ショートショート・ぼんち揚げ

石田緒

羽の生えた仲村さん

 隣のクラスの仲村さんには羽が生えていた。


 生え始めたのは小学校の中学年の頃らしい。

 その珍しさにある者は遠くからしげしげと眺め、またある者は近寄ってその

先に触れては黄色い声をあげたという。


 中学に入学したとき、それはすでに立派な一対の羽になっていた。

 

 初めて見た生徒は誰もが目を丸くし、恐るおそる仲村さんに話しかけ、了解

を得るやわいわいと群がるように羽を撫でた。私も俺もと、別のクラスからも

見物人は押し寄せ、またたく間に仲村さんの羽は全校生徒に知られることとな

った。


 けれど、そんな人気もほんのひとときの物珍しさに過ぎなかった。

 やがてほとんどの生徒が仲村さんの羽を見てもちっとも驚かず、反対に目を

背ける者まで現れた。


 そう。仲村さんの羽は決して美しいものではなかったのだ。


 天使と形容されるような柔らかな純白でも、黒揚羽と渾名されるほどの艶や

かな漆黒でもなかった。

 それは白と黒、そして茶色の斑点でバラバラに染まった、例えるならチャボ

と呼ばれるニワトリの羽のようなものだった。思い切って悪く言えば醤油をこ

ぼした雑巾のような、どちらかといえば汚らしさを覚えるものだった。

 手を触れれば犬猫の毛よりも硬く、ゴワゴワしていて、下手をすれば皮膚を

突き刺すような鋭い部分に当たることさえあった。


 ニワトリに似ているのは色や形ばかりでない。

 当たり前のように仲村さんはその羽を使って飛ぶことが出来なかった。

 請われれば羽ばたくことは出来た。しかし、それはバサバサと無様に宙を切

るだけだった。周囲にいた女子生徒はキャーっと叫んで身を縮こめた。


 仲村さんはいつも一人だった。

 一人で俯いて、羽をなるべく小さく閉じていた。

 羽が後ろの人の邪魔になるからと本人の要望もあって仲村さんの席は常に教

室の一番後ろだと聞いたこともある。


 その日は雨が降っていた。

 

 登校途中で忘れ物に気が付いて家まで引き返し、ようやく校門をくぐった時

にはもう各教室でホームルームが始まっていた。

 誰もいない下駄箱でスニーカーを脱いだ僕は濡れた靴下を気にしながら上履

きをスノコに放り投げて、ふと顔を上げた。

 

 視線の端に羽が動くのが見えた。


 廊下と中庭を隔てる窓の向こうでそれは上下していた。その辺りまでは屋根

が張り出しているのでかろうじて雨には濡れないはずだが……。どうせ遅刻は

遅刻だと諦めた僕は廊下を回り込んで中庭まで出てみた。雨に濡れない部分を

辿って近づくと、ほんの数メートル前まで来てやっと仲村さんは僕の存在に気

が付いた。


「あ、すみません……」

「いえ、謝らなくてもいいんです。僕のほうこそ勝手に……」


 僕はもともと女子と話すのは不得手だった。けれど、仲村さんには以前から

親しみを抱いていたのだ。

 隣に座っても良いかと僕にしては大胆なお願いをすると、仲村さんは困惑の

表情をあらわにした。


「良いんですけれど、あの、臭くないですか?」


 仲村さんは妙なことを言った。

「全然臭くないですよ」

「それなら良かった。私の、あの、これ……、雨に濡れると匂うから」

 言われてみればどことなく懐かしい香りが漂っていた。

「よく言われるんです。雨の日の犬の匂いだって……」

「別に臭くないですよ。それに僕、この犬の匂いけっこう好きだし。ついつい

嗅ぎたくなるっていうか……」

 そこまで言って僕は口を噤んだ。失礼な発言をしてしまっただろうか。い

や、それ以上になにか別の意味ですごいことを言ってしまったような……。


 仲村さんはタオルで羽を拭っていた。何度も何度も。

 僕はもう何も言わずにじっと屋根から滴る雨を見詰めていた。


「あの、良かったらそれ、拭きますか?」

 

 ぼうっと前を向いていた僕に仲村さんはタオルを差し出した。

「ああ、これですか? いや、慣れてるし、意外とすぐ乾くから」

 僕は濡れた尻尾の先を振って見せた。

「ほら、毛が生えてるのは先っちょだけで、あとはほとんど裸だし」

 先端の5センチくらいは房になっているけれど、あとは付け根までほとんど

毛は生えていない。皮膚と同じ地肌が見えている。まるで牛の尻尾だと昔から

よくからかわれたものだ。


 今日はもう雨は止みそうになかった。

 そろそろ教室へ行かなければなあ。暗い気持ちでそう思いながらも腰は重

く、僕は出来ることならずっとここにこうして座っていたいという気分にさえ

なっていた。

「こういうの、邪魔ですよね」

 湿った尻尾を揺らして僕がそう言うと仲村さんは一瞬さも意外なことを言わ

れたように目を丸くした。

「はい。ていうか面と向かってそんなこと言われたの久しぶりです」

「なんか変に気を遣われるし」

「うん。そう」

 仲村さんは前に向き直ると、奥歯をグッと噛みしめるような顔をして目を瞑

り、全身の力を込めるようにこう言った。

 

「すっっっ……ごく邪魔」

 

 ははは、と僕が笑うと仲村さんも笑った。


「でも、たまーにちょっとだけかわいい」

 仲村さんはタオルにくっついた羽根を摘まみ取ると、指の先でクルクル回し

てみせた。

 

 うん。

 

 雨に濡れた尻尾の先っちょを見て、僕も小さくうなずいた。

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