空想技師集団

新出既出

第1話 ギロチン

 空想技師という職業があります。技師というくらいですから、職人です。一般にはあまり知られていません。イエローページにも載っていません。職業ではあっても、これでお金を稼ぐことが出来ないせいです。それだけに、この技師の仕事は「純粋な技」ともいえるのです。

 この技に憧れて門戸を叩く人々もあまり多くありません。しかし、技師にも組合があります。一般的に認知されにくい仕事ですから、団結しないと粉砕されてしまうのです。

 空想技師集団。

 何という質実剛健な響きでしょうか。私は今回、空想技師というものが一体どのようなものであるのかを世に広める役目を仰せつかりました。


 「空想技師集団のPRを担当してくれたまえ」

 ある晴れた日、私を呼び寄せた課長補佐が、藪から棒に仰った。私はおおよそ礼儀作法の躾は良い方でしたがこれには面食らい、つい聞き返してしまいました。それが口答えと取られたのでしょう。課長補佐は、もう二度と「空想技師集団」について話してはくれませんでした。

 しかし、やるべきことだけは分かっていました。「空想技師集団」の広報です。私は早速電話帳でこの職業を探しました。しかし、そんな職業は見つかりませんでした。課長補佐の方をちらりと見ても、課長補佐はもう次の仕事のレイアウト監修にかかりきりになっていて、こちらをちらりとも見てはくれません。私はこの時「ははん」と思いました。

 この仕事、「空想技師集団」のPRなどという物はそもそも存在しないのではないだろうか。という疑義を抱いたのです。

 普通、広報というのは、一般に広く知らしめるために存在します。新製品でもモデルチェンジでも、土地でも会社でも何でも、まず、皆に認知されようとします。だから電話帳はその第一歩、初歩なのです。掲載料金はかなりかかりますが、一番手堅い方法です。その他の方法にはもっとお金がかかり、効果も、言葉は悪いですが「博打」みたいなものです。

 電話帳掲載という、一番簡単な方法すらとらない組織が、何をPRするというのでしょうか。

 しかも、私は先方担当者の連絡先さえ知らないのです。人間同士の交流がこの仕事の全てだと、私はかつての上司から教え込まれていましたし、課長補佐だって無論、そんな事は百も承知のはずなのです。いくら私の態度が誤解を招いて心ならずも課長補佐を憤慨させる結果となったとしても、仕事上必要な情報を隠蔽しているという事実は勤怠管理システムに記録されてしまいます。

 社内での活動はどんな些細な事、例えば、備品のクリップで分厚い書類を挟んでしまってそのクリップが広がってしまったのは、誰のせいなのかというような事にいたるまで記録され、査定資料となるのです。このことを知らない従業員は一人もいません。ですから、いくら補佐とはいえ、自分のキャリアを賭けてまで、私一人に意地悪をするとも考えにくいのでした。

 ですから、本当にこの仕事が実在して、しかもその業務を故意に妨害しているというよりも、最初から存在しない仕事を命じて、その後の私の業績グラフを右肩下がりにすることで、補佐が溜飲を下ろそうとしているのだと考える方が自然です。

 従って、「空想技師集団」は存在しないし、私もそんなものの宣伝を手がける必要はないのです。


 チャイムが鳴って昼休みになりました。

 課長補佐が弁当の包みを振り回しながら私のところにやってきました。昼食を一緒に食べようというのです。断ることもできませんので、「喜んでお供します」と言いました。こういう受け答えで私の育ちが知れてしまうのでしょう。大方、今朝の子供地味た悪戯を詫びようというのでしょう。そうしたら、こう言ってやろう。

「課長補佐。しかし空想技師集団というのは、ノスタルジックでそれでいて先進的な響のある良いコピーですね」って。

 私はくすくすと笑いながら、課長補佐の後をついていきました。すると私達は、何時の間にか、社の中庭に出ていたのでした。

 恥ずかしい話ですが、この敷地に中庭があったということを、勤続5年になる私は始めて知りました。いや、これも今にして思えば、そうだったというだけで、その時には別段不思議ともなんとも思わなかったのです。何しろ上ったり下ったりの険しい道のりでしたので、実は疲労困憊していました。

 課長補佐は背広の内側から風呂敷を取り出して芝生に広げました。そして私に、満面の笑みを向けて言いました。

「さあ。座り給え。そして大いにやってくれ給え」と。

 風呂敷は、八畳くらいはありました。絞りとかいう織物でしょうか。座り心地は大変に良く、私は課長補佐とたいそう打ち解ける事ができたように思います。しかし、親しき中にも礼儀有りと教育されてきた私の言葉使いに乱れが生じる心配はありませんでした。

 課長代理の安来節があり、私のカードマジックが終わるまでは、本当に和気藹々とした昼食だったのです。ところが、このマジックに課長代理が納得してくれなかったのでした。

「君、そのカードだがね。とうして一度ばらばらに千切ったものが元通りになって、しかもそこに私にしか書けない署名が付いているのか説明して呉れ給え。これは、問題だ。おおいにけしからんことだ」

「部長補佐。これはマジックです。仕掛けは無論ございます。種を明かせば、なんだ。そんな単純な事だったのかと仰るに違い有りません」

 私は平身低頭し、誠心誠意謝罪しました。ここで種を明かしてしまっては、忘年会ですることが無くなってしまうからです。

 課長代理は毎年安来節をしていることを誰かに揶揄されていたようでした。それで、私のカードマジックを横取りしようとしているのではないかとさえ、疑われました。こういう心の動きに馴染みの無い私は、体の中で熱くてぶよぶよした物が膨らんでいくような感覚に襲われ、恐ろしくなりました。この私の怯えた目を見て、課長補佐は笑いました。ですが、ほっとしたのもつかの間でした。課長補佐は、私にとっての死刑宣告にも相応しい事を言ったのです。

「そんなものの修練なぞ、空想技師集団の仕事には何の役にも立たんぞ」


 ああ、空想技師集団からの依頼は事実だったのでしょうか。もしかしたら、課長代理は、この昼食会で私が課長補佐の派閥になびくのか、それとも室田室長の方へ就くのかを試していたのかもしれません。もし、私がカードマジックではなく、昨年の忘年会で歌った相馬追分にしていれば、今ごろクライアントからの指示書を受け取れていたのかもしれないのです。そう思うと、私は、この胸張り裂けよとばかりに体を掻き毟りたい衝動に駆られたのでした。

 課長補佐は、打ちひしがれた私を一瞥し、器用に風呂敷を畳むと、

「明日、クライアントが面談に来る予定になっている。十分に用意を怠らないことだ」

 と言い捨て、私を残したまま立ち去ってしまいました。


 何の予備知識も無いまま、依頼の翌日のクライアントと面談するというのは、厚い雲に向かって、素っ裸でスカイダイビングをするようなものです。一体、どうしたら良いのでしょうか。私には昼の終わりを告げるチャイムの音が、一度では飽き足らず二度も三度も上昇落下を繰り返す断頭台の刃の音に聞こえていました。

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