残されたけもの

ふかでら

あの日の約束

 雲一つない青空の下、押しては引く波の音が静かに響く。

 ジャパリパークの日の出港。そこに停泊している船の前には、二人の猫科フレンズと一人のパークガイドがいた。 

「絶対、ぜーったい帰ってくるよね?」

 声を上げたのはサーバル。彼女は今にも泣き出しそうな顔で、船を背にするミライを見つめていた。

「もちろん。少し留守にするだけですよ」

 サーバルが安心できるよう、穏やかに微笑んでミライが答える。

 島を離れるのは残念でならない。しかし職員の完全退去の決定は覆らなかった。退去の期限は今日まで、ずっと行動を共にしていたフレンズとも別れなくてはならない。

「あの大型セルリアンは何とかなったのにね」

 名残惜しさを滲ませたのは、サーバルの隣に立つカラカル。親友同士の二人はミライと一緒にパークを旅して周り、パークを閉鎖に追い込んだ超大型セルリアンと戦ったフレンズだった。

 ミライはもちろん多くのフレンズとも協力し合い、パークの危機は何とか乗り切った。しかし超大型セルリアンの脅威は完全に排除された訳ではなく、パークの職員は島を出ることになってしまった。

「すぐに戻ってきますよ。その時は、また一緒にパークを巡りましょう!」

 お別れではなく再会の約束をするミライ。必死に涙を堪えていたサーバルは目を拭くと、明るい口調で言う。

「ミライさんが帰ってくるまでに、私たちが帽子を見つけてくるよ!」

 ミライは少し驚き、片手を上げて頭に触れる。

 色の違う二枚の羽根飾りが付いたパークガイドの帽子。パークにいる間かぶっていたその帽子は、昨日ラッキービーストと遊園地の観覧車に乗った際に飛ばされてしまった。頂上に差し掛かったあたりで急に風が吹き、そのまま遠くへ流されていったのだ。

「絶対に見つけ出して、また会った時に返すから!」

「ええ。お願いしますね」

 眼鏡の奥で目を潤ませながら、ミライは手を下ろして笑顔を見せる。

「サーバルさん。カラカルさん。今度会える日を楽しみにしてます」

「うん! またね!」

「元気でね」

 小さく手を振ってゆっくり足を進めたミライが乗船すると、間もなくエンジン音が唸りを上げた。ほぼ同時に船が振動し、それから海の上を滑るように離れていく。

 パークを後にする船に向かって、サーバルとカラカルは大きく手を振る。手すりに掴まって船べりに立つミライの姿がどんどん小さく遠くなって、ついには水平線の彼方に消えてすっかり見えなってしまった。

「……行っちゃったね」

 ぽつりと呟くカラカルの声は震えていて、隣からは先ほどから泣きじゃくるが聞こえていた。

「ぅ……みゃあああぁーん! わああああああっ!」

 顔をぐしゃぐしゃにしてサーバルが号泣する。彼女の背を優しくさするカラカルも堰を切ったように泣き始め、二人はどちらともなく体を寄せ合った。

 肩を抱き合って、サーバルとカラカルは日が暮れるまで泣き続いていた。


 しゃくりあげる声と顔を伝う感触に、カラカルは目を覚ます。視界に飛び込んできたのは住み家にしている部屋の光景で、寝ながら泣いていたのだと気付いた。

 涙を拭いて体を起こす。懐かしい夢を見た。サーバルと一緒にミライを見送った時のことは、今でもはっきり思い出せる。

 あれから長い月日が経った。二代目ペパプはとっくに引退しているし、博士や助手をはじめ、あの頃の仲間やフレンズはすでに代替わりをしている。親友のサーバルもずいぶん前にいなくなってしまった。

 現在ではパークにヒトがいたことはおろか、ヒトが何なのかを知らないフレンズがほとんどだ。

 ミライの帽子はサーバルと一緒に、そして彼女と別れてからも探し続けているけれど、パークが広すぎて未だに見つかっていない。海に飛ばされて流されたのか、それとも風に乗ってパークを旅しているんだろうか?

 時々、帽子を探すのも兼ねてふらりとパークを巡る。サーバルやミライと一緒に旅をした時と違ってジャパリバスはなく、頼れるのは主に自分の足だ。

 パークを巡るごとに色んなフレンズと出会って、それと同じだけの出来事があった。

 伝説のアイドルについて知りたいマーゲイに、かつてパークで活躍したペパプのことを話した。

 ゆきやまちほーで暮らすギンギツネとキタキツネには、温泉施設の使い方や装置の手入れ方法を教えた。

 昔からの知り合いのジャイアントペンギンと顔を合わせて、同じ時代を知るフレンズ同士で語り合った。

 高山にあるジャパリカフェを見つけたアルパカに、そこでお茶を出してみたらどうかと提案した。

 パークにはずっと前、フレンズになったセルリアンがいたことを作家のタイリクオオカミに伝えた。

 ヒトがいなくなっても新しいフレンズは生まれている。デグー。ケープペンギン。モモイロペリカン。腕に紫のバンドを付けたフンボルトペンギンなどは初めて出会ったフレンズだ。ミライがいたら喜んだだろう。

 ぼんやり思い出に耽っていると、こちらに近づいてくる足音が聞こえた。無意識に耳が動いて、少し遅れて顔を向ける。

 目に入ったのは、丸いカゴを頭に乗せたラッキービースト。しばらく食べる分のじゃぱりまんを持ってきてくれたらしい。

「ありがと、ラッキー」

 寝床から立ち上がり、じゃぱりまんを一つ手に取る。

 ミライが島を出る前に聞いたが、ラッキービーストは自分たちのような動物ではなく、職員たちのようなヒトでもない『パークガイドロボット』だそうだ。

 本当ならミライたち職員と一緒にパークのガイドをするはずだったものの、今ではパークの『ボス』になっている。そう呼び始めたのはサーバルで、いつしか他のフレンズもボスと呼ぶようになった。

 じゃぱりまんを持ってきてくれるからボスだよ。と、サーバルはあまり考えていなかったが、確かにヒトがいなくなったパークの整備を行い、じゃぱりまんを配り歩くラッキービーストにはぴったりの呼び名だ。

 床に座ってじゃぱりまんをかじりつつ、カラカルはカゴを下ろしてもその場を離れないラッキービーストを見つめる。

 ラッキービーストはじゃぱりまんを持ってくる時と、本当に困った時に手助けをする時しかフレンズと関わらない。ヒト以外とは喋らずに作業をするだけだ。

 しかしラッキービーストたちの中でも変わり者がいるのか、一体だけ自分に付いてくるラッキービーストがいる。パーク巡りの旅にも付いてきて、いつの間にか傍にいるのが当たり前になった個体だ。

 青い体には多くの細かい傷があり、縞模様の尻尾が根元から千切れている。パークを何度も周るうちに、他のラッキービーストと見分けがつくほど傷だらけになってしまった。

 じゃぱりまんを食べ終えたカラカルは、沈黙を守る相棒の耳の間に手を乗せる。

 ミライはもう帰ってこないかもしれない。そう考えたことは何度もある。あの山火事のようなセルリアンが原因で、あるいは何か別の理由でパークに帰って来れないのだと。ラッキービーストがまた喋ることもないのかもしれない。

「いつか、ミライさんたちに直してもらえるといいわね」

 だけど昔の夢を見たからか、パークにヒトが戻って来るような、そうでなくても何かが起こるような、そんな気がした。

 ラッキービーストから手を離して立ち上がり、カラカルは大きく伸びをする。

「今日はどこに行こっか? ラッキー」

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