イチゴの花が咲く理由

柚緒駆

イチゴの花が咲く理由 前編

 道端に白い花。十一月、風の向こうに冬の足音を感じさせる晴れ上がった空の下、五輪の花が咲いていた。大きな溜め池の周囲をぐるりと囲む土手の上を通る舗装された農道と、そのすぐ脇の草むらとの間に。


「なあ兄者」

「その呼び方はやめろと言っている」

「では兄上。あ、痛い痛い痛いっ」


 スマホの角でこめかみを削られて、幸一こういちは小さな悲鳴を上げた。それを見てコーギーのゴン太は、嬉しそうに一貴かずたかの脚にじゃれつく。


「もう。だったら何て言えばいいんだよ」


 不満げにこめかみを押さえる幸一に、一貴はスマホを服でゴシゴシ拭きながらため息をついて見せた。


「何度も言わせるな。双子に兄も弟もない。名前で呼べ」

「でも俺たち二卵性だぜ」


「一卵性だろうと二卵性だろうと、双子は双子だ」

「でも父さんも母さんも『さすが一貴はお兄ちゃんね』っていつも言ってるじゃん」


「それはおまえがいつまでもガキっぽいからであって、僕のせいではない」

「えー、俺たちまだガキじゃん」


二十歳はたちを過ぎてガキもクソもない」

「ホントああ言えばこう言うな」

「どの口がそれを言う」


 今度は顎を突いてやろうかと一貴がスマホを持ち上げたとき、幸一は道ばたの白い花を指さした。


「なあ、この花っていつから咲いてたっけ」


 その呑気な声に、一貴は毒気を抜かれたような顔で、スマホをポケットに戻す。


「随分前から咲いていたろう」

「えー、嘘。俺全然気づかなかった。珍しいよな、こんな季節に」


「秋に咲く花なんて珍しくはない。だいたいゴン太の散歩で毎日ここを」

「で、何の花?」


 イラッとしたが、この程度で怒るのも大人げない。一貴は自分を抑えた。


「……何の花かは知らん」

「嘘っ、一貴でも知らないことあんの? すげー」


 イラッイラッ。まあまあ、抑えろ自分。一貴はしゃがみ込むと、スマホで白い花の写真を撮り、画像検索にかけた。


「へえ、こんなアプリあるんだ」

「ああ、便利だからおまえも入れて」

「で、何の花?」

「はーなーしーをーきーけー!」


 一貴は幸一の顎をつかんでガクガク揺さぶった。


「あがー、何怒ってんだよお」


 涙目の幸一に背を向けて、一貴はスマホの画面を操作した。


「……どうやらイチゴの花らしいな」

「イチゴ? あのイチゴ?」


「おまえの世界では他にどのイチゴがあるんだ」

「すっげー、イチゴ食えるじゃん」


 こんな犬の小便かかってるかもしれない場所で採れたイチゴが食えるのか。その感覚の違いに一貴が唖然とする前で、不意に幸一は首をかしげる。


「……ん? でもさ、何でこんな所にイチゴが生えてるんだろ」


 その問いは一貴の意表を突いた。


「そ、そんなこと知るか」

「誰ならわかるかな」


「誰なら?」そのとき一貴の脳裏に浮かんだのは、同じ小学校に通ったあの顔。「まあ『庄屋』ならわかるんじゃないか」

「よし、じゃ庄屋連れてくる! 待ってて!」


 いきなり全力で走り出した幸一の背中を、一貴は呆然と見送るしかなかった。




「あの馬鹿が」


 不思議そうな顔で見上げるゴン太の頭を、一貴は優しくなでた。そして白い花に目をやる。何でこんな所にイチゴが生えてる、か。確かに言われてみれば不思議だ。この花の存在には随分前から気付いていたはずなのに、自分は疑問に思うことすらなかった。


 幸一は日常の中に疑問を見つけ出す。そして周囲を質問攻めにする。子供の頃からそうだった。大人たちはそれを厄介に思い、いつも泰然としている一貴を褒めた。だがそれを自分はどう思っていただろう。何処かで幸一に憧れたりはしていなかっただろうか。


 ま、いまそんな事を考えていても仕方ない。一貴は再び白い花の近くにしゃがみ込んだ。そして周囲を見回す。


 この辺りは間違っても都会ではないが、田舎と言い切れるほど田舎でもない。農道をしばらく進めば向かって左側に畑はあるものの、その反対側はほとんど宅地になっている。農道の先に繋がる路地が県道にまで伸びているので、人も車もみなそちら側に向かう。こちら側には人通りはあまりないのだ。


 そんな寂しい道端に、イチゴが生えている。何故だ。一貴は考える。


 論理的に説明がつかない訳ではない。たとえば近くにイチゴ畑があるか、もしくは近隣の民家で家庭菜園としてイチゴを栽培しているとする。それを鳥が食べた。そしてその糞がたまたまここに落ち、中の種が芽を出し花を咲かせた。動物被食散布というヤツだ。大筋としてはこれで間違っていないのではないか。だが。


 何処か弱い。何かが足りない気がする。それは何だ。


「……庄屋を待つしかないか」


 溜息をつきながら一貴が立ち上がったそのとき、突然背後から声がかかった。


「何をしとるね」


 一貴が振り返ると、老爺ろうやが一人立っている。小柄だがガッシリとした体格の、口元に笑みをたたえながら、しかしその目は笑っていない。麦わら帽子に長靴履きで、ベルトには鎌が差してある。一貴はまったく気付かなかった。いつの間に近づいたのだろう。


「珍しい花があったもので、写真を撮っていました」


 だが一貴に動揺はない。スマホに映ったイチゴの花を老爺に見せた。しかし老爺は面白くもなさそうな顔で一貴をジロジロと見回す。


「こんな花が珍しいのかね」

「ええ、結構珍しいと思いますよ」


 どうやらイチゴの花だとは気づいていないらしい。一貴はそう見て取った。そしてこうたずねる。


「この近所の方ですか」


 だが老爺はそれに答えず、背を向けると農道を歩き去って行った。それを見送る一貴は口元に手を置き、しばらく考え込んでいたかと思うと、不意に何かを思いついたかのように、こうつぶやいた。


「そうか、肥料か」



 日山菊太郎の庭には花が溢れていた。最外周には植木鉢が並び、その内側にはプランター、そして更にその内側の地面は耕され、種々の野菜畑になっている。今日のような休日には、日がな一日雑草取りと水やりに費やす。それこそが至福の時であった。


 畑の真ん中に立ち、クルクルとバレリーナのように周りながら、ホースで水を撒く。身体にホースが巻き付いたら、今度は逆回転だ。親は近所の目が気になると小言を言うが、そんな事など気にしない。気分としては高らかに歌いながら水を撒きたいほどなのに、それを我慢しているのだから。と、そのとき。


「庄屋!」


 聞き慣れた声に菊太郎が振り返ると、門の所に谷野幸一が立っていた。幸一と一貴の双子の兄弟は菊太郎とは小学校の同級生で、『庄屋』というニックネームをつけたのが幸一である。菊太郎の家は別に庄屋の家系ではないのだが、「それっぽい」という理由でつけられてしまった。だがそれを嫌ってはいない菊太郎であった。


「やあ、幸一君。今日は一貴君は一緒じゃないの」


 菊太郎がそう言って水を止めると、幸一が勝手に庭の中に入ってくる。


「そうそう、それなんだけどさ、ちょっと聞きたいんだ」

「聞きたいって何を」


「庄屋んとこではさ、イチゴ作ってる?」

「作ってるよ。あそこで」


 菊太郎が指をさした庭の隅っこには、小さな、かがまなければ入れないであろう大きさのビニールハウスがあった。


 と、突然幸一が、笑顔で菊太郎の腕を捕まえた。


「じゃ、来て!」

「え、ちょっとちょっと、え、何、あーっ! そんな引っ張らないで! あーっ!」


 菊太郎は竜巻のような勢いで連れ去られてしまった。




 どうして今日は歩かないのだろう。コーギーのゴン太はそんな顔で一貴を見上げている。


「ごめんな、もうちょっと待ってな」


 そう言って頭をなで、一貴は立ち上がった。と、その視界の中に動く影が。農道の向こうから、ミニバイクが走ってくる。青い制服、白いヘルメット。警官だ。しかしそれにしても大柄な警官である。まるでサーカスの自転車に乗るクマのようだ。その姿には見覚えがあった。


 警官は一貴の近くでバイクを止めると、苦虫を噛み潰したような顔でヘルメットを脱いだ。


「何だよ、天才兄貴かよ」

「やあ、まり巡査。久しぶりじゃないか。何かあったのかい」


「何かじゃねえよ。溜め池の土手で不審者が変なことやってるって交番に通報があったんだよ。おめえか」

「ああ、それは僕かも知れないね」


 一貴は笑った。


 尾毬は三学年上の、一貴と幸一の双子とは幼なじみだ。典型的な漫画に出て来るようなガキ大将だったのだが、双子とは何故か馬が合った。それ以来の腐れ縁である。


「今日は馬鹿弟はいないのか。珍しいな」

「あいつなら、じきに来ると思うよ。それより聞いて良いかな」


「何だよ」

「僕を不審者だと通報したのは誰」


 その言葉に、尾毬は目を白黒させた。あまり警官としては優秀な方ではないらしい。


「そ、そんなもん、言える訳ねえだろ」

「つまり誰が通報したか、警察ではわかってるんだね」


「言えねえよ。それも捜査上の秘密ってヤツだ」

「いや、言う必要はないよ。ただ君がそれを知っているのなら、イロイロと都合が良いなと思ってね」


「はあ? どういうこった」


 と、そこに遠くから、幸一の声が響いてきた。


「おーい」

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