音楽はいつもメジャー・セブンス

江東蘭是

僕の手帳、彼女のブックカバー

「・・・・・というわけで、今回の会議を終わります。えっと、片桐君と野口さんは、ちょっと残ってくれる?」

 またか、と僕は思った。課長の話はだいたい想像できる。マーケティング担当の彼女と、もっと歩調を合わせて仕事を進めろ、ということだろう。他の同僚たちは、がちゃがちゃと筆記具や手帳をしまいながら、ランチの話をしている。僕はため息をついて、ちらっと彼女の方をうかがった。少しうつむき加減で、目の前に開いたノートを見つめている。


 同僚たちが会議室から出ていったあと、課長は僕と彼女の前に立って、ひとことこう言った。

「なんの話か、わかってるよね?」

 彼女はノートから顔をあげて、ほんのわずか、うなずいた。ここで僕もうなずくと、話は簡単だ。それが処世術というものだろう。しかし僕は、ただじっと手帳を見つめていた。

「片桐君も、わかってるだろ? いくら君がいい商品をデザインしても、売れなければ意味がない。どうして君は、野口さんのマーケティング調査に反するようなコンセプトのデザインばかりするんだ?」

 これには驚いた。課長はそういう風に認識しているのか。逆だろう、という思いが僕にはある。

「野口さんも、もう少し幅を持って対応できないかな? マーケティング調査で売れないという結果が出ても、実際に出してみたらヒットした、ということもよくある。片桐君のデザインのプラス面も、もう少し見ることはできないのか?」

 彼女は少し考えて、わかりました、留意します、と小さな声で答えた。片桐君も、いいね、と課長は僕に念押しして、会議室から出ていった。僕も持ち物をまとめて会議室から出ていこうとしたとき、彼女が声をかけてきた。

「あの・・・ちょっとお時間、いただけますか? この際だから私なりの考えをお伝えしておきたいのですが」

 立ち上がりかけた僕はもう一度座り、「いいですよ、お聞きしましょう」と言った。あ、でもそろそろ昼食時だ。今朝は朝食抜きだったから、腹がすいている。

「お昼、食べながらではだめですか? 朝を食べてないので、腹ペコなんです」

「もちろんです。ではお昼、ご一緒してよろしいですか?」

「混んでくるから早く行きましょう。ジミー・ジョーンズのサンドイッチでいいですか?」

「はい、けっこうです」


 僕らはオフィスの入っているビルを出て、公園を横切った。彼女は僕の半歩ほど後ろを歩いている。イチョウが黄色く色づき、枯れ葉が風に舞う。そろそろ冬か。寒いのは嫌だな。僕は少し彼女の方を振り返って、世間話のつもりで話しかけた。

「冬は好きですか?」

「ええ、夏より好きです」

「そうですか。僕は冬は苦手でしてね。夏もそれほど好きというわけではないですが、冬よりまし、という感じでしょうか。春と秋が一番いいですが、冬が苦手なので、これから冬がやってくるという前触れの秋よりは、夏の前触れである春の方が好きですね」

 いったい僕は何が言いたいのだろう。仕事でいつも衝突している彼女とふたりだけで歩いていることに、少し緊張しているのかもしれない。僕の話に、彼女は何も反応してこない。脈絡のない話に呆れているのだろうか。チラッと彼女の方をうかがうと、唇をかみしめて、顔を赤くしてうつむいている。あれ、どうしたんだ?

「野口さん、大丈夫ですか?」

「す、すみません・・・だけど今の話、ちょっとツボにはまってしまって、笑ったら失礼だと思って我慢してるのですが・・・」

「え、僕、なにか変なことを言いました?」

「いえ、そんなことありません。でも、独特の考え方だな、と思いまして」

「どういう部分が?」

「冬がやってくる前触れの秋。片桐さんが、秋をそういう文学的にとらえていらっしゃることに対して、ギャップがあるというか・・・」

「僕がそういうことを言うと、おかしいですか?」

「そうじゃないんです。どうしてそれを、デザインにいかせないのかな、って」

「なるほど。その辺の話を、食事しながらゆっくり聞きましょう」


 ジミー・ジョーンズは混んでいたが、窓際のテーブルがひとつ、あいていた。僕はサラダとローストビーフ、彼女はスモークサーモンとチーズのサンドイッチ。とりあえずそれを一口かじってから、彼女は切り出した。

「片桐さんにお願いしたいのは、女心、です」

「女心ですか」

「今の世の中、ヒット商品の鉄則は女性受けすることです」

「それは、なんとなくわかってます」

「ただ単に、女性受けするだけではだめです。女心に訴えかけてこないと」

「それは難しいなあ。僕は無粋な男だから」

「そんなことありません。今まで、あまり意識されてこなかっただけです。これから、意識してみてください」

「どうすれば、いいのかな」

「それは、ご自分で考えて下さい」

 そう言って、彼女はサンドイッチをむやみに頬張り始めた。あれ、なんか怒ってるみたいだ。彼女と話をしていると、よくこうなる。さっきまで、ちょっと親しみやすさを感じていたけど、また少しとっつきにくくなった。だけど、ここは女心の勉強だと思って、こちらが折れてみるか。

「あの、野口さん?」

「はい、なんですか?」

「よかったら、教えてくれませんか?」

「ごめんなさい。私、少し突っ慳貪ですよね。こちらから話しておいて、ご自分で考えて下さい、なんて」

「いや、いいですよ。気にしてません」

「私がどうして片桐さんのデザインに、特にあれこれ注文をつけるか、わかりますか?」

「僕のことが嫌いだから?」

「まじめに」

「ごめん。えーっと、それはやっぱり、僕のデザインが的外れだから、かな」

「ちがいます」

「え、ちがうのですか?」

「いえ、その・・・」

 彼女は言い淀んで、またむやみにサンドイッチを頬張り始めた。なんか言いにくいことがあると、こうやってやけ食いする癖でもあるのかな?

「その・・・なんです?」

 彼女はサンドイッチを無理に呑みこんで、ため息をついた。ふだん、オフィスで見せない一面だ。クールで通っている彼女には珍しい。

「思い切って言います。片桐さんと・・・こういう時間を持ちたかったからです」

「え・・・どういう意味かわからないんですけど」

「変な誤解、しないでくださいね。私、片桐さんと二人きりになりたかったとか、そういう意味で言ったんじゃないんですから」

「わかってますよ。で、どういう意味なんですか?」

「その・・・自分で言うのもなんですけど、私って、愛想がないんです。こういう風に、一対一だと、うまく自分の言いたいことが伝えられそうな気がして」

「なるほど。だけど、自分からこういう機会を作れなかったから・・・」

「ごめんなさい。ずるいですよね、そんなやり方」

「でも、こうして目的を達成したわけだから、うまくいったわけでしょ。さすが、マーケティングを専門にしているだけのことはあるね」

「それ、皮肉ですか?」

「いや、褒めているつもりだけど」

 彼女は少し顔を赤らめて、またむやみにサンドイッチを口に詰め込み始めた。僕は思わず苦笑いしてしまった。

「そんなに急いで食べなくても。ほら、せっかく一対一になれたんですから、ゆっくり食事を楽しみながら、建設的な話をしましょう」

 コーヒーを一口飲んで、「はい」と彼女は小さく頷く。

「さっき言ってた女心を意識する話だけど」

「はい。最近、うちの会社で発売した本革のブックカバーがありますよね」

「ああ、あれね」

「これからクリスマス・シーズンになります。女性って、好きになった男性には、自分が贈ったプレゼントを、いつも使っていてほしいものなんです」

「それは、僕でもなんとなくわかるけど、それとブックカバーと何の関係が?」

「片桐さんがデザインしている手帖ですけど、あれをブックカバーのサイズに会うようにしていただきたいんです」

「あのブックカバーは文庫本サイズでしょ?」

「手帖が文庫本サイズだと、いけませんか?」

「だめではないけど」

「片桐さんの手帖、クオ・バディスですよね」

「ああ、よく知ってるね。ちょっと高いけど、なかなか使いやすくて」

「ここに、そのクオ・バディスのサイズに合うブックカバーがあります」

「そのブックカバーは、うちの会社のものではないよね?」

「ええ、違います。例えばです。私が、このブックカバーを片桐さんにプレゼントしたとして・・・」

「なるほど、言いたいことはわかりました。じゃあ、ちょっとシミュレーションしてみましょう。仮に、僕と野口さんが付き合っていたとして」

 なぜ彼女の顔が赤くなるんだ? まあ、いいか。

「クリスマスに、そのブックカバーを僕にプレゼントしてくれたとしよう。ちょっとそれ、貸してみて」

「はい」

 そう言って彼女はブックカバーを僕に差し出した。僕は自分のクオ・バディスからフェイク・レザーのカバーを取り外し、彼女が持っていた本革のカバーに差し替えた。

「うん、悪くないね、こういうのも。なるほど。つまり、あのブックカバーと手帖をコラボさせて、野口さんの言う女心に訴えようという戦略か。なんだ。はじめからそう言ってくれればいいのに」

「もし会議でそう言ったら、片桐さんとこういう時間は持てませんでした」

「え?」

「あの・・・差し上げます、そのブックカバー!」

 そう言って、彼女はちょっと横を向き、少し怒ったような顔で残りのサンドイッチを頬張った。いま気づいたけど、彼女の横顔、けっこう綺麗だな。

 さて、この場面で僕はどういうリアクションをすればいいのだろう? なんと言っても、僕は無粋な男だからな・・・。

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