第44話『目の前の現実』

 6月27日、水曜日。

 美琴ちゃん達がお見舞いに来てくれたこともあってか、今日になったらすっかりと体調も良くなった。気持ちもある程度はスッキリとしたので、昨日までの数日間と比べると体が軽くなった気がする。

 今日は一日中よく晴れ、蒸し暑くなる予報になっている。週間予報でも、晴れる日が続くことから6月中の梅雨明けもあり得るとのこと。蒸し暑いのは嫌だけど、雨が降らないのはいいことだ。

 昨日休んだので、登校したときにクラスの友達から元気になって良かったねと言われたこと以外は、普段とさほど変わらない一日だった。ただ、昼休みに会長さんが教室に来てお昼ご飯を食べるのはまだ慣れないけど。

 昼休みに、今日こそはみんなで綾奈先輩のお見舞いに行くことに決めた。もちろん、綾奈先輩の大好きな白百合の花を持って。



 放課後。

 月曜日と同じように、美琴ちゃん達には昇降口の近くで待ってもらうことにした。

 私は園芸部の白百合の花壇に水やりをして、綾奈先輩へのお見舞い用に白百合の花を一輪摘む。その白百合の花を新聞紙に包んだ。


「お待たせしました」

「おっ、その白百合の花綺麗じゃないか」

「本当に綺麗で素敵ですね。色々な意味で私は百合の花が好きです」

「匂いが結構するけれど、これは好きになれるかも、ゆーりん」

「やっぱりいい花ね。綾奈も白百合の花の匂いは好きだって言っていたし、この花のおかげで目覚めるのが早まるかも」

「……かもしれませんね」


 昨日までならそんなわけないだろうって思ったけど、今は何だか目覚めそうな感じがするのだ。意識を失っているけど、綾奈先輩は確かに呼吸している。好きな匂いを感じられれば、もしかしたら。

 私達はさっそく花宮総合病院へと向かい始める。夕方になったけど、今日はずっと晴れているからか蒸し暑いな。本当に6月中の梅雨明けがあるんじゃないかな。


「暑いなぁ。期末試験終わって夏休みになったらプールとか海に行きたいな。泳ぎまくりたい」

「思い切り体を動かしたいよね、夏実」


 さすがは運動部に入っているだけある。ただ、暑いときにはプールや海で泳ぎたいよね。


「私はあまり泳げませんから、プールや海に入って涼みたいですね」

「私もクロールや平泳ぎで25mを泳ぐのがやっとだから、瀬戸さんと一緒にのんびり涼みたいわ。百合ちゃんはどう?」

「実家が海の近くなので、やっぱり海には行きたいですね。プールで泳ぐのも気持ちいいですけど、海で泳ぐのもいいものですよ」

「ということは、百合ちゃんって結構泳げるのですね。普段の体育の様子からして意外です」

「運動はあまり得意じゃないからね。実家の近くに海がなかったら、きっと泳ぎもそんなにできなかったと思う」


 実際、小学校の低学年くらいまではあまり泳げなかったし。毎年、夏休みになると友達や兄妹と一緒にたくさん海に行ったので、その中で普通に泳ぐことができた。

 夏休みには美琴ちゃん達とどこか遊びに行きたいな。もし、綾奈先輩の意識が早く戻ったら、夏休み中に先輩と2人きりでどこかへお出かけやお泊まりも。夏休みに誕生日を迎えるので、そのときも綾奈先輩と一緒に過ごしたいな。

 学校からだったので、花宮総合病院には意外と早く到着した。しかし、

 

「愛花、白瀬さん……」

「……奈々実ちゃん」


 病院の入り口の近くに花宮高校の制服姿の鷲尾さんが立っていたのだ。すぐに周りを確認するけれど、この前一緒にいた人達の姿はなかった。どうやら、鷲尾さんはここに1人で来たようだ。


「あなた。まさか、百合や有栖川先輩にまた何かしようと思っているんじゃ?」

「美琴ちゃん、落ち着いて」

「ゆーりん、みこっちゃん。この人、知り合いなの? 有栖川先輩も知っているようですけど」

「簡単に言うと、小学生時代に綾奈先輩と会長さんのことをいじめていたの。先週、色々とあって、その場に私や美琴ちゃんも居合わせて」

「あら、そうだったのですか」


 美琴ちゃんほどじゃないけど、あかりちゃんや夏実ちゃんも少し鋭い目つきで鷲尾さんのことを見る。


「どうして、奈々実ちゃんがここにいるの?」

「……花宮女子に通っている友達から、綾奈がここに入院したって聞いたから。それで、お見舞いに行こうかなと思ったんだけど、ここに来た途端に行っていいのかどうか分かんなくなっちゃって」

「そういうこと……」


 いじめをしていても、元々は親友。綾奈先輩が入院して、今も意識が戻っていないと分かり、心配になってお見舞いに来たのかな。


「どうしよう、百合ちゃん……」


 会長さんは困った様子で私のことを見てくる。一緒にお見舞いをするか、ダメだと言ってここで追い返すかなかなか決められないのだろう。


「百合、この人にお見舞いさせちゃダメだよ。神崎先輩の居場所を突き止めて、意識を失っているのをいいことに先輩に何かするかもしれない。この前みたいに何人も引き連れてさ」

「そんなことするつもりは全くない!」

「それはどうだか。先輩方に謝る協力を百合に断られたら、この前のようなことをしたじゃないか! あんたの仲間の1人が百合にケガさせて……!」

「落ち着いてください、美琴ちゃん」

「こういうときこそ冷静でいないと、みこっちゃん」


 夏実ちゃんやあかりちゃんはそう忠告するけど、美琴ちゃんは怒った様子で鷲尾さんのことを睨んでいる。

 どうやら、鷲尾さんについてどうするかは、私が判断しないといけないようだ。


「……いいですよ、一緒にお見舞いに行っても」

「百合ちゃん……」

「百合、どうして!」

「この前のことを許したわけじゃないよ、美琴ちゃん。鷲尾さん、いくつか条件があります。お見舞いに行っていいのは今回だけです。その際は、綾奈先輩に指1本触れないでください。そして、仲間を連れて綾奈先輩のことを傷つけたり、ご家族や会長さんに迷惑を掛けたりするようなことをしたら学校や警察に通報します。それを了承していただけますか?」

「……分かった」

「あと、鷲尾さんにもう一つ。私、綾奈先輩と恋人として付き合うことになりました」

「……そう。あのとき、綾奈はあなたのことで怒っていたものね」


 そう言うと、鷲尾さんは儚げな笑みを浮かべた。


「さあ、綾奈先輩のところへ行きましょう」


 鷲尾さんも加わって、私達は綾奈先輩の入院している807号室へと向かう。さすがに6人で行くからか、患者さんや看護師さんから視線が集まった。

 807号室に入ると、今日も綾奈先輩は病床の上で眠っていた。


「綾奈先輩。毎日来るつもりだったのに、日曜日以来となってごめんなさい。先輩の好きな白百合の花を持ってきましたよ」


 綾奈先輩の顔に白百合の花を近づける。先輩の好きな匂いで目が覚めてくれるといいけど……その気配すら感じられないな。


「神崎先輩の眠っている姿って綺麗だなぁ。いつもと違って髪がストレートだからかもしれないけど」

「それもあるかもしれませんが、とても美しいですよね、夏実ちゃん。ちょっとドキドキしてしまいます」

「惹き込まれるよね」


 夏実ちゃんとあかりちゃん、自然と笑顔を浮かべながら綾奈先輩のことを見ている。先輩のサキュバス体質の影響を受けているのかな。


「綾奈、本当に眠っているのね」

「ええ。あのときとは別の理由ですが、ストレスを溜めてしまい綾奈先輩はサキュバスの姿になりました。その後に意識を失い、一時は心臓も止まりました」

「そうなのね。そういえば、いじめをしていたとき……綾奈はこの前のような姿になった後に倒れたわね。それって、あの姿になった副作用だったわけか……」


 鷲尾さんは複雑そうな表情を浮かべて、綾奈先輩のことを見ている。


「2人は何を話しているの? みこっちゃん」

「サキュバスがどうとか言っていましたけど……」

「神崎先輩は特殊な体質を持っているんだ。今、こうして意識を失っているのも、その体質が関わっているんだよ」


 そういえば、夏実ちゃんやあかりちゃんには綾奈先輩のサキュバス体質については話していなかったな。ただ、美琴ちゃんが表面的なことだけを上手に言ってくれた。


「鷲尾さんにとって、サキュバス体質を持つ綾奈先輩は女の子の心を掌握する『魔女』かもしれません。ただ、綾奈先輩はかっこよくて、可愛くて、ワンピースを着たときは恥ずかしそうにしていて、女性の太ももが大好きな魅力的な女の子なんです。そんな子がお母さんからサキュバス体質を受け継いだだけなんです。それを覚えておいてください」


 サキュバス体質を持っていること以外は、私達と変わらない人間の女の子。そのことを鷲尾さんに分かってほしい。


「……分かった。……綾奈。白瀬さんや愛花達のためにも早く目が覚めるといいわね。あのときは本当にごめんなさい。許してもらえるとは微塵にも思ってない。ただ、先週はあんな感じになっちゃったから、改めて謝ろうと思ってお見舞いに来たの。もう、二度とあなたや愛花に会いに行かない。あの子達にも行かないようによく言っておく。最後に……白瀬さんと末永くお幸せに」


 鷲尾さんはそう言って私達の元から離れていく。私達に一度、深々と頭を下げた後、病室を後にした。


「……これで本当に最後になるといいな」

「そうですね」

「ありがとう、百合ちゃん。綾奈や私のために。あなたに助けられるのは、これで何度目だろう」

「何度目でもいいですって。私はそうしたくてやったことですから」

「そう言ってくれて嬉しい。ただ、あのときのいじめで刻まれた傷は一生持ち続ける。それでも、綾奈が目覚めたら、ようやく未来へ進めそうな気がするわ」

「そうですか」


 今後も、先輩方に何かあったときは私が支えになっていこう。綾奈先輩とは恋人で、会長さんとは同じ人に恋をする大切な友人だから。


「事情をあまり知りませんが、スッキリとしたみたいで良かったです。白百合の花を飾るための花瓶をナースステーションから借りてきますね」

「あたしも一緒に行くよ、あかりん」


 あかりちゃんと夏実ちゃんは花瓶を借りるために一旦、病室を出て行った。


「美琴ちゃん、さっきはありがとね。2人に先輩の体質のことをさらっと言ってくれて」

「お礼を言われるほどじゃないよ。それに、我ながら上手く説明したなって思ってる」


 美琴ちゃん、ドヤ顔しちゃって。


「そうだ、神崎先輩に唾液を接種させれば? あたし、お花持ってるから」

「そうだね、ありがとう」


 美琴ちゃんに白百合の花を渡して、綾奈先輩へ3日ぶりに唾液を接種させる。この前よりも先輩の唇から感じられる温もりが弱い気がした。

 唇を離すと、さっきと比べて綾奈先輩が微笑んでいるように思えた。キスして、唾液を与えたことでいい夢でも見ることができているのかな。

 その後、あかりちゃんと夏実ちゃんが持ってきてくれた花瓶に白百合の花を挿す。これで少しは早く意識を取り戻すといいなと思うのであった。

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