その十六 三田村弥生の噂。
すっかり日も傾き始め、空は赤みが差しており、俺のアパートも赤く染まっていた。
「ただいま~」
「おかえりーお兄ちゃん」
「おかえりなのじゃ」
玄関を開けると、ほのかとルスカが俺にしがみついてくる。
「お腹空いた」と二人は言ってくるが、これから行かないといけない場所がある。
「こんにちは、ほのかちゃん、ルスカちゃん」
「あ……こ、こんにちは」
「お主は確か……」
ほのかは、珍しく俺の影に隠れ挨拶する。
ルスカは昨日の事を思い出しているのだろう。
しかし、ほのかが、何故睨むように三田村を見るのかが分からない。
三田村も困った表情をしていた。
「今から三田村にほのかのブラを貰いに行くぞ」
「え!? ブラ? あ、ああ……そういうことかぁ……」
三田村が驚きの声あげると、一変して、あからさまにガッカリとした表情に変えていた。
「ありがとうございます」と、ほのかは三田村に礼を言うのだが、何故勝ち誇った顔をしているんだ。
「アカツキ、ご飯はどうするのじゃ?」
「今日は外で食べるから。ルスカもほのかも着替えてこい」
「「はーい!」」
二人は仲良く奥の寝室に着替えに走る。
「騒がしくて、ごめんな」と俺が三田村に謝ると、彼女は首を横に振り、先ほどまでのガッカリした表情は消えて優しく微笑む。
「ほのかちゃんには、嫌われちゃったかな」
「そうか? そんな事ないと思うけど」
何故三田村が、そう思うのか俺には分からないし、ほのかの三田村に対する態度もよく分からない。
「準備出来たよー、お兄ちゃん」
ショートパンツにフードの付いた紫のジャケットのほのかに対して、ルスカは黒と白のストライプのワンピースと、やはり、ほのかのお古だ。
「三田村。ルスカにも小さい時に着ていた服とかあれば、お願いしたいんだが」
「いいけど、残ってるかなぁ」
ルスカ、俺、ほのか、三田村の横並びで俺達は、三田村の家へと向かう。
「何か食べたいものあるか?」
「「イチゴパフェ」」
二人揃って、ご所望なのはいいのだが、何故ルスカがイチゴパフェを知っている?
ルスカが一人で食べに出掛けたとは考えにくい。
そうなると、一人しか思い当たらない。
「母さんの仕業か……」
「そうなのじゃ、今日の昼に食べたのじゃ! 内緒じゃぞ」
母さんはルスカに口止めしていたのだろうが、どうやら相手を間違えたみたいだな。
ルスカから教えてくれるとは、思っていなかっただろうな。
しかし、困った。ルスカだけにイチゴパフェを食べさせる訳にはいかない。
二個頼むとなると、相当の痛手だ。
「だったら、ウチで食べていけば? ウチ、喫茶店やってるし、イチゴパフェもあるわよ」
「「本当!?」」
三田村の発言に、ルスカだけでなく、ほのかも三田村に抱きつく。
「どうしよう、田代くん。二人とも可愛いんだけど。二人とも頂戴!」
「あほか。ほら、二人とも行くぞ。食べ物で釣る人にろくな人はいないから」
「ええ!? ちょっとそれは酷くないかな? 田代くん。ちょっと待ってよー」
俺は三田村を置いてルスカとほのかを連れて駅へと先に向かうと、三田村が慌てて追いかけてきた。
二人には、ちゃんと食べ物でついていかないように、言わないとな。
先に駅へと到着して、三田村を待っていると二十歳くらいの男性三人に声をかけられていた。
困った顔をしてこちらを見てくる三田村に、俺は二人に手を繋ぎ待っているように言うと三田村の所に走っていく。
「何やってんだよ、
なるべく親しい関係性を出すために、名前で呼び手を引っ張る。
「おい! ちょっと、待てよ!」
他の二人は引き下がったのだが、残り一人はしつこく俺に突っかかり、肩を掴み引き止められる。
「何? 人の彼女に何か用?」
一応彼氏みたいな設定で連れていくつもりだったので、そのまま設定を続行したのだが、この男酔っているみたいで、物凄く酒臭い。
俺が睨んでいるのが、酔っててわかっていないのだろうか。
「その子、寄越せよ。痛い目に遭いたくなかったらなぁ」
クズが、と殴りかかろうとする。今日はこの手のクズが二人目ということもあり、俺の沸点は低くなっていた。
「……っごぉ!!」
男が急にうずくまる。やったのは俺じゃない、三田村だ。
俺も、残った二人の男も一斉に股を締めた。
「ふざけないでよ! 何が寄越せよ! 私はモノじゃないわ!! ほら、行こう。暁。そこの二人もソイツにちゃんと言い聞かせなさいよね!」
「「は、ハイッ!!」」
俺は三田村に腕を組まれて、ほのか達の元へと戻ってきた。
電車に乗っても三田村は、まだ怒っていた。
「なぁ、三田村。いい加減腕を組むのやめないか?」
「何!? 暁、私と組むの嫌なの?」
「暁……ああ、いや、そうじゃなくてだな……」
嫌だとかそういう話ではなく、車内で俺達二人は笑われているのに気づいて欲しかった。
笑われている理由は簡単でお互い逆向きだから。
俺の右腕に三田村は右腕で組んでいるのだ。
もっと早くに言いたかったが、三田村の怒りが少し収まるのを待っていたら、気づけば電車に乗っていた。
「お互い関節決めにきているわけではないのだし……」
俺が言うように、あとはどちらかが、背中に捻れば立派な関節技になる。
「……関節? ……あっ!」
ようやく気づくと慌てて俺の腕を外して、車内の真ん中で座り込む。
スパッツを履いているとはいえ、恥ずかしくないのだろうか。
「ほら、そんなところに座るな」と三田村の腕を取り立たせる。
「ありがとう、暁」
「うん、いや構わないのだけど、もうアイツら居ないのだから、普通に田代でいいぞ?」
三田村は、何故かキョトンとしている。無意識なのか自然に“暁”って、呼んでいたのか?
「えっと……なにが?」
「だから、さっきから“暁”って俺のこと呼ぶから」
頭が働いていないのか、しばらくのタイムロスから急に悲鳴を上げて、三田村は再び座り込んだ。
「ひぃあっ! な、なんで……ち、違うのよいつも妄想で! じゃなくて、家族に話す時にそう呼んでるからじゃなくて、うへぇっ!」
顔を真っ赤にしながら支離滅裂で早口で喋るものだから、何を言っているのか分からない。
とりあえず最後の「うへぇっ」だけは聞き取れた。
「もう! お兄ちゃん達、車内で騒がないの!」
俺達は、ほのかに怒られ、周囲に笑われながら謝った。
ほのかも段々と母さんに似たと思ったが、よくよく考えると、俺が母さんにいつも言っているセリフだと気づいた。
三田村の家の最寄り駅に到着すると、もう辺りは暗くなり始めて街灯も点灯して道を照らしていた。
駅から一分ほどの距離に、カフェのような佇まいではなく、ノスタルジーを感じる古い時代を感じる喫茶店が。
「ただいまー」
三田村が扉を開くとカランカランとカウベルが鳴る。
「お帰り、弥生。あれ、そちらは?」
細長い店内はカウンター席に五席、四人かけのテーブル席が二つと、こじんまりしているがカウンター席には既にご年配の男女で埋めつくされていた。
カウンター内から老夫婦が俺達を出迎える。
三田村の祖父母なのだろう。二人とも優しい表情が人の良さを表していた。
「お邪魔します。三田村のクラスメイトの田代と言います」
「先に着替えてくるわ。そこに座っていて。あ、ほのかちゃんとルスカちゃんは私と一緒に来て」
四人かけの席に俺を案内して、ほのかとルスカを連れて二階が家なのだろうか階段を上がっていく。
手持ちぶさたな俺だってが、何故かカウンター席のお年寄りの客や、三田村の祖父母がジロジロと見てくる。
「あの……俺に何か?」
「あら、ごめんなさいね。もしかしたら、暁くんかしら?」
「はぁ、そうですけど……」
俺の答えを聞いて店内が沸き上がる。
「ほらほら、やっぱりそうじゃろが!」
「あらあら。この子が弥生ちゃんのねぇ……」
「祖母さん。ここは儂。ガツンと言わねばならないところだろか?」
「お祖父さん、落ち着いて。早まると弥生に怒られるわよ」
騒々しい。とてもお年寄りとは思えないテンションに、若いはずの俺がついていけない。
ジロジロと見られてワイワイと騒ぐ中、俺は一人メニューを見ていた。
「イチゴパフェが八百円か……」
高い。二つで千六百円。更に夕飯も食べるとなると三千円越える。
完全に予算オーバーだ。
一つだけ頼んで二人で分けるか、俺が夕飯を我慢するか……
迷うことはない。俺が我慢すればいい。
「遅くなってごめんなさい。はい、これ。一応サイズは確認したから大丈夫だけど」
三田村が紙袋を渡してくる。中身はもちろん、ほのか用のブラジャーとルスカの服だろう。
ほのかとルスカはすぐに俺の前の席に座り、メニューを選んでいた。
「好きなの頼んでね。今日は私が奢るから」
「本当か!?」
奢ると言われて断るのは失礼だと、俺はナポリタンを三つと、食後にイチゴパフェを二つ注文した。
ただ、なんだろうか。客や三田村の祖父母がニヤニヤと俺を見てくるのは。
三田村が緑色のエプロンを着けて、常連っぽい年配の男性と気さくに話をしているのを見て、俺は一つ思い至った。
それは、三田村に関する噂。
かなり年上の男性と付き合っているとか、複数の男性と関係があるとか。
今の三田村を見ていると、偶然会った常連の年配の男性と話をしている所を目撃されて、尾ひれが付いたのではないのだろか。
俺らが食べ終えて帰る時に、一緒に出てきた常連客の年配の男性と女性に三田村の話を聞かされた。
三田村は幼い頃に両親をワームによって失い、それからというものの祖父母、そしてご近所の常連客で見守ってきたのだという。
「弥生ちゃんをよろしくね」と年配の女性が、皺だらけの手で力一杯俺の手を握ってくるのだ。
ご近所の目がある中で、誰にも知られずに複数の男性と関係を持つなんて、果たして出来るだろうか。
この日、俺自身は噂なんてものは信じていなかったが、俺の中で確実に、三田村の印象が大きく変わったのは間違いなかった。
もちろん、良い方向にだ。
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