筆者は筆者による作品の唯一無二の読者なのであり、世界にたった一人のファンなのだから。まさに以心伝心。ツウといえばカア。言わずもがなのぐずぐずの関係者なのだ。

 さて、件の発言が最初になされたのは、ンリドルホスピタルだった。或日野が隊毛につれられて病院の前に乗り付けた後、車が炎上し、或日野は、自分たちを追い越していったギンガムチェックのタクシー運転手VS隊毛の死闘を想像しつつ、院内へ入っていったのであった。そこで或日野は、ここには父が入院していたことを思い出し、さらに未だに入院中なのだという事にも思いいたったのである。そういえば、このシークエンスは未だ展開されていなかったっけ。

 院内は通常と変わらぬ平成さであった。そこで或日野は一人の看護婦に出会った。或日野の下腹部下部に潜行して、任務とはいえ、出口を入口とした挙げ句に、暴発した憤怒を雨あられと浴びてしまったはずのあの看護婦である。しかし、このスカトロジーはどこから来ているのか? そしてどこへ向かおうというのか? どこかで決着をつけなければならない。

 場面移って、或日野が奪取される。今ではもう名前も明らかな土師無明の仕業である。因みに、早朝のタクシー運転手もまた、土師無明であったろう事は想像に難くない。無論、その一派の誰かとの観測も否定しきれないが、これ以上登場人物を増やす事がこの小説にとって得策か否かの判断は筆者として早急に下さねばならぬ懸案事項となるであろう。死んでしまった登場人物ももう数名にのぼるし…

 その後、その部屋に残されていた焦り気味の隊毛頭象、顔の皮膚の無い平喇香鳴、緊縛され、看護婦に目と鼓膜と舌とを剥奪された院長、そして透明な身体を持ち院長から表現と存在の自由を奪った看護婦、夏个静ノとの間で交わされた会話の中で、その言葉は発せられた。平喇香鳴はびっくりした。それから短い行き違いがあって、夏个は隊毛に当て身を食らわされ、院長と共にバンにのせられて走り去っていくのであったが、そのバンとは、タイラカナル商事地下駐車場で、アメーバがのたりと落ちてきたバンであり、未伊那に見捨てられた黄間締が放り込まれたバンであり、院長と黄間締との筆舌に尽くしがたい嬌態が繰り広げられたバンだったのである。このバンは、存外、黄間締と縁があったのだなと思いつつ、むしろここではあのアメーバの事を再検討しておく必要がある。それから、院長が誘拐されたことをアルビヤは知らなかったはずなわけで、それだからこそアルビヤは田比地、多々場両名に院長奪取を命じたわけだ。

 他には?

 さてあの時、筆者はあのアメーバを夏个静ノだと断定したのではなかったか? それともしていなかっただろうか。していなかったら、あの時筆者はあのアメーバを、透明な身体の皮膚を持ち、なおかつ透明な顔の肌を持つ平喇香鳴に唯一正常な皮膚を持った顔を奪われた夏个静ノなのだと、断定たことにしておこうと思うのである。それは、当然その時に断定すべきだったと今信じているからなのである。そして、これからその推論の致命的な欠陥を述べ、無かったことにしようということなのだ。「顔が透明なα」と「身体が透明なβ」とがブラックボックスの中から出てきた時に、一方が五体満足正常な皮膚を身につけており、もう一方がぐでんぐでんの透明アメーバになっていた。顔は夏个静ノであった。そして身体は、平喇香鳴だろう。夏个静ノの顔を持つ五体満足な女性は、香鳴の口癖と静ノの特技とを併せ持っていたのではなかったか? それは、厚生部の受付嬢二人を、糞便の海(このスカトロジー…)にのたうちまわらせた極悪非道残酷無比な行いによって露になっていたのであったが、あの二人がいさかい無く互いのまともな部分を共有したのだという平和理な解釈を筆者は採らない。

 一つの身体に二つの人生は共存出来ないのではなかろうか? 時に応じて統括する人格が入れ代われるなどと、そこまで平和共存の理念に裏打ちされた解釈を、筆者は断じて採らない。世には多重人格の数奇な人生が幾つも紹介されてはいるが、それは一つの脳に複数の人生が存在するというものであって、もともと二つだったものが一つの脳を仲良く共有しようなどと、バンの中で一体どちらがどんな風に相手を口説き、世にも稀なる合体を実現させることが出来たというのだろうか? そこには常人には理解できぬ秘術、そう黒魔術、前近代科学、マッドサイエンス、広大なネットの海で生まれた生命体などを避けては通れまい、があったに違いなく、仮に説得工作があったとしても、それは詐欺の要素を多分に含んでいたとしか思われない。

 香鳴と夏个とがもともと通じ合っていたというのなら別であるが、今のところ、そうした証拠は無い。だとしたら、顔を無くした経緯が隊毛の証言から明らかな平喇香鳴、あの砂漠の悲恋物語、イフガメについてもきっと後に詳細な記述が必要になることでしょうけど、よりも一切が謎に包まれている夏个静ノの方がわけのわからなさという点で、優位に立つのではあるまいか?

 なんでもありって気がします。

 筆者は、夏个の顔を奪った香鳴として、彼女を追っていたつもりなのであったが、それは単に、奪う面積の問題に捕らわれていただけだったのだという事を、恥じを忍んで告白しなければならない。身体全体を奪うよりも、顔だけ奪った方が簡単。そんな常識が働いてしまったのだ。では、今、アルビヤを見下ろして「お兄様」と言っているあの夏个の顔をした女は誰なのか?

 ここで筆者はそれが誰なのかを探る一つの方法を思い出すのである。名前よりも実を知ることこそが本当なのだという、方法を。

 人が単に人でいるというだけでなく、ある名前で継続的に呼ばれ続けているその当人であると証拠立てることは、実は、本当に難しいことなのだ。

 名前。それが何になるというのだろうか。問題なのは、その名前よって呼び習わされている現象それ自体なのだ。自分にとっては、自分の継続はさほど困難なく理解されるだろう。それは自分を自分たらしめる過去があり、嗜好の指向があり、それらを考えている自分があると思われるからである。だがそれを外から証明する手だてはどこにあるとお考えか?

 二瓶さんが昨日の二瓶さんであり明日も二瓶さんで有りつづけると信じられる根拠は何か? 昨日三瓶さんだったのが、今日は笑瓶さんであり、明日は鶴瓶さんになっているかもしれないと、笑い事でなく、何故、懸念なさらないのか? 相手がその相手で有りつづけるから同じ名前で呼んでいるのではない。同じ名前で呼んでいるからこそ、相手がこれまでそう呼びつづけていた相手なのだと思えるだけなのではないのか? 身体細胞だって二ヵ月かそこらで全部再生されているという。脳細胞は別だが、シナプスは常に更新廃棄されているではないか。名前。それは比喩ではないのか? 名前。それは象徴ではないのか? 名前。そう。名前には過去が無い。名前には人格が無い。名前には命が無い。名前はただ名前でしかない。

 津蕗氏が新しい事業を起こすための共同経営者を求めていたとしよう。そしてそこに同じ理念を共有できると信じられる相手、莎怡氏が現れたとしよう。二人は固く握手をして互いにツ−さんサックンなどのニックネームで呼び会うまでの仲になったとしよう。この時、ツーさんは、来る日も来る日もサックンの理念が自分と合致しているはずだと信じてひたすら営業をし、事務をし、金策をするだろう。サッくんも自分と理念を一にしたツーさんと共に、デザインをし、鉛筆を削り、弁当を温め、事業に邁進するだろう。ある時、ツーさん、サッくんの未来が別々になってしまったり、一方が一方を出し抜いたり、ヘッドハンティングされたり、名義を勝手に使ったり、ボーナスを持って逃げてしまったりということはありうる。ありうるが今はそこまで、この二人の間には立ち入らないことにしよう。要点は、二人にとって大事なのは何だったのかという事である。それは相手がツーさんであり、またサッくんであったなどという事ではない。共通の理念が持てたという点、これこそが大切だったのではなかったろうか。サッくんが、もし、ひるポンだったとしても、モーさんだったとしても、チャメ助だったとしても、理念を共有できていれば、同じように二人は頑張っていくだろうし、裏切り合いをするだろう。

 名前ではない。理念である。目的意識である。動機である。これが毎日毎日掌をかえしたように定まらない相手では、そんな相手は信じられないのではないではないか? 私が言いたいのは、そういうことである。

 それが誰かを知るには、その相手の理念とか目的意識とか動機を探り、分類しておけば、名前が変わろうが、性別がかろうが、時代がかわろうが、へっちゃらなのだという事である。

 ご賛同いただけるだろうか?

 していだけないのならば、緊迫した場面の前に挿入されたいびつなこの文章をきっぱりと削除していただいたものを、あなたの定本としていただければ幸いである。別に、怒りはしない。本当だ。


「筆者はこの先の展開がとうとう考えつかなくなったので、苦し紛れにこの断章を設けたのだろう」と思われる方もいらっしゃるかもしれない。無理ない事である。筆者も反省している。だが、この先の展開が出来ていないなどというのは、全くの誹謗躊躇なのである。げんに昨日、筋立てとして正当な続きを書き上げたばかりだからだ。

 正当なとは、つまりメタレベルでもなく、「一方そのころ」でもなく、「それから五年後…」でも無い、直前までの展開を受けた直後の厚生部で、アルビヤと看護婦(の姿をした)夏个(の顔をした女)とのやりとりを記した節を、ということである。話は全く進んでいないが、筆者はもともと、距離など問題にはしていないので、進もうが進むまいがそんなことはどうだってかまいやしないのであるが…

 筆者にはこの「空想技師集団」のあるべき姿が、くっきりと見えているのだ。ただ、そのくっきりとみえるこの小説の姿が、一つでないというところが問題なのだ。

 書いていけばなんとかなるだろうとは思うのであるが、時折、今自分が書いている文章が、くっきりと見えるあるべき姿のどれに向かっているのだったのかが不分明となるので、作品ともメモとも言い訳ともとられかねないこんな断章を書かずにはいられなくなるのである。

 もしかしたら、この一人称で語られた筆者というやつが、登場人物の誰かなのではないのか? これまで、語られるばかりで一向に姿を現さない「釜名見煙」その人ではないのか? と勘繰られるツウの読者もいらっしゃるかもしれない。

 それはそれで願っても無い展開だとは思うのであるが、もうそんな手練手管が通用するような筋立てではなくなってしまったのだ。つまり、そんな奥の手も既に封じられているのである。

 釜名見煙は既にこの小説に登場しており、筆者はその動向すら最大漏らさず(とはいえ、効果の点であえて隠している部分、場所、時間帯もあるわけである)記してしまっているからだ。

 いくつもあるあるべき姿のどれか一つに収斂するように進めていったとすると、べつのあるべき姿へ向かっていた部分が破綻する。矛盾が生ずる。人の心は気まぐれなのさ、とうそぶいて、登場人物の性格を破綻させたり、動機、目的意識なんかに矛盾を来させたりしたらばそれこそ、行方不明続出で、後半は捜索隊の活躍ばかりを書かなくてはならなくなってしまいかねないのである。

 自分探しの旅。筆者はそんな物語を断固否定する。筆者は登場人物達の動向を子細漏らさず筆記しているつもりである。そしてあるべき姿Aとはべつのあるべき姿Fに向かっている場合ですら、同一人物として子細漏らさず筆記してしまっているのである。

 複数のあるべき姿を統合する「メタ-あるべき姿」を作り上げなくては、いつかこの小説は大爆発を起こしてしまうだろう。

 そう。まさにこの事である。香鳴と静ノという二つのあるべき姿(それは本来「人」としては、ありうべからざる姿であったとしても)が統合されてしまったときには、その二つを統合する「メタあるべき姿」が無くては爆発してしまうのではないかという所を、お含みいただきたいのである。

 今、厚生部で企画七課の連中を屍にした白衣の女は、はいつくばるアルビヤを「お兄様」と呼んだ。それは夏个の記憶に準じている。では、前に、アルビヤの手に吸いついて、脳を垂らした土師の遺体を這いながら、香鳴のマスクを奪っていったあのアメーバは、メタありうべき姿を創出する時に分離され捨てられたメタありうべからざる姿の化身ということになるだろう。

 そういえば、夏个の顔をしたこの女は、土師を知っていたような口ぶりではなかったか。(アルビヤと多々場君がイルカチャンでアクロバットをしているところを、彼女は覗いていたではありませんか。そのとき口走ったでしょう。あれ? 「兄さん」だったっけ? 調べておかなければ…)

 土師は香鳴と同じコロニーに所属していたことがあり、しかも香鳴を巡っては隊毛との恋敵でもあったはずであり、面識があったのだから、これは香鳴の記憶に準じているといえるだろう。

 土師と夏个が顔見知りだったという伏線はまだない。

 それでは、以降からはこの謎の女の動機、目的意識に注意していこうではないか。そして平和理な合体などという世迷い言の裏に隠された真実を読者には見抜いていただきたいのである。それだけではない。登場する人物全ての動機、目的意識、理念を探っていただきたいのである。さらに、筆者の動機、目的意識、理念もあわせて探っていただけたら、是非、ご一報を頂きたいのである。

 無論、この欲望は小説内の登場人物の欲望とは全く無関係のものである。

 さて、今後の取り合えずの筋道だが、アルビヤが、この女に「お兄様」と呼ばれるのはこれが初めてだったのだから、兄妹の名乗りの物語が今後しばらく続いていくことになるであろう。

 それでは、本編に戻る。また、お会いしよう!

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