ママは今日も忙しい

プロローグ ママはいろいろとつよい

 昼下がりのリビングで、幼い兄妹がテレビを観ている。


「そこだ! やっちゃえ!」


 男の子が小さなこぶしを振り回す。


「あああ、にげちゃった!」


 悲鳴のような声をあげ、女の子は開いた両手をぱたぱたと上下させる。


 そんな二人の無邪気な声を聞きつつ、ママは夕食の下ごしらえだ。

 ダイニングをはさんだ反対側のキッチンで、のんびりと玉ねぎの皮をむく。

 そこへ軽快なリズム音が鳴り響く。テーブルの上でスマホがブルブルとふるえていた。


「あーもう! はいはい、ちょっと待って」


 ついつい話しかけつつ、ママは急いで手を洗う。


「もしもーし」


 スマホの上に指をすべらせると、少しついてしまった水滴をそっとタオルで拭った。


「おつかれさまです。どうされましたか?」


 話しながらスマホをスピーカーに切りかえると、キッチンカウンターの上にのせて、そのままシンクの下にしゃがみこんだ。


『お仕事のご依頼になります。これからすぐなんですが、お時間大丈夫でしょうか』


 スマホのスピーカーから、柔らかな女性の声がひびいた。

 シンク下の棚から圧力鍋を取り出しつつ、ママは時計をちらりと見る。時計の針はちょうど4を指していた。


「んー、時間かかりそうですかね。できたら5時までに帰りたいんですけど」

『5時ですか……。それは何とも……』


 女性の声が困惑の色を帯びる。しかし、ママは通常運転だ。

「夕食の仕上げして、食事させて、あとお風呂も入れないといけないでしょ。できたら8時には寝かせたいんですよねー」

 ママは鍋をまな板の隣に置くと、腕を組んでうなる。

「あ、直行直帰の許可もらえないですかね。Cool TV使わせて下さいよ。それだとかなり時間短縮できますよね。あと、子供たちの同行許可もお願いします」


『しょ、少々お待ちください』


 一瞬の間のあと、スマホから「エリーゼのために」が流れ始めた。



    ***



 電話を切ると、ママは口元をほんのりと歪めた。


「ラッキー。特急料金も上乗せだって……くふふ」

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