本能寺の変な説 後編

 京都の近く、丹波亀山に信長の重臣、明智光秀がいた。

信長よりも先に毛利軍が待ち構える中国地方に向かっていた。

だが、光秀は信長から拝領した刀をうっかり、京都に置いて行ってしまった。

光秀は、中国地方の厳しい情勢よりも、うっかりによる信長のお叱りの方が

断然、怖かった。そこで、ひとまず京都に戻ろうと考えた。

とはいえ、大勢で行くと信長にバレるので、100人位で行くことにした。

そして、京都に近づくと…。

(本能寺が燃えている!!!)と、気づいた。

これは、敵襲に違いない、と思い、駆けつけることにした。

ここで、あの言葉が生まれた。光秀が家臣に言い放った。

「敵は、本能寺にあり!!!!!」

これは、本能寺が敵に襲われている、という意味である。

実は、光秀には駆けつけないといけない理由があった。

今、本能寺に近いのは、光秀だけである。なので、助けなければ、真っ先に

疑われる。これを思いながら、京都に入った。すると、本能寺の方に旗が

上がっている。煙で旗印はよく見えないが、敵の旗に違いない、と思った。

そして、本能寺の前に来た。だが、敵は見当たらない。

光秀は、敵が全て本能寺内に入っている。やばい!!と、思った

門は閉まっていた。だからはしごか何かで入ったのであろうと予測した。

ひとまず、大きな丸太を門にぶつけて、門を開けることにした。

ドーン!!という音がして、門が開いた。すると、その門の前に信長がいた。

光秀は、安堵した。しかし!!配下の兵士が信長を討ってしまった!!!

その兵士は、「敵は、本能寺にあり!!!!!」という言葉を勝手に

信長が敵であると解釈していた。そのため、ビクビクしながら信長を

討ってしまった。光秀の頭の中が真っ白になった。家臣が信長の生死を確認したが、息絶えていた。ここで、光秀は決断した。ここまで来ては弁明のしようがない。こうなったら、謀反人として戦うしかない、と。

結果、中国地方で共に戦うはずだった信長の重臣、羽柴秀吉に敗れ、逃げることに。近江に逃げる途中、出会ったのは、同じく織田の重臣、細川藤孝であった。

藤孝とは、光秀が越前の大名、朝倉義景に仕えていたころからの仲である。

藤孝が言った。

「わしは、足利将軍家の再興を願っておった。だが、おぬしは、その願いを支援していた朝倉を裏切った。そして、織田につき将軍家、さらには朝倉までも滅ぼした。わしも織田についたが、それは織田家でのおぬしの活躍がすごく、織田が

勢力を拡大したからだ。わしは、なによりわしの願いを裏切ったおぬしを許せぬ。

そしてな、羽柴殿が言った。足利将軍家を再興すると。わしは、羽柴殿につく。

光秀!!死ぬがよい!!」

藤孝は、目に涙を浮かべながら、光秀を討った。

秀吉の足利将軍家再興の話は、もちろん嘘である。秀吉は、藤孝の恨みを利用し、

光秀を討った。これにより、秀吉は、光秀を助けたかったが、藤孝が殺してしまった、という秀吉が本当は寛大であったという風になった。その後、秀吉は、

天下人となった。一方の光秀は、信長を助けようとしたのにも関わらず、信長を

討った「悪人」となった。さらに光秀が助けようとした、という話自体、秀吉にかき消された。いくら運がないとはいえ、あまりに光秀が哀れである。そして、

本能寺に火を付けた武田の残党は恨みを晴らし、信長と共に亡くなったという。




                   完







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本能寺の変な説!! 武田伸玄 @ntin

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