第2章 絶対なる契約

第1話 亜壽香とコントラクト

 結局あれからスマホを触る気すら起きないまま、次の日を迎えていた。


 朝、学校に行く前、自分の机の上に視線を寄せる。触る気は起きなくてもしっかり充電だけは……しているんだよな……。

 そんなスマホを無造作に鞄の中へ放り込むと家を出た。


 その家を出るころ、圭の家の前でスマホをいじりながら待っている亜壽香が近寄ってきた。基本的に朝はこうやって(待ち伏せされて)一緒に学校に行く。

 ただ、なんというか圭にはもうこの毎日の登校は惰性という感じが否めなかった。


 前はスマホに変えた話題があったからこそ、こちらから話しかけたが、普段圭から話しかけることは何もない。

 故に亜壽香から会話を持ち込まれなければただ歩くだけ、無言の登校が続いたりもする。でも亜壽香が無言になることはそう多くない。


「ねえ圭。スマホはどう? 使いこなしてる?」


「……まあ……まあかな」


「そっちが言ったんだから何でも聞いてよ」


 と言っても今のところ不自由ない……というかほとんど触っていないから分からないところが分からない状態か。でも……そんなことよりは……。


「なあ、亜壽香? 俺昨日……」


「昨日? なに?」


「あ~……うん。……そっちは……何か話すことないか?」


「……あぁ? 会話のキャッチボールで来てないよ?」

「いや、まあ、できてないのも分かってんだけどさ……。そっちが話すことは?」

「急に言われても……ないけど」


「そっか……なら俺もいいや。昨日は何もなかった」


 そう言い切って話を無理やり打ち切った。その後、数歩無言の時間が続く。が、亜壽香はすぐにハッと何かに気付いたようで右手をビシッと圭に突きつけた。


「それ、違うでしょ!? 何かあるんだよね!? 昨日、何かあったんだよね!? 話して。てか、むしろ話せ! 気になって授業中も寝れないでしょうが!」

「夜寝ろよ!」

「夜も寝る!」

「グータラか!」


 と、一通りやり取りを終えたところで圭はため息を思いっきり吐いた。そして真剣な表情に作り替えて亜壽香と向き合う。


「本当に何もなかったよ」


 そうはっきりと口を開けていった。それに対し少しの間、圭の目の中を覗き込む亜壽香だったがやがて、笑顔を振りまく。


「そっか。なら、いいや」


 亜壽香はそういうと鼻歌しながら少し歩くスピードを速めた。長い黒髪がテンポよく揺れるその背中を見ながら圭はもう一度ため息を亜壽香に今度は気づかれないよう吐いた。

 そして亜壽香の前で作りあげた表情を崩し思考する表情に変える。


 もちろん、昨日は何かあった。とんでもないことがあった。それは亜壽香が圭のスマホに入れたアプリ、コントラクトが引き起こしたものだ。


 亜壽香はそのアプリを大した説明もせずに契約だけさせて終えた。そのアプリで起こったこと。これを相談しようと思った。ネイティブとかいうやつに不平等契約を結ばされてしまったことを。


 でも……そこで違和感を持った。


 コントラクトがそんな危険を招くものだと亜壽香は知っていたら……、果たして圭にそのことを伝えなかっただろうか?


 というか、そもそも……このアプリを入れる選択肢をしただろうか? もし、圭が亜壽香の立場なら……ネイティブやらなんやらに無理矢理支配されるような事態に既に遭っていて、亜壽香にこのアプリを進めようとするなら……どうするか。


 当然、亜壽香にはまずこのコントラクトというアプリの危険性……強制力を注意深く教え込むだろう。そして不平等契約を結ばされる可能性も……。それを考慮したうえで……このアプリを導入するか、亜壽香に判断をゆだねたはず。


 そこから考えたら行き着く答え……。亜壽香は……このコントラクトが導く現状を知らないのではないだろうか。そもそも、あの大原則のルールすら知らない。だって、もし知っていたらそれぐらい圭に見せるだろう。


 そもそもあいつはこのアプリを導入するとき、利用規約をかるくすっ飛ばした。おそらくその利用規約の中にルールがどうのこうのと、書かれていたのだろう。

 亜壽香はそれを読んでいないから、知りようがない。ただの契約アプリでしかないと思っている。


 もし、そうだとしたら……わざわざ圭が亜壽香に言っても相談どころか、亜壽香に不安をあおるだけになるのではなかろうか。

 確かに亜壽香に注意を促させるという意味合いが相談に含まれることにはなるのだろうが……亜壽香はスマホを手に入れてから長いはず。


 ここまで、そんなことに巻き込まれていないのだったら、これからも巻き込まれる心配は少ないんじゃないか?

 少なくとも圭みたいなスマホデビュー直後の奴のほうが、ずっと手玉にとりやすい。……不平等契約を結ばせるには……圭はちょうど良いカモってわけだ。


 なら、結論としてこれは相談すべきことじゃない。わざわざ、あいつに不安要素を与える必要はないだろう。……あれ? でも……亜壽香からは……ただアプリを進められたんじゃなくて……金の貸し借りの契約をするために……。


「圭。どうしたの? やっぱり話す?」


「え? ああ、いや。悪い、ちょっと考え事。あぁ、別に亜壽香とは何の関係もないから本当に気にしなくていい」


「そう? あんまりのんびり歩いていると日が暮れるよ」


「暮れねえよ、今は朝だ! 登校中だ!」


 と言いつつ、足取りを速め、亜壽香の隣まで急いだ。


 とにかく、このことは触れないようにしよう。少なくとも亜壽香から触れてこない限り、亜壽香との間でコントラクトの話題を出すのはよそう。金の催促みたいにもなるし。


 それに……今の圭にとって一番問題があるのは亜壽香との間ではないのだから。

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